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第87話 いきましょう

 その未来を当然知らない「ゲオルギー・ジューコフ」の格納庫に警報が鳴り響く。演説の翌日、集結を完了した総勢三〇〇隻に及ぶ大上陸艦隊はジンスク方面から首都星系第三惑星に向かって行進を始めた。つまり出撃である。


「…………」


 しかし、その待機室にオリガはいた。彼女は招集命令など聞こえないかのように椅子に座って、スキットルから何かを喉に落としていた。目はじっと慌ただしく人が動き回っている格納庫を見て、それを肴にしているようだった。


「ニキーチナ中尉……? ここにいたのですか」


 そこに、リチャードが入ってきたことに、オリガは話しかけられるまで気づかなかった、あるいは気づかないフリをした。入ってからもそちらの方は見ない。ただ一瞬目線を向けて、それから元通り前を見た。


「アナタ、何をしているんです」


「何って、景気づけに一杯やっているのさ」


「馬鹿なことを……酒はないのでしょう?」


「それが、あったんだよ。アンタから言われた料理酒ってのがヒントになった。ありがとうな」


「ありがとうって……」


「ミリンだよ、ジャパニーズ・サケの親戚だろ? 味は最悪だが、アルコールは入っている。何か問題か?」


「私が聞いているのは、何故そのようなものを飲んでいるのかということです。出撃命令が聞こえなかったのですか」


「飲ませてくれよ……アタシとアンタの仲だろう?」


「そういうわけにはいかない。規則に則ってアナタは処罰されなければならない。オリガ……!」


 そう言って彼は格納庫を向いたままの彼女の肩を掴んで彼の方へと向けさせた。すると、彼女の手からスキットルが零れ落ちて、床に叩きつけられて中身をそこら中にぶちまけた。


「オリガ……?」


 しかしそれは、普段の彼女にはあり得ないことだった。たとえ死んでも彼女は酒を手放したりはしないだろう。そうでなくたってそれだけの握力がパイロットにはあるはずだった。


 だから、彼女の手を、彼は見た。


 そして見つけてしまう。


 それが酷く震えているのを。


「その手は――?」


「見りゃ分かるだろ、ここ最近、酒を切らすとこうなっちまう。いわゆるアルコール依存症ってやつだ。お恥ずかしながら、な」


「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか。今からでも医務室に、」


「ざけんなよリチャード。こんな手つきじゃ間違いなく除隊だ。だがアタシには帰る場所がない。あの色ボケババアのいる家なんざ、死んでもごめんだね」


 リチャードは彼女の過去を知らなかったが、何かただならぬ事情があることは察した。


「しかし、」彼はそれでも認めることはできなかった。「これでは死にに行くようなものでしょう。生きてさえいればチャンスはあります。だから……」


「チャンスって、何のチャンスだよ。こんな戦争で戦死するよりもっとろくでもない死に方をするチャンスかい? それとも、国に帰って厄介者扱いされながら生き長らえるチャンスかい? どっちにしたってクソくらえだぜ」


「オリガ!」


 彼は力なく笑う彼女の肩を強く揺すぶった。


「それでも、アナタは生きているでしょう。生きることをやめることはできないのでしょう? なら、生きる道を選ぶべきでしょう。どのようなものであるにせよ!」


「生憎と、」彼女は彼を睨みつけた。「そんな真面目な理屈でアタシは生きちゃいないんだよ、リチャード。アタシにはもう軍隊と酒しかないんだ。それに寄りかかってしか生きる道を知らない」


「酒になど寄りかかってしまうからでしょう。寄りかかる先を間違えたから」


「……ならアンタは、ドニェルツポリの大統領の演説、見たかい」


「演説?」リチャードはその点真面目だった。「敵国のプロパガンダなどにかぶれて……!」


「ああ、そうさ。アレはプロパガンダに違いない。アタシだってそう思ったさ――いや、思いたかった、と言うべきかな」


 思わせぶりな言い方に、リチャードは内心首を傾げた。


「……どういうことです」


「アレを見て、あの言葉を聞いて、ただそれだけだと、ただプロパガンダだけなのだとは、どうしてもアタシには思えなかった。あの演説には魂があった。寄りかからずとも自分の足で立つだけの魂が――そして正義が、そこにはあった」


「そんなもの、まやかしでしょう。酒におぼれて、幻を見たにすぎません」


「ならどうして」キッ、とオリガはリチャードを睨んだ。「アタシらはあのコロニーを破壊したんだよ?」


 リチャードは何も言わず、ただ黙っていた。それに跳ね返されたかのように、オリガは泣きだした。


「それは、アタシらが、それだけのことをしちまったってことだろ……アレが悪でなくて何だというんだ? 何の罪もない、そこにいたことだけ運が悪い住人を皆殺しにして、どうして素面でいられるっていうんだ? 答えろよ、おい……」


「私だって、いいとは思っていませんよ……!」


「だろうな。でなきゃ第二大隊にまで調べに行ったりはしないだろう。だが何もできはしなかっただろう? 少佐もグルで、司令部もグルで……アタシらは酒を飲んで忘れるしかなかっただろう?」


「…………」


「アタシは、アンタほど強くはない。酒も、エンハンサーも――心も。だから何かに寄りかかるしかないんだ。だが今や軍隊は信用できない、そして酒もない――もう、どうしたらいいか分からないんだよ、アタシには――」


 そう言ったオリガの口に、何かが流し込まれていた。それは酒ではない。そもそも液体ですらない。人体で最も液体に近い固形物、それが舌だった。リチャードはオリガにキスをしていたのだ。彼女はどんなキツい酒を飲んだときよりカッとなって、彼を引っ叩いた。


「――すみません」


「すみませんで済むか、何してんだよ。テメー……!」


「分かっています。ですが今のアナタには何を言うより効果があると思ったからそうしたのです」


「必要だからだと? 乙女の唇を奪っておいてよくも――!」


「ですが」今にも銃を抜きそうなオリガの目を見てリチャードは言った。「私とて、寄りかからなければ生きていけない人間です――この言葉の意味が、分からないとは言わせません」


「……!」


「いきましょう。二人で……」


 それが、「行きましょう」と「生きましょう」の、その一体どちらの意味なのかは、彼女には分からなかった。しかし、彼は彼女に手を差し出して、彼女はそれを受けた。彼女は少しも酔っぱらっていないのに酩酊感を感じてすらいた。自分がどういう顔をしているのか分からなかった。にやけて、変な顔をしていなければいいのだが。


「おめでとうございます」


 しかし、そこに、場違いな声が聞こえて、そのフワフワとした感触は、たちどころに醒めてしまったが。


「ぎゃぁあっ⁉」


「うぉっ⁉」


 驚きのあまり叫んだ二人がその声の方を向くと、ドアが開いていて、そこにはいつの間にかエーリッヒがいたのだ。


「あ……えっと、違いましたか? 何かそういう雰囲気に見えましたが……」


「何を言っているんです。私がニキーチナ中尉と? 正気ですか」


「ああそうだぜ『坊や』。何を勘違いしたことを言って……大体、お前、休んでろって言ったろうが」


「ですから、延べ二十四時間でしょう? もうそれならとっくに休みましたし――それに、お二人の言いたかったこと、ようやく分かりましたから。」


 そう言いながらエーリッヒはじっと二人の目を見ていた。それは寸分たりとも揺れたりせず、じっとそのときを待っていた。


「……どうやら、本気らしいな」


 ため息を吐いて、オリガは立ち上がった。それから、ドアの辺りまで歩いていくと、そこにいるエーリッヒの肩の上に手を置いた。


「寝ぼけて足引っ張んじゃねーぞ。『坊や』。そんなことしたら撃ってやるからな」


「任せてください」


「帰ってきたら説教ですからね、人の恋路を邪魔するなんて」


「エンハンサーに蹴られて死んでしまえというんでしょう? 覚悟はしています」


「全く」


 そう言って待機室を出る二人に、エーリッヒはヘルメットを被りながらついていった。エアロックを過ぎれば減圧された格納庫、そしてその先には――戦場である。


 しかし彼らは知らなかった。


 この戦場が、彼らが三人で出撃する最後のものになるということを。


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