第96話 補給デポにて
『こりゃ、酷いな……』
その補給デポを見て、イコンダが言ったその第一声が、エーリッヒの感想を何よりよく代弁していた。辺り一面に広がる物資の山は、既にほとんどが破壊されているのも同然のようだった。
彼らがブリーフィングルームに呼ばれた理由は他でもない、そのことについてだったのである。そこで明かされたのは、補給デポとの量子通信での連絡がつかないという事実だった。戦時においてそれは、既に放棄されたか、敵からの襲撃を受けたか、を意味する。
『だがこれは、放棄されていると見て間違いないでしょう。補給部隊の連中、まだ自分より前に味方が残っているっていうのに、ご丁寧にどうも……』
アレクサンドル――結局、エーリッヒは彼と言葉を交わす前に出撃となった――がそう口を開いた。
『使える物資なんかありますかね、この様子で。使えるものは全部後方送りでしょうし、運びきれない分はほとんど焼却されたか何かで使いものになりそうにないですよ、見た感じ?』
『いいから口より手を動かせアレクサンドル。それを決めるのは哨戒艇にいる連中で、俺たちの任務はその護衛だ。いつどこに敵がいるか分からないのが今の戦況だろうが』
そう言ってイコンダ機は小隊の真後ろに位置している哨戒艇に目を向けた。それは一小隊に一隻が割り当てられていて、それで物資を回収してこい、というのが彼らの受けた命令だった。
『でも、』アレクサンドルという男は不満を口にしないと生きていけない男らしい。そうエーリッヒは考えた。『この分だと敵だっていませんよ、こんなところには。第一、敵側の補給はどうするんです?』
『今度は敵が考えることだ。残念ながら連中は貴様より頭がいいに違いない』
『ひでぇや』
アレクサンドル機はいかにも困ったように肩を竦めて、それからクルリとバレルロールを打った。しかしそれきり静かになってしまったので、エーリッヒは視線を何となしに動かした。
その先にはブリット機があった。その二人の会話の間、ブリットは静かに真っ直ぐ飛んでいた。士官室で会ったときとは全く似ても似つかないほどの静粛さだった。きっと、それが本来の彼女に違いない。
ならばそれをああまで変容させた理由というのは一体なんであろうか? ミハイルという人名が関係していることは間違いない。しかし、ミハイルを殺したのが自分だというのは何とも判然としない話だった。あの乱戦の中誤射した覚えはないし、そもそも「白い十一番」以外とは戦闘すらしていない。
そもそも仮に自らの手で味方機を撃墜してしまったなら、そもそもイコンダはエーリッヒを助けたりはしないだろう。その場合恨みを向けられるのは彼女からだけではないはずで、然るべき証拠と共に憲兵に引き渡されるのが筋のはずだ。
だとすれば何も思いつかない――いつ、どうやって僕はミハイルという男を殺したのだろうか。あるいは殺したも同然のことをしたのか。それは全くの謎であった。
そうして、エーリッヒが自分の行動を沈黙の中で振り返り始めた、そのときだった。
頭の中にアラート音が鳴り響いたのは。
「敵襲!」
叫ぶと同時に、全機が急旋回して行軍隊形を崩した。その航跡を辿るように、荷電粒子のきらきらとした光はその残酷な実態とは裏腹に輝いて何もなくなった空間を焼く。しかし機体の大きい分哨戒艇の回避運動は一歩遅れ、直撃弾を複数食らってよろめいた。
『哨戒艇が……!』
『後にしろ! それどころじゃない!』
事実イコンダの言う通りだった。補給デポの影から、複数の航跡がぬるりと顔を出す。レーダー反応は「ロジーナⅢ G‐6」――その特殊作戦仕様だった。
IFF――応答なし!
「クソッ」
エーリッヒは敵弾をまたも回避しつつ悪態を吐いた。特殊作戦仕様ということは、敵後方に向けた、高速艇とセットでの長距離侵攻に適したセッティング――つまり、手練れを意味する改造だということだからだ。その証拠に、射撃してきた敵機はエーリッヒの回避機動を読み切ると、後方にするりと回り込んでしまった。
「クソッ!」
今度はほとんど絶叫だった。ズダン、ジュウウという音と共に、機体が左右に大きく揺れる。機体の左腕が吹き飛ばされたのだ。正確な狙いだった。重量バランスが崩れ、旋回が俄かに横滑りする。
しかしエーリッヒはそこでスピンに入ったフリをした。手練れだからこそ、それは機能すると思った。案の定敵は、急激に減速し制御不能に陥ったように見える彼の機体を無視して、別の生きている機体に仕掛けに行く。つまり、エーリッヒ機の前に自分から出てきてくれたのだ。そのチャンスを逃すわけには行かない。すぐさま、エーリッヒはスピンから回復する動作を行って、ビームライフルの砲身を敵に向け、引き金を引いた。
「⁉」
しかし、そこで我が目を疑うことが起きた。トリガーを引いた直後、ビームは砲身に従って真っすぐ飛ばず、右に大きく曲がったのである。その混乱状態のままエーリッヒがもう一発射撃したために――そしてそれが外れたために、敵機はさっきの敵がまだ戦闘可能であるということに気づいて、反転してきた。
「また、整備不良か! ろくすっぽ機材がないから!」
原因が何であれ、二機はすれ違い、再び旋回戦に入る。だが後ろを取っているとはいえ、損傷がある分、エーリッヒはどうしたって一手不利にならざるを得なかった。それを分かっているから、敵は慌てることなく切り返してきた。ロールレートが重要になる、シザース機動である。それに追従するために必要な腕のスラスターが死んでいる以上、それに持ち込まれたことはエーリッヒにとって致命的だった。それでも何とか抵抗しようと試みるものの、一回、二回と折り返していく内に、次第に敵の方が素早くなっていき、反対にエーリッヒは背中を明け渡す格好になった。
『エーリッヒ! 旋回しろ!』
しかし、そうして時間を稼いだということが全く無駄だったわけではない。いかな手練れといえども生じる、前に押し出された敵機を狙う一瞬の隙にイコンダがその後ろを取っていた。エーリッヒはその指示に従って旋回した。そうすると、敵機もそれに従――わない。彼はイコンダ機が後ろに回り込んだことに気がついて、反対側に旋回し、離脱した。
対するイコンダも、それを追わない。それが深追いになることを直感したからだ。
『エーリッヒ! ここは一時撤退だ! このままだと全機落とされる!』
そして、それだけではない。補給デポ全体に薄く展開した状態では、一か所に固まっている特殊部隊に各個撃破される可能性が高かった。最悪、敵を逃がしてでも生き残るためにはここを放棄して離脱せねばならなかった。
「ここの安全を確かめるのも任務の内だった。危険となれば、今すぐ逃げるべきだ!」
「ですが、他の皆さんは」
「既に哨戒艇を護衛しながら離脱させている。ウチの小隊は俺たちで最後だ!」
「了解です! ……撤退します!」
そう返事をしながら、エーリッヒはイコンダ機がそうしたように、機首を「ブルシーロフ」の方角へと向け、スラスターを吹かした。特殊部隊機は何発かそれを追い討つ形でビームライフルを撃っていたが、しばらくして深追いになると悟ったのか、反転して離脱した。
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