第53話 リフレイン
「大丈夫ですか、ユーリさん」
ハッチが開いて第一声は、ノーラのその言葉だった。しかし思い出せない。どうやって着艦したのだったか? どんな操作を?
「あ……え?」
「よかった、着艦するなり出て来ないから、整備兵の方が開けてくれたんです――自分の名前は分かりますか? ここがどこかは?」
「ゆ、」酸素欠乏症を疑われているらしい、とユーリは悟った。「ユーリ・ルヴァンドフスキ。ここは、えっと、『ルクセンブルク』の格納庫……」
「そうです。意識ははっきりしていますね? どこか痛むとか、そういうことはありますか?」
「あ、頭が少し痛みます。それぐらいで……」
ユーリはそのときノーラに近づこうと、シートから立ち上がろうとした。が、一歩足を外に出した途端、がくがくと膝は揺れて、軽い人工重力の中ですら彼の質量を支えるのを拒否した。そのまま前に倒れ、ノーラに上半身を預ける格好で止まる。
「大丈夫ですか⁉」
「大丈夫……大丈夫、です……ちょっと、疲れただけで……」
そう言いながら、ユーリはヘルメットが酷く窮屈に感じた。どうやってバイザーを上げるのだったか……右手が頭部のどこかにあったはずのスイッチを探そうと動いた。
「危ないッ」
その瞬間、しゃがんだノーラによってユーリの右腕を封じられた。すると、驚いた表情の彼女の顔が視界を全て埋め尽くす。
「ウッ……?」
「正気ですか⁉ 戦闘中なんですよ⁉ 格納庫みたいな戦闘区画は減圧されてるんです! そんな中でバイザーを上げたら即死でしょう⁉」
そうだった。今の声も宇宙服についている無線で会話をしているのだった。
「あ、えっと、すみません……でも息苦しくて……」
「敵の第一波は後退しました。少しの間なら休憩が取れます。エアロックの向こう側なら外せますから、それまでは我慢できますか?」
「はい……は、い……」
ノーラに支えられて、ユーリは何とか立ち上がる。ただ彼を支配していたのは、通り過ぎた死の予感と、奪った命の亡霊だった。それが背後から彼を追い立てて何とか歩かせていたのだ。
そのせいか彼の体はがくがくと震えていて、まるで病人のようだった。
(あれが、一出撃で四機撃墜のエース様かい……)
それを、不愉快そうにサンテは見ていた。他人に寄りかかって、さも傷ついたように見せるユーリの態度は、見ていてどこか腹立たしさすらあった。
まして、その態度に迎合するかのようなノーラの態度は尚更不可解だったし、不愉快でもあった。
「サンテ・デ・ミリョン」
彼がそうして口の中の虫唾と追いかけっこをしていたとき、後ろから声がした。低く敵意すら孕んだ声。彼でもなければ聞くだけで震えあがるだろう。
「貴様……」振り返ってみれば、ルドルフだった。「ルヴァンドフスキ生徒に何をした。私は連れてこいとだけ命令したはずだが?」
「何って、仰った通りにしたまでのこと。ちゃんと来たでしょう?」
「だが、アレは正常ではあるまい。連れてくる過程で何があった」
「あの男が駄々をこねただけですよ。シャーロットから離れたくない、と」
「……つまりそれは、無理やり連れてきたということでいいのか?」
「否定はしませんが肯定も出来かねますね」
その瞬間、ルドルフは拳銃に手を置いていた。それも、サンテに分かるように、だ。
「……何のつもりです、それ?」
「ここから先は、命が懸かっていると思って慎重に言葉を選べ、ということだ――貴様、今の返答は何だ? 否定しないが肯定もしないと?」
「簡単なことですよ。無理やり連れてきたように見えるかもですが、そもそもアイツが選んだ道でしょう、これは。そっちに連れ戻しにきたことを無理やりと呼ぶのは、それこそ無理があることです」
格納庫に連れてきたのは確かにサンテのしたことだ。それは認めなければならない。
しかしその結果機体に乗って戦ったというのは、ユーリ自身の判断である。とすれば戦闘員になることをこの男は結局受け入れているのだから、それ相応の扱いをこそするべきであって、完全に民間人の少年のように扱ってはならないのだ。
でなければ平等ではない――というのがサンテの理屈だった。
「……だとしてやり方があろうが。結果がああであるならば、貴様の責任だ」
「一出撃で四機撃墜、めでたいことじゃないですか。違います?」
「貴様……!」
「逆に聞きますがね」いきり立つルドルフに、サンテは畳みかけた。「今や誰だって戦争をやっているのに、どうしてそんな甘いことができるんです。あのクソガキも人殺しになったからには自分の足で立つべきでしょう。それをああやって助けてしまうから甘ったれたことを延々と言うような腐った奴になっちまうんでしょうが」
「兵士は人殺しではない。愚弄するな」
「なら仕事とでも言い換えましょう。仕事の報酬は自分の命だ。その兵士の仕事を奴はすることに決めて、そして放り出しそうになった。だからぶん殴って連れてきた。それがそんなに悪いことだとは俺には思えませんがね」
「…………」
長い沈黙。
そうせざるを得なかった。咄嗟にルドルフは何も言えなかったのだ。だから反対に、拳銃にかけていた手を下ろす他なかった。
「ふん」その様子を見て、サンテは鼻を鳴らした。「ま、勝手にすりゃいいとは思いますがね――でもそれを続けていたら、きっとろくでもないことになりますよ」
そう言って、サンテはルドルフに背を向けた。それからエアロックへ向かって歩き出す、それを引き留めることは、ルドルフにはできない。そのサンテの弁は正論だったからだ。
少なくとも、ルドルフの理性は判断していた。冷静になって考えてみれば、土壇場で脱走しそうになった兵士への対応という方程式のⅩにユーリが代入されているというだけのことだ。それが分かっていたから、それ以上のことをサンテに言うことができなかったのだ。
しかし、それは押し黙った理由の半分に過ぎない。
残りの半分は――そもそも何故彼は、その正論に対して何かを言おうとしたのか、ということだ。
正しいということは全てに優先される。
それが海兵隊――に限らず、軍隊全般の掟のはずだ。
この世の中全てにおける法則の一つでもあるだろう。
そしてその正しさを、彼は理解していた。
だというのに、彼はその正しさに挑戦してしまった――その理由を説明できる何かを彼は持たなかった、それが彼を黙らせてしまったのだ。
だとするならば、その問いは未だに彼にのしかかって離れないものだった。それを頭から被ってしまった彼は、もう以前のルドルフではいられない。それに気づいてしまった彼は、首を傾げながら、エアロックを超えてどこかへと歩き始めた。
そうしてルドルフが行きついたのは自分の部屋だ。宇宙服を着替える暇はない。焼けた埃の匂いのするそれのままに、彼は椅子の上に雪崩れ込んだ。するとおざなりな動きをした腕が机にぶつかって、その上にあった拳銃がカタリと音を立てた。
ユーリに譲ると言ったそれである。
「…………」
もう数日も経っているのにそこに置いていたのには訳があった。いや、訳と言えるほどのものではない。もしかしたらユーリが取りに来ることもあるかもしれないと思ってのことだった。
譲渡することが艦内規則違反だと彼は知っていたが、一応、使用弾が正式採用の銃とは違うので、ルドルフの部屋から盗み出さない限りは撃てないようになっているのだ。
――しかし、彼は何故それをユーリに譲り渡そうとしたのだろう?
(それは)
それは、この銃もまた、彼の上官から譲り受けたものだったからだ。すると、彼の意識は銃へ吸い込まれるように失せ、当時の記憶を呼び覚ます。
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