第6話 「front line」
ユーリは筒から一歩飛び出すと、多くの宇宙船やエンハンサーが飛び交う中でシャーロットを探した。悪趣味なほどのピンク色は確かに真っ暗な宇宙の中では見つけやすいが、民間機は皆遭難したときのためにそんな色をしているものである。
「ユーちゃん、こっち!」
その瞬間、立体音響が彼の真下から聞こえた。機体の足下の死角に入っていて見えなかったのだとすぐに彼は理解した。だからスラスターを少し捻って、さっきまで頭が向いていた壁面に足を向けて彼は上昇をかける。機体を上下に百八十度入れ替えるような機動だ。
「そんなところで待ってちゃ、おいていくところだっただろ」
「ごめんごめん」
全く、と言いつつも、ユーリは自分の口角が上がっていることにぐらいは気がついていた。それが急に無性に恥ずかしくなって、彼は誤魔化すようにスロットルをやや開き、暗い宇宙の中に機体を没入させる。待ってよ、というシャーロットの言葉は、このとき届いていない。
その代わりに彼が目にしていたのは四つのシリンダー・タイプ・コロニーだった。それぞれに赤文字で「Front line」と綴られていて、その横にそれぞれ1~5までの番号が3だけ飛ばして――それは彼の足下にあるので見えない――つけられているのが、最も近いオチャイィ星系――国境方向にある恒星系――から降り注ぐ光に照らされて、確認できる。
彼がいつも注目してしまうのはその「Front line」というところで、昔の地球の言語で「前線」という意味らしい。まだ超光速航法のなかった時代、ここは宇宙開拓のための兵站拠点だったのだ。各シリンダーに残る段差はその名残で、遠心力で重力を再現する開放型コロニーだった建設当時は、そこに採光と発電用にミラーとソーラーパネルがあったのだという。
それが丁度、人工重力の導入に伴って閉鎖型に改装される頃、皮肉にも開拓が進展したことにより効率のいい航路が見つかったことで主要航路から外れてしまった。そうして寂れて土地が開いたところに、プディーツァ連邦の前身たる革命評議会政府が学園を建設し、政府が崩壊してドニェルツポリ共和国に権利が移っても存続しているのである。
そう。
今や国境の星系で睨み合うこの二つの国家は、かつて同じ国だったのだ。
無論、それが協力関係にあったかと言われればそうではないし、仮にそうだったとするならば革命評議会政府は崩壊などしなかった。どちらかといえば支配―被支配の関係であったことは当時の政策などから見ても疑いがない。しかし、だからといって全くの植民地だったかと言われれば、そうでもないはずだ。それはこの学園の存在そのものが否定するところである。
彼がこの学園に入学することを選んだのは、要するにそういう点のためであった。人類の経験してきた歴史と、自身の実感がいい塩梅に混ざり合って感じられる、そういうコロニーだったから――。
「――ユーちゃん!」
「うわッ⁉」
HUDのど真ん中に、ぬっと影の落ちたピンク色が割り込んできた。その光景に彼は昼間のデジャヴを感じて、それから自分がまた歴史という水桶に息継ぎもせず顔を突っ込んでいたことに気がついた。
「また上の空だったんでしょ、もう……」
「ごめん」
「ごめんじゃないもん! さっき輸送船にぶつかりそうだったんだよ! アタシがいなかったら今頃宇宙の藻屑だよ⁉」
「悪かったって……でも、心配はしてくれるんだな?」
彼がそう言うと、通信モニターの向こうでシャーロットは目を見開いてから
「知らない!」
と言って、そっぽを向いた。それからユーリが何か返事をする前にプツリと切れたかと思うと、重力スラスターを思いっきり吹かしてドンドン小さくなっていく。今度は彼が待てよと言いながら追いかける番だった。
(あの様子じゃ、プリンの一つや二つじゃ効かないかもしれないな……)
そのスピードを見て、そんな見当違いのことを彼はぼんやり思いつつ、帰ってからスーパーマーケットか何かで買うことに決めた。
それはいつもの光景だった。昨日だってそうしてきたのだし、明日もきっとそうするであろうことだった。追いかけたり、追いかけられたり、そうしながら受験なり何なりで大学に行き、大人になるのだろう。
その想い描かれたストーリーに、戦争が口を差し挟む余地はないはずだった。
何より、それは起こり得ないはずだった。
超光速航法や量子航法による物流革命によって、今や銀河全体が経済・産業的に一つの世界として変質しきっている。かつて地球でグローバリゼーションが叫ばれた時代と同じだ。
もし戦争が始まれば、多くの国家がプディーツァとの貿易を停止するはずだ。不可侵条約を破るような国に信用など生まれるはずがない。
ならば、どんなにプディーツァの支配領域が広くても――もしくは経済力が高くとも、外国とやり取りをしていた時代よりも供給は細くなり、その一方で戦争によって需要は底なしに高くなる。
まして軍事的にはどうか?
確かに今の地球連合には、全盛期程の力はない。宇宙中の国と同時に戦争しても負けないだけの力があった時代からは既に一世紀が経っているし、歴史がある分、潜在能力となる開拓可能な星系は、既に掘りつくされつつあるのが現実だ。
しかしだからといって、プディーツァが無視できないほどの艦隊戦力を地球は保有しているのである。その支配領域は、超光速航法以前の反乱祭りと数多の独立戦争があっても尚広大だ。世紀単位の未来にはともかく、現段階ではその広さの分だけ戦力を絞り出す余地がある。唯一の不安要素としては、軍事的支援に関して外交文書をまだ交わしていないことだったが……それも、時間の問題である。戦争が続いたのなら、プディーツァを牽制するためにどの道参戦せざるを得なくなるのだ。そしてそれをプディーツァは何より恐れずにはいられないはずである。
故に、これらを総合して考えれば、プディーツァにとって戦争の勝ち目はゼロだ。
縦しんば勝てたところで、失うものの方が多い。
ユーリのような、少々歴史をかじっただけの素人にすら、それは理解できる話だった。もしプディーツァ軍が彼らの住むドニェルツポリに侵攻しようとすれば、即座に地球軍艦隊が動きを見せるはずで、そうなればプディーツァにしても用意も勝ち目もない全面戦争をするはずはないから、「戦争」はただ単に互いの艦隊を少し移動させる程度で沙汰止みになる……はずなのだ。
しかしそれは、知識と良識のある指導者が理性を以て判断した場合のことである。
人は、単に理性と合理性にのみ依って立つ生物ではない。
残念なことに、歴史に再現性があるということは、人間の愚かさにもそれは通じるということだ。ナポレオンのロシア遠征、第一次・第二次両世界大戦のドイツ、太平洋戦争の日本、ベトナム戦争のアメリカ――中世の各戦争を見ても、それぞれに理由こそあれ、勝利後の報酬の見込みや勝利のための現実的な戦略のないまま突き進んだ戦争というのは数えきれない。そして人間という存在が本質的には変化しない以上、宇宙開拓時代に視点を移してもそれは同様だ。地球政府の反乱鎮圧のための度重なる出兵はその好例だろう。
それを知っているのだから、ユーリは、国境宙域で起きていることについて考えるときはいつだって、それが頭を過らないことはなかった。ニュースを見る限りでも、プディーツァ艦隊の集結状況は攻撃準備のように思えたし、大統領府も参謀本部もその考えに似たようなことを言っていた。
しかし、それをこの学園で平和に暮らしておきながら、敢えて口にできるだろうか? 現実にはまだ起きていないことを起きると言い続けるのはアジテーター一歩手前の愚行だ、というのが彼の考えだった。
まして、不安そうなシャーロットの表情を見て、「戦争が起きるかもしれない」なんて……考えるだけでも身震いがするというのに?
だから、彼は首を横に振った。そうすると彼女は笑顔になるのだ。
だから、全てを忘れた。
彼はまだ、彼女を追って第四シリンダーに向かうのに夢中だったのである。
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