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第81話 ドツボ

 だが、エーリッヒ・メインにとって、戦う理由とはそのような高尚なものでは既にない。その殺意は、今、ただ一人の少年に向けられていた。


「もらったッ!」


 そう叫んだ先には、「白い十一番」を模した3Dモデル――そう、無論シミュレーションだ。先の戦闘のデータで、更に補強された彼は、幾分か手強い相手になっていた。しかしそれの背後に彼は旋回で回り込むと、ビームの一撃の下にそれを下した。


「もう一度ッ、最初から……!」


 打ち込むのは最もオーソドックスな対向戦である。お互いに向かい合った状態から接近し、ミサイルを撃ち合って、それをかわし、すれ違うと同時に旋回戦に入るのだ。


「ぐぐぐぐ……」


 シミュレーターでは旋回のGまでは再現されない。重力制御装置を利用すれば容易いのだが、省電力のためだ。しかしエーリッヒは確かにそこに遠心力を感じた。歯を食いしばり、彼は血流を下に下にと押しやるそれから必死になって耐える。


 とどのつまりは旋回戦とはそれがどこまで続くかの根競べだ。全身に力を入れる。HMDによって機体の端に表示される情報が黒ずんで見えなくなる。ブラックアウトだ。シミュレーターによるその再現だ。


 しかし、エーリッヒは敵を見失わなかった。AI(機械)らしく最大の旋回率を発揮する敵にも負けず耐えた。すると敵機は、その高い旋回率を維持するための補助スラスターのオーバーヒートで垂れ下がってくる。そして、射線の前に押し出す――今。


「これで……⁉」


 そうエーリッヒがトリガーを引いた、その瞬間だった。ぐにゃり、と世界が歪んだのだ。モニターが歪み、敵機が歪み、自分自身すらグニャグニャになってしまったかのような錯覚。まるで世界全てをゴム製に取り換えたような奇妙な感覚に、彼は耐え切れず目を瞑り、意識を手放してしまった。


「……?」


 それから目を開けると、モニターではなく白い天井がそこにあった。医務室だろう、と思ったのは、消毒された匂いがツンと鼻を突いたからだ。


「起きたか」


 その声を聞いて、オリガがすぐそこにいたことに気がついた。そちらの方を向くと、喋らないだけでリチャードもそこにいる。


「……どうして、」


「自分がここにいるのか、か? 分からないぐらいならそこで寝ていろ」


「?」どうしてそんな言い方をされるのか、エーリッには分からなかった。「でも時間がないんです、前線に到着するまでにあと十回は奴を倒さないと……」


「寝てろって言ったんだよ」


「ですが――」


「――足手纏いなんだよ、お前は!」


 オリガはそのとき場所も憚らず大声を出した。エーリッヒはそれに脅かされて、何も言えなかった。


「……見なさい、これを」


 黙っていたリチャードはそう言って手鏡を渡してくる。エーリッヒはそれを受け取って、そこに映る自分を見る。


「……何ともないじゃないですか」


「何ともない? これが? 冗談でしょう?」


 ――これだけ目の下にクマがあって。


 ――軽く、頬までこけているじゃないですか。


 そう言われて、エーリッヒは自分の顔に触れてみた。かさついた肌にはハリは当然なく、病人のそれと言われても遜色なかった。


 気づかなかったのだ、自分の顔など数年来まじまじと見たことはない。特にここ最近はずっと時間さえあればシミュレーターモードのコックピットに籠る日々だった。消灯後も動きの確認や筋トレをしていたから、気づかなくとも無理はない。


「でも、」しかし、彼は顔を上げるや否やそう言った。「それがどうかしたって言うんですか」


「……⁉」


「だって、敵はこうしている間も生きているし、何か策を練っているかもしれない。だったら、それと正面からぶつかり合っても何とかできるだけの能力を得ないと、本番で負けるかもしれないでしょ。だから――」


 パン、という乾いた音がして、彼の視界は左に大きく揺られた。頬を打たれたのだ、と気づいたのは、その勢いのままベッドに沈みこんだときだった。


「な……⁉」


「どうして、こうされたのか分からねえって顔だな」口を開いたのも打ったのもオリガだった。「だったらもう一発いくか? アタシはそれで構わねえけど、ぶたれた程度でベッドに倒れ込むような奴にあの『白い十一番』は倒せないと思えるが?」


 煽るような彼女の物言いに、あっさりエーリッヒは焚きつけられた。


「今はまだ努力が足らないので、無理です。ですが、」


「……阿呆が!」オリガは吐き捨てた。「足らないのは休息だ。休む時間だ! 今のアンタじゃ出撃中に気絶するのがオチだ。それが分からないのか⁉」


「でも、その間にもあのパイロットは、」


「休んでいますよ、きっと。だから……」


「だったら、だからこそ今の内に努力することが必要なんじゃないですか、僕は……!」


 そう言って、立ち上がろうとエーリッヒはした。しかし床に足をついても力が入らず、彼は床に打ちひしがれてしまった。


「う……」


「それが、」それを見下ろして、否、見下してオリガは言った。「今のアンタの状態ってやつだ、この状態でアンタが戦いに出てもむざむざ死にに行くようなもんだろうな」


「でも、それでも僕は、」床に手を突く。しかしそれは足と同じでまるで木でできた模造品のように言うことを聞かない。疲れ切っているのだ。「あの機体を倒さなくてはいけないんです。それは分かるでしょう?」


「何故、そこまでこだわるのです。この前は包囲して倒すと決めていたではないですか。それで充分ではないですか」


 そのリチャードの発言に、エーリッヒは淀みなく答えた。


「それだけでは、ダメだからです。」


 エーリッヒはそう言いながら、脳裏に前回の失敗の光景をフラッシュバックさせていた。あと一歩のところまで来た「白い十一番」が狙いの中をすり抜けて、代わりに飛び込んできたもう一機に武装を破壊され――


「そうして、僕たちは失敗したんだ。だからあの機体の僚機一つしか倒せなかった」


「だが、それはあの敵機が『白い十一番』より手練れだったからで」


「そんなの、言い訳に過ぎないでしょ⁉ そのせいで今もあの『白い十一番』はのうのうと生き残っている。こんなことがあっていいんですか⁉」


「…………」


 オリガたちはその剣幕に押し黙るしかなかった。


「少佐は、僕のせいで死んだんだ。どれだけ言われたってアレは僕の責任で……僕が何とかしなければならない代物なんです! だから……!」


 その言葉は彼に力を与えたようだった。枯れ木よりも生気のない手足に血が通っていくように、眩暈を振り切って、彼は、関節から音が出るほどゆっくりとであるが、立ちあがる。


「だから、僕はこうして戦わないといけないんです。戦って、勝たないといけないんです。でなければ、今までしてきたことの意味がなくなる。無駄にするわけにはいかないんだ、そうでしょう⁉」


「……そうですか」


 リチャードは、しかし、そのとき誰よりも冷酷になれた。


「では上官として命令します。延べ二十四時間の睡眠を取らない限り、アナタの出撃は認められません。」


「え……」


「今、アナタはドツボにハマっている――そうであると自分では分からないほどに。なら、私たちには一度離れさせる以外の選択肢はありません。」


「ま、」エーリッヒは思わず縋り付こうとした。「待ってください。じゃ、じゃあ僕に乗るなとそう言うんですか」


「そうです」


 譲歩の余地のないその態度に、エーリッヒはたじろいだ。


「そんな……ニキーチナ中尉は、どう考えているんです。」


「悪いが、これはアタシら二人で決めた意見だ。そういうわけだから、アタシに頼られても困るね」


「そんな……そんな!」


 彼の行動は最早、縋り付「こうとする」程度のものでは済まなくなった。オリガに彼はしがみつきにかかったのである。しかしその寸前、リチャードがエーリッヒの足を蹴飛ばした。エーリッヒの膝はその圧力に耐えかねて、彼は音を立てて床に転ぶ。


「ウッ……?」


「――これ以上駄々をこねるなら、独房行きは覚悟してもらう! ……いいですね?」


 リチャードにしては珍しい強気の物言いに、エーリッヒは黙る他なかった。彼は今度こそ立ち上がろうとする意志すら奪われて、ただ立ち去ろうとする彼らを見送ることしかできなかった。


 そうして、打ちひしがれて……暫く経って、ようやく肌寒さが彼にもたらされた。疲れ切ったままの体を動かして、布団に着く。とにかく寒い。きっと熱が出て来たのだ。


(こんなことで……)


 彼には、自分の弱々しさが恨めしく思われた。布団に体温が伝わるまでの冷たさと同じぐらい憎らしい。しかし目を閉じてそれを眠りの中に消し去ろうとしても、眠ることができないのだ。反対に目が冴えてしまっていた。


 その原因ははっきりしている。上官二人の取り付く島もない態度のせいだった。腹立たしいというよりは、納得がいかないというか、嫌、なのだ、端的に言えば。


(――分かっている。これは僕の子供っぽい駄々なのだということは。)


 つまりそれはそういうことだった。だがだからこそ引けなかったのだ。エルナンド・ヴァルデッラバノは彼にとって憧れの対象であり、命の恩人であり、その恩を仇で返した相手である。その命を奪った相手を殺さねばとてもではないが釣り合わない。


(しかし)エーリッヒの考えはそこで立ち止まった。(それは二人とて同じはずだ、だのにどうして二人は僕の邪魔をする?)


 まず思い浮かんだのは彼らこそ自らの手で討ちたいのだという意識があるからだろう、というものだった。


 しかし、彼らはただ休めとだけ言った。後方送りにする方法だってあったはずだろうに――それこそ彼らが言ったように、無理やり独房行きにしてしまえば決戦までは動かせないはず。


 だのにそうしない。


 何故か?


 それが彼には分からなかった。こういうときこそ、発想を逆転させる必要があった。彼を完全には排除しない必要があるのだと仮定して、考えを進める必要があった。


(『白い十一番』に対して数的優位を取るため?)


 ――否。ならば初めから彼を戦列の中に加え入れているはず。


(権限の問題か? 彼らだけでは僕を排除できない?)


 ――否。ならば命令などに意味はない。軍医に抜け出さないよう言えるぐらいなのだから、独房送りには充分なはずだ。


(だとすれば――)


 温情、だろうか。


 二人なりの、アラモ隊としてのそれ。


 彼の体を思いやる――それでいて、気持ちも慮る。そういうことなのだろうか。


(そうか――これが、ドツボだったのか。僕は、あの敵にこだわるあまり、それ以外のことに目を向けてはいなかった)


 だが、一人では生きていけない。


 戦い抜けないのだ、この世界を。


(なら、僕はもう、あの敵にはこだわらない。あの二人のために戦おう。それが僕のするべきことなのだから)


 そう決めたところが、彼の限界だった。瞼が重くなり視界に垂れ下がってきて、次第に、閉じて、眠った。


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