第90話 敗戦、悲嘆
「…………」
宙母「アレクセイ・ブルシーロフ」の待機室に、エーリッヒの姿はあった。静かに押し黙ったまま彼は佇んで、分け与えられたコーヒーのカップをそのまま手の中で冷ましていた。しかし、その表情からすれば、たとえ冷め切ったって飲もうとはしないだろう。ただそうしている以外何も思いつかないだけなのだから。
「隊長、アイツ、何なんです?」
それは周りから見れば異様そのものだった。アレクサンドル・イェーツ少尉は、自らの上官であるイコンダ・ドコンダ中尉にそう聞いた。
「見たことない面ですけど……何だってあんな辛気臭いやつ拾って来たんです?」
「小隊が全滅した上、母艦まで落とされたんだと。だからしばらくウチの隊で面倒見るつもりだ。どうせ今は後送もできやしないしな……」
「正気ですか隊長?」もう一人の少尉――女性パイロットのブリット・ノルビ――が聞き返した。「あんな優男、本当にミハイルの穴埋めになるとでも?」
ミハイルというのは、今回の戦闘で戦死した彼女らの仲間だった。イコンダはまだ後頭部に辛うじて残っている髪を掻きながら、答えた。
「それがな……『ゲオルギー・ジューコフ』のエーリッヒったら、聞き覚えないか?」
「そりゃ……噂程度には。新兵ながらに、エースになった奴とか……」
「どうにも、奴はソイツらしいんだ。」
「えぇ?」
アレクサンドルもブリットも驚きを隠せなかった。
「とてもそうは見えませんが? 同姓同名では?」
「だが、本当らしい。あのエルナンド・ヴァルデッラバノ少佐の下にいたってんだから間違いないだろう……そうだよな⁉」
エーリッヒは突然話を振られて間違いなく震えたが、イコンダの方を向いてこくりと頷いてみせた。
「だとさ……」イコンダは再び禿頭気味の後頭部を掻いて、毛を何本か無駄にした。「そういうわけだから上手くやれよ」
すると彼は部下の肩にそれぞれ手を置いて、それから待機室を出て行った。しかしだからといって何ができるわけでもない。エーリッヒを置いて、二人はそれについていく。
そうして一人になってなお、エーリッヒは動こうとはしなかった。しばらくするとコーヒーの水面に雨が降った。それに傘を差すことも、暫時はできそうになかった。




