第52話 ドッグファイト
溶けていく。解けていく。融けていく。
人一人分のスペースしか許さないコックピットの中で、ユーリは呆然と前の機体の動きについていくようだった。ようだった、というのは彼に意識など半分程度しかなかったからだ。ただの無意識が、彼にその動きをさせていた。それはつまり、死にたくないとか、そういう原始的な感情が理性と肉体をドライブさせているということでもあった。
そうであるからには、宇宙服の一枚下は蝶の蛹のごとく液状であるべきだった。少なくとも固体でも個体でもあり得ない。ただの無意識的反応の集合体でしかなく、そこに彼の意志は介在しない。
その理由は、こんなことをしていても意味などないからだ。彼が戦場にいる意味などどこにもないように彼には思われたのだ。シャーロットがあれほどのことをしたのは、戦場が常に彼女につきまとったからだ。だとすればその戦場と彼とが密接に関わってしまうことは彼女の回復にとってむしろ逆効果に感じられた。
が、そうではない。彼は彼でそこにいた。いなければならないらしかった。
「う、ぅぅぅ――」
その板挟みの象徴が、このコックピットの狭さであった。頭を抱えることも、体を抱くことも叶わぬ狭さの中で彼は苦しみと向き合わねばならなかった。可塑性を持っているのにもかかわらず、固定され、射出され、一つのことに向き合わされる、逃避も許されずに――それを地獄と呼ばずして何と呼ぶのだろう?
そのモダンな地獄の中に、一つの音が鳴り響いた。レーダー警報!
「回避だ――」
前を行くルドルフ機が急旋回を打つ。それに従って彼も回避機動。無意識にカウンターメジャーを射出することも忘れない。ミサイルはそれに引きずられて、彼には当たらない。
それから遅ればせながら敵機を艦隊からのデータリンクではなく自機のレーダーでようやく捉える。これは世代差というより単純な性能差だ、「ロジーナⅣ」の方が後発なのだから当然のことではあるのだが。
しかしその数は膨大だった。オイゲンの見たそれのエンハンサー版を彼は今見ているのだった。赤いブリップに染まったそれは、正気のパイロットならそれだけで戦意喪失するレベルの戦力差である。まして、既に泥と化した彼には、余計に効果的なはずだった。
「何で来たんだ、」しかし、そのとき彼はぎりりと歯嚙みをした。「帰れよォッ――!」
その瞬間、永遠の苦味にも似たその感覚が、一気に辛味へと姿を変えた。肉体が現像され、全身に熱が回る。とすれば液体の正体は可燃性だったのだ。少しの刺激で炸裂し得るほどに。
そこに、敵機は荷電粒子を放射してきた。大挙してきたそれは、一斉に彼の予想針路を埋め尽くす――が、それ故に彼は針路をずらすだけでそれをかわすことができた。
その次の瞬間には、その内の一機に射線を合わせて射撃。第一撃は装甲に阻まれて防がれるが、その勢いのまま彼はそのまま後ろについた。食らった衝撃で彼を見失った敵機の無防備な背中に向かって、彼は、容赦なく一撃を加える。すると敵機は重力燃料タンクに被弾したようだった。臓物めいて中身をまき散らし、派手に四散する。
「ッ、死ぬなァッ――!」だが、そこにユーリは叫ぶ。「何で勝手に死ぬッ? 帰ればよかったんだよ、お前らは……ッ⁉」
どれほど狙いが正確でも、彼には殺すつもりはなかった。だからその機体が背面に食らった程度で四散したことは、己がそれをしたことより許せなかった。
その後ろに、復讐に燃える敵機が張り付いた。その機体は既にビームサーベルを抜いていて、その手で切り刻まねば気に食わぬと言いたげに猛スピードで近づいてくる。
「帰れって言っただろォッ」
が、その間合いはサーベルにはまだ遠い。そこにおいて冷静だったのはユーリの方だった。針路をそのままに振り返り、ビームライフルを構えた。敵機はようやく気がついたのか回避機動を取ろうとしたが、それはもっと悪手で、弱点である横腹を見せることでもあった。そこにユーリの射撃は命中して、敵機は下半身を千切られて、行動不能に陥った。
「来るからだ……こっちに来るから……ウッ!」
その正面に、敵機が来ていたことに、彼はそのときようやく気がついた。正面のモニターが輝いて――被弾したのだ! その逆光の中から敵機は突撃してくる、と理解したときにはすれ違っていた。
そこからは旋回戦だ。しかし敵機は、焦りがあったのかその速度は彼に比してあまりに速かった。宇宙空間ではスラスターに旋回速度が依存している以上、比較して速度が速い方が大回りになる。その愚に気づいて敵機は逆噴射で減速を試みたようだったが、その頃にはユーリが後ろに回り込んでいた。
しかし、そこにアラートが走る! ユーリは追尾をやめ、射撃回避のため反対側に切り返さざるを得なかった。さっきまで機体が流れていた方角にビームの光弾が妖しく煌めく。
もう一機がいたのだ。正面の一機に夢中になっている間に、後ろを取られていた――そして、回避機動をしたということは、正面の機体に後方をいずれ譲り渡すということ。
つまりこれは連携戦闘の基本戦術! こうまであっさりと嵌まってしまうとは!
「帰らないのかッ、コイツらッ?」
だが、ユーリは瞬間的に機首を上げると、全てのスラスターを使って急減速を行った。急激なマイナスGにユーリは一瞬気絶しそうになる。
しかしその動きが旋回に見えた敵機は、機体の動いた更に先を射撃してしまう。それが勝負の分かれ目だった。それはユーリ機の目の前に出てしまうということだ。それも至近距離に!
「貴様らはァッ」
ユーリは機体を立て直すと、その敵機に向かって照準を合わせ、トリガー、トリガー、トリガー! 一発目で頭部が飛び、二発目は胴体中央、三発目が右エンジン! ……中心線に沿って一撃が走り、ふらついて敵機はあらぬ方向へ逸走する。パイロットは……即死だろう。
すると正面の敵機――今や後方の、だが――は仲間の死に打ちひしがれたのかユーリを自分より格上と見たのか戦意を喪失したようだった。慌てたように反転し、背を向ける――が、それこそ悪手というものだ。最早彼に対抗する術はない。ユーリはそれに合わせて反転すると、全てのミサイルを発射していた。敵機はそれを振り切ろうとするが、逃げれば追ってこないだろうという油断が回避を遅らせた。最初の一、二発はかわすことができたが、三発目が脚部に命中したかと思うと、四発目以降は全て胴体に直撃し、成形炸薬弾頭がコックピット内部をズタズタに破壊する。機体はその被弾痕からばらけていって、宇宙の藻屑に変わる。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
だが、それがユーリの限界だった。もう彼にはミサイルは残っておらず、同様に体力を使い果たしてしまった。耳鳴りがする。キーンというその聴覚の中に、ピロピロというアラートの不協和音。敵機からの連続波を検知したという意味、だったか? それすらもユーリにははっきりしない。疲れた、ひどく……。
『――ユーリさん!』
その閉じる視界にはっきりと別のものが割り込んでいった。ユーリは目覚め、回避運動を打つ――ガツンという揺れ。さっきとは別のアラートが被弾を示す。しかしそれは入れ替わりに鳴り響いた。見ると、後ろの敵機は別方向からのミサイルを受けて回避機動を取るところだった。そこにビームが二閃三閃。それらは全て外れたが、敵機はそれに狼狽えて下がっていく。
『何をしているんですか? このままじゃ囲まれますよ! 下がります!』
その機体は並走してきた。マーキングを見ずとも、誰の機体か声で分かった。
「カニンガム少尉……」
『被弾をしたんですか? 怪我はありませんか? 冷静になって、落ち着いてください!』
大丈夫、と言おうとしたところで、ズキンとユーリの頭は痛んだ。アドレナリンが切れてきたらしい。恐らく被弾したときに打ちつけたのだろう。出血はなさそうだが、被弾したまま戦うのも危険すぎた。ダメージコントロールによれば左腕を全損しているらしい。
このまま戦えば、その先にあるのは死だ!
「い、一旦、下がらないと……」その強迫観念が敵意に代わって彼を即座に支配した。「下がります、下がる……」
『了解です。丁度ゴルツ少佐も下がりつつあります。急ぎますよ』
彼女はそう言って、ユーリ機を先導するように前に出た。ユーリはそれの後ろにピタリとついて、戦線後方に避退した。
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