第56話 祈り、そして人に返れ
そこで、ルドルフは目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。辺りを見回す彼を、M1911だけがニヤニヤと笑いながらその実睨んでいた。
あの日の約束と違うじゃないか、とでも言いたげに。
そうだ――現実を見なければならない彼は、夢を見て、理想で物を語るようになっていた。特にユーリについてはそうだった。この銃を譲る? どうして民間人になる人間相手にこんな危険物を渡そうというのだ? ……しかしその正論は意味を成さなくなってしまった。だから彼は一歩も進めていないのだ。
(ゲルダ……自分はどうすればいいのです)
祈るように、彼はその銃把を握った。手を組み合わせると、スライド上部が額に当たる。しかし、トリガーのカチカチとした感覚が指先に伝わってくるだけで、それ以上のことは起こらない。ただシングルアクション・オートの静謐さがそこにあるだけのことだ。
それもそうだろう。これは迷いのないものだけが使うことを許される銃。ある種の悟りを開いた何者かにのみ心を許すのである。代々の持ち主がそうだったかはともかく、彼と彼女にとってはそういう意味合いがあった。
しかし、彼はいつから迷うようになったのだろうか?
むしろ、この銃を持ったときはいつでも迷っていたのではなかろうか。
現にゲルダを射殺したときはどうだっただろう? 何故彼女の最期の言葉を聞こうとしたのだ?
(それは……何か、有益な情報を得られはしないかと思ったからで、)
嘘だ。
それは即射殺しなかった理由にはなっても、言葉を聞く理由にはなっていない。そして今も迷っているという証拠にしかならなかった。
それに思いを馳せると、軍人になる前の方が迷いなく生きていたのではないかという観念が彼を蝕んだ。国を守るという一心で必死に努力して、海兵隊に志願入隊し、そして――今に至るとするならば、年を重ねる毎に彼は劣化していっているとしか考えられなかった。
しかし、だとすれば何故? 何故こうまで変わってしまったのか?
ゲルダに惹かれてしまったから? 反動革命――人民革命に参加したから? いやそもそも海兵隊に入ったのが間違いだったのか? 数えきれない疑問のスパイラルは延々と続いて、一つの答えも形成してくれない。何故ならその先にあったのは、人間としての生そのものの否定だからだ。
人間でなく機械であったならば、ただ与えられた役割を遂行するだけの生活をよしとして、何の疑問も矛盾も抱かず生きていけるだろう。
(だが、だとすれば――)
だとすれば、何のために生きているのか、彼には分からない。まして彼は現実、人間であった。人間は機械にはなれない。
だが人の身であるからには現実は見なければならなかった。いや、むしろそうであるからと言うべきか。今は戦時下であって、夢想は許されない。不確かな想像は自らの首を絞めるだけ。
そして戦況は、ユーリ・ルヴァンドフスキのような学徒兵ですら使わねばならないほどに悪い。戦線は後退を繰り返し、首都星系ノヴォ・ドニェルツポリにまで迫ろうとしている。その状況下では、どのような理由があろうともユーリには戦線に出てもらわねばならぬ。仕方のないことだ。
(では仮に彼がその志半ばで果てた場合には?)
それが戦争だ。誰がどう死ぬかは、平時だって選べはしないのだ。仕方のないことだ。
(では仮に彼が精神を病み戦後までそれが続いた場合には?)
終戦条約にサインが為された瞬間に全ての戦闘が集結するわけではないように、戦争は常にその後の世界に影を落とす。その一つが彼であったとしてもそれは、仕方のないことだ。
(だとすれば)ルドルフは呟く。(この声は何だ。ただ仕方ないことだけが唯一正当であるとするならば、この声が上がることはおかしいのではないか)
それは、仕方のないことだ。
(どこがだ、どうしてだ! 理由を言え! ……この世に仕方のないことなど一つたりともあってたまるものか!)
(人間であることは、)そのとき銃は喋った。(仕方のないことなのだから)
ルドルフは目を大きく開く。そうしなければ、驚きのあまりに声を上げていただろう。
(戦争とは人間的でありながらそれ以上に非人間的な営みだ。第一次世界大戦を引くまでもないが、多くの命とその未来をドブに捨てる。その一つ一つに想いを馳せるとするならば既に人間に生まれた時点で、戦争を行う主体としては失敗なのだ。)
(だが、一つ一つの命を惜しまねば人は人でいられなくなる。愛あっての人だ)
(ならばルドルフ、アナタは部下をゲルダの隊に殺されたとき悲しんだか? あのとき、小隊はアナタを除いて全滅したではないか)
(悲しんだ)
(本当に? 今の自分よりも深い感情を以て?)
(…………)
(その沈黙を答えとすれば、アナタは今ようやく人に戻ったのだ。エースパイロットという凍った心の殺人鬼から普通の人間へと回帰することができた。それは本来喜ぶべきことではないのか?)
(そんなことをすれば、今の状況では生き残ることはできない。今は戦時だろう。忘れるな)
(だが、これ以上の罪を被ろうというのか? 人を殺し、若人を先に立たせ、なお自分は平然とした冷血漢でいるつもりなのか)
(そうだ)
(…………)
拳銃は、ひんやりとしたボディと同じような冷たい目線を彼にくれた。
(というより、それぐらいしか思い浮かばない――もう、疲れた)
すると、その縋るような姿に拳銃はついに呆れて物も言えなくなったらしい。辺りは静かになって、それらが全て幻聴だったことに、ようやく彼は気がついた。
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