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疫病神が来りて少女は笛を吹く  作者: 収穫之月
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第三話

 今から九百年ほど前に建立された笠無神社の縁起はこうだ。

 平家の世が終わり源氏の世が始まろうとしていた時代、ある日坂東村へ大男の落ち武者と鎧を着た骸骨武者がいこつむしゃの集団が襲いかかってきた。彼らは平家に殺された源氏の亡霊だった。

 村人たちは彼らと戦ったが、まったく歯が立たなかった。たくさんの人が死んで困り果てているとき、旅の琵琶法師と若い武士の二人連れが村に現れた。彼らの獅子奮迅の活躍によって、おぞましい死霊軍団を村から追い払うことができた。

 村が平和を取り戻したとき、旅人たちはその正体を打ち明けた。彼らは西の大陸より来たりし神とその弟子の獅子王だとそれぞれ名乗った。それから二人は虹色に輝く雲に乗って北の空へ飛び去った。

 村人たちは自分たちを助けてくれた神々に感謝するため彼らを祀った神社を建てた。


 おじいちゃんに頼まれて夕飯をのせたお盆を運んだとき、キオウから笠無神社にどういう神を祀っていたのか尋ねられリナはその由来を話した。

 この由来にはでてこないが、当時神様たちといっしょに骸骨武者たちと戦った村の女猟師がいる。リナの遠いご先祖である。直接のご先祖のいとこだと言い伝えでは聞いている。

 神社を建ててから、他の村々で流行り病が起きたとき、坂東地区だけいつも難を逃れていたという話もある。十一年前に福島の火山が爆発したときも、雨巻町で地震で家屋のどこかしらが崩れてしまった家庭が多い中、停電はしても坂東地区はどこの家も崩れなかった。

 ところが、今回の流行り病であるアステリウィルスの感染者は去年の冬に一人出てしまった。

 坂東地区は小さな地区だからすぐ誰が感染したかあっという間に伝わるのだ。幸いにもその人は軽症で今は元気に回復しているが、言い伝えなんてあてにならないとリナは今日まで思っていた。

 けれど今日おじいちゃんから聞いた夏祭りのとき境内に立っていた仙人のように美しい青年と、笠無神社の伝承にある西の大陸から来た神様という記述はそう大きく食い違っていない。

 案外言い伝えや迷信も、昔の人の手による創作物とも言い切れないのかもしれないとリナはキオウに神社の由来を話しながら思った。

「この話にでてくる落ち武者と骸骨武者の集団てね、おそらく天然痘のことを暗示しているんじゃないかって、前に学校の先生が言っていたんだよね」

 アステリウィルスが日本全国に流行り始めたとき、担任の先生が「日本も昔は流行り病にしょっちゅう困っていてね、私たちの町ももちろんそうでその証拠が笠無神社なのよ」と教えてくれた。

 笠無の笠は天然痘にかかったとき赤いかさぶたのことで、その頃日本全国で天然痘が流行っていた記録があると先生は教えてくれた。

 そのとき先生から「神社のすぐ隣に暮らしているから他に何か知らない?」ときかれたが、リナは何も答えられなくてとても恥ずかしい思いをした。

 リナが話している間も、小さな丸いちゃぶ台の横に置いたご膳にキオウはまったく箸をつけなかった。箸すらも持ち上げない。彼は昼間もハンバーガーを食べなかった。

 だからおじいちゃんは「環境の変化に慣れるために、しばらく一人にしてさしあげよう」と言ってリナに和食のご膳を持っていかせた。

 環境が変化したのはむしろわたしたちのような気がする、と古びた内装の社務所におかれた布団一式や小さなタンスをみながらリナは思った。

 丸いちゃぶ台も含めて、ショッピングセンターで買ったらしいそれらは今風の垢ぬけたデザインで、昭和に建てられた社務所のすっかり古びた内装と調和していないように感じた。

 坂東地区の大人たちの会合や宴会場として使われる社務所は、トイレや簡易のキッチン、洗面所はあるが、お風呂はないので彼はうちの家に来て最後に入ることになっている。

 神様もお風呂に入るのだろうか。神様たちが通う銭湯が舞台の映画をリナは小さい頃に見たことはあるけれど、そのときはリナは紙の神様がいたらきっと湯に溶けてしまうし、炎の神様も消えてしまうだろうと思ったものだ。

 色あせてところどころ破れた畳が三十畳もある空間は、神様にとっては狭いくらいなのかもしれないが人一人が暮らすにしては広すぎる。リナならきっと持て余してすぐに出て行きそうだ。

「天然痘とはなんだ?」

 キオウはリナに尋ねた。

「わたしも詳しくは知らないんだけど、昔よく流行っていた病気の名前。でもその病気を引き起こしていたウィルス、目に見えないぐらいすごく小さい生き物のことね、それは人類がワクチン、予防する薬を作ったおかげで今はもう絶滅しちゃったみたい」

 神様に人間の文明を説明するのは苦労するなとリナは思った。

 中学一年生のリナはのちに学ぶのだが、ウィルスは生物学上では生物ではないとされている。

「ねえ、そういえば君ってなんの神様なの?」

 さっき敵とかちらっと言っていたから誰かと戦っているのだろうか。

 キオウは、片足を立てて座っているのに背筋を物差しでも入れたようにピンと伸ばしている。何年も鍛錬して何度も戦場で戦ってきたお侍さんのような佇まいだ。

 少年の姿をした神様は、冷ややかな眼差しでリナに言った。

「リナ殿。私は生まれてから一度も腹をすかせたことはない。だから食事はいらない。翁にもそう伝えてくれ」

 自分のために用意されたご膳へキオウは一度も目をくれなかった。食べなかった謝罪もなければ作ってくれた感謝の一言もない。

――愛想のかけらもない神様ね。

「おじいちゃんの料理はなんでもおいしいんだけどね」

 リナはちょっとむっとしながら、まったく手の付けられなかったご膳をふたたび持ち上げた。



「……ちゃん、お姉ちゃん起きて、起きて」

 朝から思いがけないことばかり起きて疲れてぐっすり眠っていたのに、リナは急に肩をゆらされ眠りを妨げられてしまった。

 リモコンで部屋の電気をつけると弟の未来が半べそをかいている。恐い夢を見たら弟はいつもは両親の寝室に逃げ込むのにリナのところへ来るなんて珍しかった。母がいないからなのかもしれない。

「何、こんな夜にどうしたの? 怖い夢でも見たの?」

 枕もとの時計の針は、ちょうど草木も眠る丑三つ時を指していた。真夜中に起こされてリナは大きく顔をしかめた。

「トイレへ行ったらなんか玄関でごそごそ音がしてさ、それで見にいったら変なのがいたんだよ」

「ええ、ひょっとして泥棒?」

 アステリウィルスが流行りだしてから、町中でなぜか食糧をよく盗まれる被害が出ているという噂をリナは学校で聞いていた。とうとううちの家にも現れたのだろうか。

 リナはすっかり目が覚めてしまったが、未来は大きく首をふった。

「ううん泥棒じゃないよ。なにか『変なの』なんだよ。と、とにかくオレといっしょに下に来て」

 未来は小さな顔を青ざめさせながら、竹刀を片手にもって姉に頼んできた。未来は町の公民館で剣道を習っている。

 本気で恐がっている様子から、年の離れた弟はいたずら心を起こしてリナをからかっているわけではなさそうだ。

 リナは、十一年前に大きな地震を経験してからベッドのそばにおいているリュックサックの中から防災用の懐中電灯を取り出した。

 姉らしく弟より前に立っておそるおそる階段を降りる。

 未来が竹刀をかまえて、リナが玄関の冷え冷えとしている暗闇を照らした――が、何もいない。丸い光を動かして靴棚の上も照らしてみた。飾っている木彫りのアマビエたちもとくに変わりない。

 疫病除けの守り神としてすっかり根付いている三本足の半魚人は、マトリョーシカのように三〇cmぐらい大きなものから小さなものまでずらっと順に並んでいる。どれも花が飾られているかのようにカラフルで、すべて母親の手によるものだ。いちばん小さなアマビエ像は、雨巻町の道の駅で販売されていて売り上げがいい。

 壁のスイッチを押して玄関の照明を点けてみたが、やはり泥棒どころか幽霊すらもいなかった。

 リナたちは念のためリビングやキッチン、トイレも調べてみたが不審者や未来の言うような『変なの』どころかゴキブリ一匹だっていなさそうだった。

「何もいないじゃない」

「あれー、おっかしいな。たしかにいたんだよ、『変なの』が! 逃げたのかな」

「きっと寝ぼけていたのよ。もう遅いから寝よう。あんまり騒ぐとおじいちゃんが起きちゃうよ」

 リナたち親子は二階にそれぞれの部屋があるが、おじいちゃんは一階の仏間で寝ている。

 未来はまだ疑わしそうに玄関をちらちらと見ていたが、年の離れた姉に容赦なく玄関の照明を消されてあきらめた。

「姉ちゃん、夜中に起こしてごめんね」

「いいよ、こういうこともあるよ」

 リナは、しょんぼりしている小さな肩をぽんぽんと叩いてあげた。姉弟は二階のそれぞれの部屋へ戻っていった。

 彼らは気付いていなかった。

 靴棚の上に置かれている木彫りのアマビエ像が一つ増えていることを。いちばん大きなアマビエ像がその背中から滝のように汗を流していたことを。



 リナはまたベッドに入ったが、なかなか寝付けなかった。タブレットを持ち上げながら寝転がってイヤフォンを挿して再生した音楽を聴いていた。スマートフォンは兄の望のように中学生のリナはまだ持たせてはもらえないがタブレットは使わせてもらっている。

 勉強に使え、と中学の入学祝に父がそれまで使っていたものをもらったのだ。もっともそれを使って調べものをするというより、もっぱらチャットアプリで友達やクラスメイトたちとやりとりするか大手動画サイトを開いて音楽を聴いている。

 他の土地のお囃子や、別の中学校の吹奏楽部が演奏している動画を再生する。どれもパンデミック前に収録したものだ。早くみんなで感染症が流行る前のように練習したいとリナは思った。

 一つ動画が終わったらたちまち人気のおすすめ動画がいくつもタブレットの画面に浮上する。

 そのうちのある動画にリナは目をとめた。滝のように流れる豊かな白い髪の女性の後姿だ。タイトルはどうもロシア語だった。けれど、リナには読めない。その後ろ姿が少し気になったからリナはその動画を指でクリックをした。

 雪が降り積もった針葉樹林の中、氷の張った池のそばで女性はこちらにやはり背を向けて佇んでいる。

 女性が大きく両手を広げたあと、賛美歌のような厳かで美しいメロディが流れた。

 クラッシック音楽のような格調高いピアノの調べにのせて、母を通して少しだけ知っているけれど知らない異国の言葉がつむがれる。

 数十秒ぐらい聞いてからすごく不快に感じてしまい、リナはその動画を止めた。

 透き通るようなソプラノの裏側に、どういうわけかやりきれない怒りや強い憎しみ、深い恨みが込められているように感じられてしまったからだ。

 永遠に溶けない氷が張られた池の底に沈んでしまって、二度と浮き上がることができないかのような絶望。このままこの歌を聞いているとその深い嘆きに引きずりこまれそうになると思って彼女はその動画をすぐに閉じた。

 変な動画、とリナは思った。

 画面の端に戻った動画は、二年前にアップされて今や一億にせまる回数で再生されている。

 ちょっと気になって調べたら英語版もあるらしい。コメント欄の情報によると、日本語版もあったらしいが今は削除されてしまったようだ。どうしてこんなに人気なのかリナにはさっぱりわからなかった。

 窓の外からバイクの走る音が聞こえる。聞こえたと思ったらすぐ遠ざかった。おそらく新聞配達の音だ。

 その頃、ようやくリナはうとうとしてきてふたたび眠りに落ちた。

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