第54話 過去(前編)
当時、彼はまだ新米の少尉だった。パイロット養成学校を出たばかりの彼は、革命防衛軍海兵隊第三二師団に配属され、強襲揚陸艦「イオージマ」に乗艦した。のちに独立戦争で「ルクセンブルク」奪取作戦において中心的役割を果たす艦である。
そして恋をした。
当時の小隊長、ゲルダ・ハルフォーフに。
彼女の第一印象と言えば、「規則の鬼」だった。
人呼んで、正しさの妖精。
茶色い髪を肩のところで切り揃えた、パッと見る限りおっとりとしてそうな顔を見ると、まだ女学校にいてもおかしくないような可憐さなのだが、その実口から飛び出すのは怒号と皮肉と当て擦り――ただし、その全てが的を射ているので手に負えないという人間だった。
とはいえ当時の彼といえば今とさして変わらぬ真面目さだったから、すっかり気に入られ、戦闘機動からシーツの畳み方まで細かい粗を突かれている内に、反対に好きになっていたのだった。
そんな彼女の唯一の趣味は、アンティークの拳銃集めである。
それはもう病気と言ってもいいぐらいの執着心であった。
グロックは全種類を全てのジェネレーションで持っていたし、地球時代の各国の拳銃を全て集めて時代別に並べるのが夢だと公言していたし、何だったらそれを比べ撃ちしたいとも言っていた。
あるときはコリブリ拳銃――世界最小の拳銃で、二・七ミリ口径――がオークションに出されると聞いて自分に許される全ての権限を使って休暇を取り、給料の何年分かをはたいて競り落とし――あとで偽物と気づいて訴訟を起こしたということもあった。
そんな彼女から譲り受けたのが、このM1911A1――コルト・ガバメントである。
「この子は」銃のことを彼女はそう呼んだ。「人を殺したことがある銃です。私のコレクションの中では現状唯一の、ね」
「何故、そんなことが分かるのです?」
そう彼は聞いた。剣とは違って、銃は基本的には遠距離で戦う武器だ。だとするなら確実に倒したとは言えないはずだが……?
「アナタはこの銃の年代を考えてから言ったのですか? ……この子は第二次世界大戦中に生産されたタイプで、最初の持ち主は太平洋のジャングルで日本兵に撃たれて戦死したそうです。だとすれば、撃ち合ったのでしょう」
「ですが、その弾が当たったとは分からないでしょう」
「日本兵は白兵突撃戦術を多用したと聞きます。その迎撃に使われた可能性は充分あります――とすれば、弾が当たった可能性は低くはありません。違いますか?」
「……」実戦での拳銃の命中率のデータを彼は知っていたが、黙っていた。「かもしれませんね」
「かもしれないではなく、実際にそうなのです。その点で私たちとは違う。より高次にある拳銃だと言える。」
「高次?」
「私たちの仕事においてです。この子はそれを既に経験しています。だから、私に敵を殺すという覚悟を思い出させてくれるのです」
「……そんなことに、ならなければいいのですが」
「アナタは軍人でしょう。ならないことを願うよりなった場合のことを考えなさい」
「そうは思いますが、ならないに越したことはないでしょう。自分はそう願いますが」
「何故です? 怖いのですか?」
「はい」
そう若きルドルフは言った。
「自分には、敵を殺すということがよく分かりません。敵は敵なのでしょう。我々に銃を向ける者、それが敵であるというのは理解しています。だけれど、それはあるときには自分の友であったかもしれないではないですか。あるいは、そうなれるかもしれない。そう考えたとき、自分は恐ろしくなるのです。」
当時の彼には、それは非常に深遠な命題だった。何しろ反動革命の雰囲気が既に社会全体に広まっていたのだ――そうなれば、撃つのは地球人ではなく自らの人民かもしれないのだ。銃口の先に自分の家族がいるかもしれない。そう考えると、彼の手はいつだって硬直した。
「……ならば、」彼女は手の中でガバメントをクルリと回した。「アナタにはこの銃をあげましょう」
「え」彼がそのとき硬直したのは、当然彼女のせいだ。「これって貴重なものなのでは……」
「アナタほどのパイロットが撃つべきときに敵を撃てずに死ねばそれはこの銃一丁よりも大きな損失です――代償として、アナタはこれを手にしている間は迷ってはいけません。敵と決めたのなら、確実に殺しなさい。いいですね」
彼女の表情は少しも変化しなかったが、彼にはその意図するところが分かった。彼女なりの励ましなのだろう。そう判断した彼はあっさりとその銃を受け取った。
「結構」彼女はそこで笑った。「手入れの仕方は大体同じです。ただ地球製なので政治委員には見つからないように」
「了解です」
彼女と小隊で交わした会話はこれが最後になった。というのも、彼女は昇進と同時に別の基地へ異動となり、それからしばらく経って独立戦争が始まったからだ。
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