第61話 幻覚からの逃走
だが、その光芒の中にいる当のユーリにとってはそんな穏やかなものであるはずがない。
第一次攻撃隊を捌かねばならなかった。
『来るぞ!』
対エンハンサー・ミサイルの雨をその声と共にユーリは回避する。カウンターメジャーを射出――それでも避け切れないものにはバルカンを浴びせると、推進器をそれは破壊され、条約に従って入力されている信号に従って自爆する。
その爆発の影から、敵の攻撃機は突進してきた。彼はビームを浴びせるが、正面装甲に阻まれて撃墜には至らない。そのまますれ違う形となった。
「逃がさない……!」
気迫と共にユーリは旋回を打った。攻撃機は直進する以外にない。旋回しても振り切れない重量だからだ。速度で振り切る以外ない。
しかし、その瞬間、彼の機体にアラートが響いた。攻撃機の後ろの直掩機に引っかかったのだ。ならば、最初の機体は囮――ユーリは攻撃機を諦めて旋回戦に入った。急旋回を打って、敵弾を回避。
しかし、敵機までは振り切れなかった。
「チィ――ッ」
旋回円の内側に入られたので、反対に切り返して射撃をかわす。まだ食いついてくる。それをもう一度切り返す。ローリングシザースという機動だ。適度に減速を入れて敵機を押し出そうとしたのだ。しかしそれでも敵機は涼しい顔をして貼りついている。押し出すどころか、むしろ適距離まで近づかれる有様だった。ロックオン警報が鳴り響いた直後に射撃。全身が硬直し、世界がスローになる――がまだ生きている。掠った程度で済んだようだった。
しかしユーリの弱点はそこにあった。耐G訓練が不足していたために、長く激しい機動が打てないのである。その上体力自慢ということでもなければ肝っ玉があるわけでもないから、一旦劣勢になれば立て直せないのである。
だから敵機はもう一度理想的な射撃角度を得る。
が、近い。
「うゥぅッ」
それをユーリは待っていた。彼は機体のスラスターのほとんどを旋回するためだけに使った。機体の限界旋回だ。激しいGが彼を苛むが――だから一瞬だけしか持続できない。つまりそれで振り切れなければお終いだった。あるいは彼が気を失ってしまえば。
ユーリはそうなる寸前のブラックアウトしつつある視界で前を見る。ただでさえ白黒の宇宙が狭まって真っ暗――その下の方から敵機がするりと前に飛び出した。成功だ。敵機は見失って押し出されたのだ。
「落ちろ……!」
ユーリはすぐさまトリガーを引く。ミサイルランチャーにそれは命中して、強かな爆発を敵の背面に生じさせた。それで姿勢が狂った敵機はスピンに入る。あとは、ユーリにもどうにでもできた。照準を合わせて、トリガーを……
『殺した……の?』
そこに、彼は幻聴を聞いた。頭の中にシャーロットの幻覚が割り込んできたのだ。首を振って、その残響を彼は消す。が、その間に敵機へ向けた照準は逃げられてしまう。彼は旋回したそれをもう一度深く旋回することで追い詰め、もう一度照準サークルに収めた。
『そんな残酷なこと、ユーちゃんにできるはずはない!』
しかし、今度は幻覚すら見えるようだった。裸の彼女が、手首から血を流しながら、照準の前に居座る。どかしてもずらしてもそれは残り続けた。それだけではない。その幻覚は彼に気づくとその方を向いて、後ろのものを守るように両手を広げた。
「黙ってくれよォッ」
それを振り払うように、ユーリは連射した。しかし適切なタイミングはとうに過ぎていて、敵機は機体を捻ってダメージを左足に限定してみせた。タイミングが遅くなった分、着弾点が後ろに逸れたのだ。
が、彼女の幻覚はその程度では済まなかった。
ビームに貫かれて、彼女の左足が対応するように爆発したのである。
「……!」
やけにリアルな幻覚だった。血がそこら中に飛び散って、彼女は悲鳴すら上げた。骨が見えるほどぐちゃぐちゃになったそこを引きずって、彼の方を睨みつける、攻撃的に。
「何だ……何だよ!」それに、彼は狼狽した。「撃たなきゃ僕が死んじゃうんだよ! 仕方ないだろう⁉」
幻覚は何も言わない。ただ今にも耐えそうな呼吸をして、彼を糾弾するばかりだった。
「……勘弁してくれよォ!」
彼はそれを打ち消すためにビームライフルを構えた。無論、さっきの敵機にだ。片肺で操縦が困難になっている相手になど、外すはずはない。幻覚はそれでも睨みつけていたが、その眉間に彼は無慈悲に砲身を突きつけ、引き金を引いた。すると彼女は頭から何もカモを噴き出して四散する――それを敵機に言い換えれば、コックピットに直撃して、そのまま分解していったのである。
「ハァッ、ハァッ……仕方ない、仕方ないんだ。生きるためなんだから……ウッ」
その瞬間、彼の胃は反乱を起こしていた。激しく咳きこんでも何も吐き出せるものがないのか、胸部のプロテクターが狭いコックピットのせいで食い込むばかりで、酸っぱい感覚だけが喉元を支配するに過ぎなかった。
それは一瞬のことだったかもしれない、だが彼はその間直線の軌道を描いてしまっていた。敵はそれを見逃さなかった。瞬時にレーダー警報。ミサイルが二発来る――。
「ッ……」
それを旋回でかわした先に、荷電粒子が飛んできた。激しい衝撃。それが分かるということはまだ生きているらしい。予測の甘い分だけその弾は逸れていたが、彼は機体表示を見て凍り付いた。当たったのは背面上部。それがもう少し下だったなら――彼の命はなかっただろう。
「い……やだ」
それを自覚した瞬間、ユーリにはもう何も分からなくなった。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だァっ」
『ユーリさん⁉』
すれ違ったノーラ機からの音声も無視してスラスターを全開にして、急加速。敵機は一瞬それに惑わされたが、直線機動であるとすぐに見抜いた。ビームがまたも掠って、機体を揺らす。
「ヒィっ」
直線ではいけない。旋回だ、旋回――ユーリは今度は狂ったように操縦桿を引いた。すぐさま機体は彼に死ぬよりもキツいGを与え、意識を一瞬奪う。
「ウグッ」
それは彼に再び直線運動を取らせるのに充分すぎる苦痛だった。ハッとして振り返ると、まだ後ろにエンハンサーが見えた。ひッ、と声を上げて、ユーリは再び旋回に入ろうとした――が、先ほどの苦しみが頭をもたげ、ビクッと震えるだけで何もできない。
『ユーリさん? 聞こえますか?』
しかしその声は彼には聞こえていない。全てが敵に見えている彼は、機体を振り返らせて反対にそれをロックオンしようとするが、何故かIFFに阻まれてできない。それが更にパニックを助長した。
「ウゥッ……!」
そこになおもその機体は迫る。しかし撃たない。何故? その疑問が頭を駆け巡るが、敵だというのにそれを撃つことは機体が拒んでいた。それも何故? 疑問の津波に押し流された彼の思考はついに機能停止し、覚悟と共に目を瞑る――。
『私です、ノーラです!』
が、それは無駄だった。ただそれは彼の機体に接触しただけなのだから。
「え……?」ここで、彼はようやく声そのものに気がついた。「カニンガム少尉……?」
「さっきからそう言っているでしょう⁉ 大丈夫ですか?」
「じゃ、じゃあ敵機は……」
「とっくの昔に追い払いました。あの急旋回、きつかったでしょう」
一瞬気絶したあのときだ、とユーリは直感した。とすればその前にすれ違った彼女が急いで追いかけにきたのだろう。彼はそれを撃ってしまうところだったのだ。
「すみません……」その事実に気づいた瞬間、ユーリの手は更に震えた。「後退します。帰還したいんです。させてください」
コックピットが広ければ、彼は迷いなくヘルメットを脱いでいただろう。あるいは、自分の体を抱き締めて震えていたことだろう。いずれにしてももう戦える状態に彼はなかった。
が、ノーラの返答は冷淡だった。
「それはできません。敵の増援が来ているんです。迎撃しなくては」
「でも、おかしいんですよ。こんなのいつもの僕じゃあない。このままじゃ死んでしまう」
「しっかりしなさい!」それはノーラにしては大きな声だった。「それどころじゃあないんです! 敵機を落とさないと、帰る場所自体がなくなってしまうんですよ!」
「分かっています、分かっていますよ、でも……」
「! 危ない!」
ノーラはそこで機体の腕で彼を突き飛ばして接触を断った。その間をビームがすり抜けていく。新手の敵機だ。
「敵はそんなことに構ってくれはしないでしょう! こうやって……!」
ノーラは近づく敵機へ、ビームサーベルに持ち替えながら向かっていった。射撃戦になると踏んでいた敵機は判断が遅れ、ようやくサーベルに持ち替えたところでその手を切断された。
「降りかかる火の粉を払いなさい……ユーリ・ルヴァンドフスキ!」
しかしそうして振り返ったそこに、果たしてユーリ機の姿はなかった。
逃げたのだ。
しかし彼女は慌てずにIFFで特定しようと試みた。遠くには行っていない。その証拠に彼女はすぐさまそれに追いついてみせた。
「ユーリ・ルヴァンドフスキ! アナタは自分の責任から逃げようとしている! 自分の手で戦いなさい!」
まるで敵機にそうするように、ノーラはそれに絡みついた。ライフルを手放そうとすらしている彼に、ライフルを無理やり持たせもした。それを嫌がったユーリは彼女の機体に蹴りを入れて、引き離した。
「ッ? よくも……」
「いつ、どんな責任が僕にあるというんですか! 僕はもう怖いのは嫌なんです! 殺すのだって嫌だ。何でこんなことしなければならないんですか!」
「それを、シャーロットさんにも言えるんですか? 言えやしないのでしょう⁉」
「言えますよ、今言いに行かせてもらえば、百万回でも言います! 僕は自分の道は自分で選びたいんだ。それだけのことなのに大人たちは!」
「アナタだけを特別だと思わないで! 戦争というのはね、全ての人の人生を狂わせるのよ⁉ 私だって……!」
その言い様に、ユーリはあっさりキレた。
「じゃあ最初から、戦争なんざするなぁッ!」
ついには、ユーリはサーベルを引き抜いた。その勢いのままスラスターを全開。ノーラに切りかかっていく。射撃でなければIFFは関係ないのだ。
「血迷った⁉ ユーリさん⁉」
しかし彼女の方はそれに驚きつつも対処した。同じようにサーベルを抜き、その輝く刃を受ける。鍔迫り合いの粒子が飛び散って、正面装甲をじうじうと溶かす。
「ユーリさん、止めてください! 冷静になって!」
「ああ止めてやるよこんなこと! 誰がやるもんか! 戦争なんか!」
一体何のために、こんなことまでして死にかけているのだろう。馬鹿馬鹿しくなったユーリは、ノーラ機のサーベルを弾き飛ばし、そのまま背を向けてしまった。ノーラはそれを追おうとしたが、その瞬間、背後に敵が回り込み、その対処をせねばならなくなった。
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