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第68話 たった、それだけのもの

 耳をつんざく大音量。それは軍隊らしい荘厳さのあるファンファーレ。生演奏でないのは、単に戦時で人を用意していられないからだろう。


 それが鳴り響くのは、「ルクセンブルク」格納庫。


 そこにユーリはいた、オイゲンやサンテと共に。


「フロントライン、及びダカダン、ジンスクの英雄に、敬礼!」


 それに負けじと整列しているのが、軍隊向けの宇宙服を着た兵隊たちだった。その先頭の一人――階級章を見分けられるほどユーリは目ざとくはないが、明らかに今まで接してきた軍人の中では最上位の――が、そう叫んだのだ。


「な、」その中でオイゲンは明らかに狼狽していた。「何の騒ぎだ、これは」


 その質問を、例の将校――否、将軍は無視した。


「貴官らは、敵に包囲された困難な状況から他の民間人を救出し、一人も害することなく脱出した。この戦功に敬意と賞賛を表すため、ドニェルツポリ軍は勲章を授与する! ……オイゲン・エーベルバッハ()()!」


 反対に、彼はオイゲンの名前を呼んだ。軍人の悲しいサガとして反射的に、オイゲンは、は、と返事をしたが、それでは不足だったようだ。将校はジェスチャーをして、目の前に来るように、と示したらしかった。オイゲンは慌ててそれに従って、正面まで移動した。


「おめでとう中佐。」そこに、将軍は全体向けのマイクを切って、オイゲンに囁いた。「よくもこんなおんぼろ輸送艦で生きて帰ってきた。参謀本部にもその功績は伝わっているぞ」


「お言葉ですが中将閣下、」だが、オイゲンには腑に落ちないことがあった。「自分は大尉であります――この艦は輸送艦であって、現状宙母ではありません故」


 そう答えると、将軍はオイゲンの倍は不思議そうな顔をした。


「何、まだ辞令を受け取っていないのか?」


「辞令、でありますか?」


「見ていないならば今言うが、この艦は今後宙母として正式に運用される。それで貴様は中佐にする必要があった。他の艦と合わせねばならないからな」


「それは……初耳ですな」


 記憶にある限り、そんな辞令はまだ受け取っていなかったはずだ。戦闘中で量子通信を確認する余裕がなかっただろうか? ……可能性はそのぐらいだった。


「ま、よい。」ミスに青くなるオイゲンをよそに、将軍は寛容だった。「後で正式な辞令をもう一度渡す。励めよ」


 将軍はそう言いながら肩をポンと叩く。それから一歩下がって敬礼して、それが下がれというジェスチャーの代わりだった。オイゲンは同じく敬礼を返し、それに従う。


 だが、内心はその確固たる足取りとは裏腹に二つの理由で浮足立っていた。


 まず一つ目には、恐れがあった。


 いきなりの二階級特進に、艦長拝命である。それは、それだけ責任や要求される能力が増すということでも、ある。そうなればゲームのようにミスをしたらもう一度元のレベルに逆戻り、というわけには行かない。ゲームオーバーとは、この場合戦死を意味するからだ。


 だが、同時に、自分の手でつかんだ栄光という麻薬に彼は酔いしれていた。自分以外の誰にこの勲章を得ることができただろうか? ハンモックナンバーで踏ん反り返っていた連中に、これだけのことができただろうか? ――否、できやしなかっただろう。ざまあみろ、ということだ。


 その相反する感情をオイゲンが味わっている間に、サンテの勲章授与はオイゲンのそれに比べてあっさりと、しっかりと終わった。その辺はそつなくこなすのがサンテという男のありようだった。


 問題は、次だった。


「次――ユーリ・ルヴァンドフスキ!」


 将軍が、大声で最大の問題児の名前を呼んだ。しかし、やはりか、返事がない。


「ユーリ・ルヴァンドフスキ! ……いるのだろうが! 何故返事をしない!」


 将軍は、今度は最後の一人の方を明らかに注視してからそう言った。その声色をマズいと思ったオイゲンはサンテの脇腹をつつき、そのサンテがユーリの脇腹に同じことをして、それから睨みながら耳打ちをした。


「おい、クソガキ。流石にこの場で癇癪は起こしてくれるなよ。相手はお偉方なんだぜ?」


「ですが、」それに対して、ユーリは睨み返した。「僕はあんなもの欲しくはないんだ。それじゃいけないんですか」


「授与だ。欲しいか欲しくないかじゃない。ただくれるだけだ。受けとっておけよ」


「それでも受け取りたくないって、そう言っているんです」


 最初こそひそひそという声ではあったが、それが口喧嘩であるからには、クレッシェンドのかかったワンフレーズには違いなかった。


「何だ、何を話している⁉」


 痺れを切らしたのは将軍だった。それに促されてユーリが口を開こうとしたのが、サンテには見えた。


「よせって」


「自分は、」そのサンテの制止を一歩前に出ることで振り切って、ユーリは答えた。「そのようなものを受け取るために戦ってきたのではありません。なので、受け取るつもりはありません」


 隣の二人が頭を抱えるのを横目に見てから、ユーリはしかし真っ直ぐ将軍の顔を見ていた。


「受け取らない、だと?」


 彼は心底不思議そうな顔をした。まるで、貧乏な子供に金をやろうとしたら断られたときの大富豪のようだった。


「そうです。自分にはそれの価値は全く分かりません。そんなことより、自分をこの戦争から解放してほしいのです。もう戦いはうんざりだ。怖いのなんか嫌なんですよ!」


「何を言っているのか、貴様はもう軍人であろうが。それは認められん」


「軍人なものか! 僕は民間人で、一般人で沢山だ! 殺し合いなんかもうしたくないんですよ!」


「……エーベルバッハ中佐。」中将はこれ以上ユーリに関わってもいいことはないと見たらしかった。「これはどういうことか。彼は何と言っているのだ?」


「は……少々神経過敏になっているようでして、何とも……」


「そういうことではない。民間人協力者は兵器を扱った時点で民兵として我が宇宙軍に加えいれられている。この様子では伝わっていないようだが?」


「……」


 ユーリは訝しんだ。民兵? エンハンサーに乗ったあの時点で?


 困惑するユーリを尻目にオイゲンは恭しく報告した。


「は、何分、その担当者が戦死したもので、彼が何と伝えたのかは不明ですので……」


「そう、であったな……ゴルツ少佐とかいう……」


「ッ、」そう言えば、言われていたような覚えがある。「ですが、正規兵ではないでしょう! ですから!」


「だが」一縷の望みにかけたユーリの行動は、無意味だった。「例外を認めることはできない――何しろ君は今や五機以上撃墜のエースだ。天職だと思うが?」


 天職――人殺しが?


 ユーリはその論理に、怒りのあまり固まってしまった。全身の毛が逆立つのを感じ、人間が理性で本能を飼いならしている動物であることを思い出した。


(そんなことが、あってたまるか。僕は、そんなものになるために生まれてきたんじゃあない。僕は、僕は――)


 何になりたいのだったか。


 ユーリはそのときこそ驚いた。彼は、自分が何になりたかったのか思い出せなくなっていた。えっと……そうだ、歴史家だ。それで、歴史家とはどうなればいいのだったか……?


 どうすれば、いいのだったか。


 それが何一つ分からなくなっていた。以前とは違う。今までは未来に対して漠然とした計画や希望があって、それに従って生きて行けばよかったが、今はそうではない。ただ戦争があって、それが未来へ影を落として、一寸先も見えない状態にしてしまっている。それに恐れをなしてユーリは一言たりとも口を開くことができなかった。


「ともあれ、」しかし、その沈黙を中将は黙認と取ったらしい。「君の功績になしのつぶてでは、軍としては申し訳が立たんのだ。ここは一つ、もらっておいてくれ」


 そう言って、中将は一歩前に出ていたユーリの手の中に一つのバッジを握らせた。それは、小ささにしては重かったが、それだけであって絶対的には軽かった。


 たった、それだけのものであった。


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