第8話 悪夢(のような現実)
「⁉」
ユーリはそのとき布団から飛び起きた。それから自分の見ていた夢が、瞬きの裏でもう一度再生されて思わず身構えたが、それはむしろ手足の存在と、無事帰りついて着替えたのだという昨日の実際の出来事を思い返させるだけのことだった。辺りを見渡せば、狭くて汚い下宿の、自分の部屋である。エンハンサーのコックピットなどではない。
いや、そんなことよりも。
この、窓を震わせる不協和音は。
空襲警報――なのか!
「クソッ」
彼はそう悪態を吐くと、ベッドから飛び出して、手近にあったカーディガンを羽織った。着替えている時間はないからだ。そのままドアを開け、外に出た。まだ二階から見える空は暗い。にもかかわらず、路地を寝間着姿のまま急ぐ人の群れが、コロニーの中心から伸びる支柱の影の下で蠢いている。その上、ここ最近気象局が風を強く設定しすぎなせいもあって、酷く寒かった。
「シャーロット! いるのか、シャーロット⁉」
その凍える寒さの中を彼は歩いて、そう言いながら隣のドアをドンドンと叩いた。返事はない。地面が軽く揺れた。何故? プレートテクトニクスや断層とは無縁のコロニーだぞ?
「シャーロット……!」
しかしそれでも彼はドアを叩き続けた。二回、三回――もう一度声を出そうかと思ったところで、中でゴトンと音が聞こえた。それが段々と大きな音になり、それで足音なのだと彼にも分かった。
「――ユーちゃん⁉」
ドアが開くや否や、やはりまだ寝間着姿のシャーロットが顔を出した。髪も乱れたままだったので、こんな状況だというのにユーリは思わずドキリとした。
「起きてたか、すぐにシェルターに行くんだ」
それを誤魔化すように(誰に?)、ユーリはシャーロットの手を取って歩き出した。体温が伝わって、彼は手汗をかいた。ずっと流れているサイレンの不気味な音が、尚更不快に感じられた。
「何? 何の音なの、これは?」
「空襲警報だよ」
「空襲? 何で?」
――戦争は。
起こらないんじゃなかったの?
「ッ、」そう言われて、ユーリは少し苛立った。「分からないよ、そんなことは!」
ユーリたちは階段に差し掛かった。錆の浮いている金属製のそれにトントンと音を立てさせる最中に、地面は一際大きく揺れた。走る足音からも悲鳴が上がる。
「キャァッ」
まだ階段の半ばだった。そこから彼らは弾き出され、宙に浮いた。しかし、人工重力はまだ生きているようだった。ユーリがシャーロットを庇おうと考えるより早く彼は下敷きになって思わず悲鳴を上げてしまった。
「グッ……」
「ユーちゃん! 大丈夫⁉」
シャーロットの声で、彼は目を開けた。まるで彼女に押し倒されたような恰好になっていた。
「ごめん、アタシ……!」
「大丈夫だから、それより、早くシェルターへ……」
ユーリはそのセリフを言い切ることができなかった。急いで立ち上がる彼女の、その背後を見てしまったからだ。
シリンダーの先端。宇宙港のある一番大きな隔壁に、爆発が起こったのが見えたのである。
「な、ああッ……⁉」
振り返ったシャーロットが小さく悲鳴を上げたと同時に、爆発音が遅ればせながら聞こえた。爆煙が一瞬だけ立ち上り、しかし自らが生じさせた流出する気流によって萎む――それより速く、四つの高速飛行物体はコロニーの中に押し入ってきた。
「走るんだ、シェルターに!」
それが何であるかを言わずに、ユーリは立ち上がるや否やシャーロットの手を引いて非難する人混みの中へ走り出した。彼女は一瞬戸惑った様子を見せ、数歩の間は転ぶような走り方だった。
「ユーちゃん、」人混みの中の一人にぶつかって足を取られながら、彼女は言った。「何なの、これは⁉ 何が起きているの⁉」
「いいから走るんだ! 喋っていないで……!」
返答するためにユーリはそのとき振り返った。困惑色の顔色のシャーロットの後ろに、目一杯の黒い影が見えた。
「! 危ないッ」
ユーリは反射的に繋がりあっていた腕を思いっ切り引っ張った。勢い余ってシャーロットはつんのめって彼の体に飛び込むような姿勢になってしまうが、その着地までの僅かな時間に彼は体勢の上下も入れ替えた。それとほとんど同時に、その巨大な影たちは彼らの頭上を通過し、急降下から急上昇へ転じる。
「居住区で低空飛行……⁉ プディーツァ軍は戦争犯罪をやろうというんじゃないのか⁉」
近くの誰かがそう言ったのを聞きながら、そのドップラー効果と共に遠ざかっていく音を見上げた。彼らの入ってきた穴からは、また別のエンハンサー隊が追尾をかける。しかしそれは彼らにとって友軍ではないようだ。前を行くエンハンサーの編隊はすぐさまそのことに気づくと、鋭く背後からの射撃を、支柱を生かして個々にかわしながら、攻撃的に旋回していった。
「今だ! 今の内にシェルターへ……!」
蝿の群れのようにお互いを追いかける彼らは、人工の大地にいるユーリらに気づく様子は今のところない。それに気づいた彼は格闘戦から視線を切って、彼に押し潰されて伏せたままのシャーロットを引っ張って起こそうとした。しかし上手くは行かなかった。彼女は未だ上空の様子に目を奪われているらしかった。
「……シャーロット! しっかりしろ、おい!」
ユーリは彼女の肩を掴んで揺すった。それでようやく彼女は少し正気を取り戻して彼の方を見たが、その唇は酷く震えていた。
「ゆ、ユーちゃん、どうしよう、どうしよう……」
「立つんだ、立って歩いて……シェルターまであと少しだから!」
それは励ますため苦し紛れに吐いた嘘ではなかった。本当にあと百メートルもない位置にあるのだ、その証拠に往来で座り込む彼らを迷惑そうに見ながら通り過ぎる人の数は多かった。
「でも……」
「でも、何だよ?」彼は彼女の言葉を遮った。「こんなところじゃ、本当に……!」
「立てないの。アタシ立てないよ!」
しかし彼女にそう言われて、え、と声を出しながら、ユーリは彼女の足を見た。すると彼女の履いているサンダルから見える足首が少し腫れている。さっき伏せたときだ、と彼はすぐに直感した。彼女はその咄嗟の動きに対応しきれなかったのだ。
「でも」そのとき、また上から爆発音が聞こえて、ユーリは反射的に肩を竦めた。「こんなところにいたら死ぬぞ⁉ 敵に撃たれて……いいから立つんだ!」
「敵って……敵って何なの? 何でアタシたちが狙われているの⁉」
彼はシャーロットの言葉は無視した。そんなことをしていたのでは押し問答だ。その代わりに彼女の脇に体を押し入れると、そのまま立ち上がると彼女は苦悶の声を上げる……が、そのまま、人波の中をかき分けて前へと進む。
シェルターに近づくにつれて段々とその間隔は狭くなって、速度は落ちていく。狭い市街地のど真ん中に入り口なんか作るからだ、と彼は考えた。出入口まであと曲がり角一つというところでは人がぎっしりと詰まっていた。引き返すか、と振り返った瞬間、彼らは後ろから来た人たちに押し潰された。
「うあっ」
その声が自分たちのものだったのかさえ、この密度の中では分からない。ユーリはシャーロットとはぐれないよう彼女を強く抱いた。少なくとも、押すな、という声がそこら中で聞こえる。その背景に戦闘音。それが妙に近く感じられた、細かく、何の音がどこで鳴っているのか手に取るように――。
「――こっちに来るぞ!」
その声がどこからか上がった瞬間、ユーリは空を見上げた――その目の前を何かが高速で通り過ぎた! ……それは果たして超音速の対エンハンサー・ミサイルだった。その航跡から少しズレた後方に人型のシルエット。それは樽の側面を沿うような軌道を描く途中だった。後ろを取られたエンハンサーが成形炸薬弾頭を辛うじてバレルロールか何かでかわしたのだ、と彼は理解した。
しかし問題はそこではない。
それは三つ。
一つは、回避されたミサイルが地表のクラッターを自らの目標だと勘違いし、彼らの方角に近づいてくること。
もう一つは、そのエンハンサーが旋回の頂点、即ち上昇から降下に移る瞬間でふらついたこと。
最後の一つは――その狂った胴体の動きが、真っ直ぐミサイルの描いたそれを追いかけたということだった。
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