第66話 ノヴォ・ドニェルツポリ
ノヴォ・ドニェルツポリ。
量子航法の航路の中心地にして現在はドニェルツポリ共和国の首都となっているこの星系は、かつては革命評議会政府の首都としてその名を知られていた。まだ人類がアインシュタイン・フィールドを利用した超光速航法にのみ頼っていた頃である。
地球から何十光年も離れているそこは、未だ辺境の一植民星に過ぎなかった。
地球による収奪的支配は昔のことだったのだが、古きよき共産主義を掲げた革命家たちによって政治的対立が生じた。そこから反乱が発生し、最終的には独立を勝ち取った。
それから何十年もかけて未開拓宙域を開発していき、今のプディーツァからドニェルツポリその他の共和国を内包する、地球連合に匹敵する規模の多星系国家に成長したのだ。それが革命評議会政府である。
その当時はまだただのドニェルツポリとだけ名乗っていた。のちにプディーツァ連邦の首都星系となるムゾコンへ遷都してからもだ。しかし、今のドニェルツポリ共和国の前身となった同名の行政区と紛らわしいということもあって、区別のため非公式にノヴォ・ドニェルツポリと呼ばれていたのである。それが独立戦争を経て、正式にその名前を冠することとなったのである。
その古都に、その独立戦争の遠因と言われる艦「ルクセンブルク」が、今ゲートを通って現実世界に帰還した。彼女は左前方部のブロックを大きく破損しており、人間で言えば脇腹に9ミリ弾を受けたかのような姿勢で、よろよろと入港しようとしていた。
「入港管制へ。こちら仮設宙母『ルクセンブルク』。帰港と修理を要請する。本艦のサイズに合うドックまで誘導されたし。本艦は対艦ミサイルにより被弾している。」
しかし、その艦長たるオイゲンが見る限り、辺り一面は被弾艦ばかりであった。ドックがそのほとんどがジンスクからの撤退組だろう。その前は方々の星系で戦闘をしてきた艦であり、命令に従って後退してきたのだ。
が、それはあくまでも名目上である。
上からの命令があったところで、逃げ出したその背中を撃たない理由は敵にはない。撤退戦というのは最も厳しい戦いなのだということは、追う側にしてみればこれ以上ない最高の戦闘形式ということになる。
「こりゃ、ドックに空きはないな……」
オイゲンはそう呟いた。ノヴォ・ドニェルツポリがいかに大港湾都市であるとしても、これほどまでに損傷艦が大挙してきたのでは、たとえ民間のドックを接収してもまだ足らないだろう。
とすれば、当然の帰結として、損傷が少なく自力航行可能な艦はどう考えても後回しだ。戦闘能力の低下も対空砲が一部使えないというだけのことで、宙母として致命的な部類ではない。
最悪、自前のダメコン班に土下座して復旧してもらうか……と、オイゲンが覚悟したところだった。
「『ルクセンブルク』、こちら入港管制。三番ドックへの接岸を許可。誘導艇を回す。待機せよ」
それは予想外の好返答だった。オイゲンは一度目を丸くしたが、すぐに持ち直し了解した旨を伝えるよう通信兵に言った。
「そりゃ、いいが……」オイゲンは副官のヴィクトルの方を見た。「日頃の行いかな?」
「いえ、」だが彼は無感動に答えた。「宙母は最優先で入渠するようにということでしょう。曲がりなりにも宙母と名乗ったのが利きましたね」
「馬鹿、そんなことは分かってんだよ。少しは上官のジョークに乗れ」
そのオイゲンの叱咤をヴィクトルは無視した。
「しかし、宙母だけを最優先というのは、薄ら不気味なものを感じますね」
「不気味? ただの順番だろ。貴様の考えすぎだ、コルト」
「その順番を考えるなら、補助艦の、損傷が軽微なものをこそ優先して修復すべきです。そうしなければ艦隊全体の戦力が維持できない」
「そりゃ……」一瞬だけ、オイゲンは考え込んだ。「それだけ時間がないってことだろ。フロントライン以来、俺たちはずっと逃げ回ってるんだぞ? 首都防衛を考えるなら、補助艦よりは主力艦を優先したくもなるだろうよ」
フロントライン。
その単語は、この場合前線を意味するものではない。フロントラインという名のコロニーがあり、そこから彼らの旅は始まったのだ。
そう、それは過去形で語られるべきものである。
もう、それはこの世に存在しないコロニーなのだから。
「それは」そして、そこからダカダン、ジンスクと二星系もの距離も逃げてきた。「そうでしょうね。他の戦線でどうかは分かりませんが、今や首都まで下がらねばならない状況ですからね……」
「ひょっとすると、それどころじゃ済まないかもしれんぞ」
「? というと?」
「首都に敵軍が大挙して来ているんだぞ? あの役者上がりの大統領に踏み止まってどうにかする根性があると思うか?」
「ああ……そういうことですか」
エンラスクス大統領と言えば、芸能界出身ということで有名だった。当然、その美貌から来る人気は凄まじく、就任直後の支持率は何と九十パーセントにも達した。
しかし、それは前任者がプディーツァ寄りの大統領であったからである、と評価すべきだったのだろう。巧みな演説や演出能力こそ衰えはしなかったが、その一方で実務能力は決して高いとは言えず、対プディーツァ政策以外の確固たる政治信条があるわけでもなかったために、これといった政策を実現させることができなかったのだ。
良くも悪くも、ポピュリズム的な大統領である。
その戦前の印象から言えば、よくて首都機能の移転。最悪降伏まであり得るのだ。
「そうなれば、我々は皆失職ですね」
「それで済むならな……何しろ俺たちはフロントラインの虐殺の目撃者だ。政治委員に消されかねないぞ」
政治委員というのは物の例えだ。実際には戦犯裁判の裁判官ということになるだろう――全てプディーツァ人の、だ。
「嫌な時代、ですね」
「ああ、本当に」
オイゲンがそう言った頃、丁度誘導艇が「ルクセンブルク」の前に陣取った。それに従って、艦は移動を始める。
しかし、彼らは知らなかった。
彼らごときの想定など、宛てにはならないことを。




