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第51話 クソガキ

 ――警報。


 それで「ルクセンブルク」に乗る全ての人は起こされた。


「状況は!」


 オイゲンはブリッジに上がるや否やそう叫んだ。


「既に偵察艦隊が接触しました。物凄い数ですよ」


 するとヴィクトルは既にそこにいた。そう言いながら彼は、手に持っていたタブレット端末をオイゲンに渡す。そこには現時点で分かっているだけの敵艦が宙域図にプロットされている。


 が、ジノコヴォ方面の外縁宙域はほとんどが敵を表す赤に染まっていた。まるで黄昏のようで、オイゲンは不気味に感じた。


「……これで敵は第一梯団だとでもいうのか。イカレた数だ。あくまでこれは一次偵察なのだな?」


「そうですが、天文台のヴィジュアル・センサーとレーダー情報の両方からの補助を受けています。ほぼ確かだと思われます」


「チッ……司令部からは何と?」


「本艦には第十四航宙戦隊の残余の指揮下に入り、防御戦闘に入れとのことです」


 クソッタレ、とオイゲンは悪態を吐くこともできない。数的不利は明らかだ。しかもそれで撤退することも許されないらしかった。


「とにかく、まずはエンハンサー隊の準備だ。三十分以内に発進させるぞ」


「了解です。格納庫からは既にパイロットが集合しているとの報告があります」


 ゴルツ少佐の手回しだ、とオイゲンは直感し、心の内で感謝した。


 が、しかし、その報告は正確とは言えなかった。


 実際には、一人のパイロットを欠いていたからだ。


 ユーリを。


「…………」


 彼は、慌ただしくなる医務室の中で、ずっとシャーロットの手を握っていた。彼女はあの自殺未遂以来、目を覚ましていない。点滴だけで生かされている状態だった。


 それでも軍医曰く、命に別状はないらしい。彼女が切ったのは静脈の方で、パッと見た限りは派手だったとしても出血の絶対量は多くなく、手首の腱も切っていない。そしてその程度では大抵、傷口を水に漬けていない限りは致命的な出血量になる前に自然と止血されるのだという。


 だが、そんな医学的なことは彼にとって今重要じゃなかった。彼がこの事態を防ぐことができなかったこと、その事実だけが彼の中でリフレインして、彼を苛んだ。だから彼には警報も聞こえていなかった、その代わりに自分を責める何者かの声だけが聴覚を支配していた。


「よう」そこに、声をかけるものがいた。「何してんだ?」


 振り向かなくても、声で分かった。サンテだ。がさがさというやたら大きい移動音は宇宙服を着ているせいだろう。ユーリは何てこともないように答えた。


「何って、看病ですよ。シャーロットが目を覚ましてくれないんです」


「非常招集、聞いてなかったのか? ルドルフの爺さんは余裕がないから俺が来た。パイロットは格納庫に集合だとよ」


「拒否します。僕にはここにいる義務がある」


「いいから、」サンテはユーリの腕を掴んだ。「来いって」


「嫌だって言ったんですよ……!」


 ユーリはそれを振り払う。その頬に、サンテの拳は飛んだ。その一撃で、ユーリは眠っているシャーロットの胴に激突するほど吹っ飛ばされる。


「何をするんですか!」


「俺は、」サンテはその胸倉を掴んだ。「俺自身がクズだって自覚ぐらいはある。だが、自分の役割を果たそうとしねーで不貞腐れる奴はもっとクズだ! まして命が懸かっているのならな!」


「だけど、彼女は目覚めちゃいないじゃないですか! なら戦っても意味はないんだ!」


「お前は馬鹿か! それとこれとがどう関係するっていうんだ! 戦争なんだぞ! 敵がすぐそこまで来ているんだ!」


「その戦争に彼女は疲れて、壊れてしまったんだってことが分からないんですか! 敵だ味方だって撃ち合って、それに夢中になっている間に好きだって伝えることすらできなくなってしまって、これじゃ馬鹿みたいじゃないですか!」


「知るか馬鹿!」


 もう一発、サンテはユーリの顔を殴った。今度はシャーロットとは反対側に彼は飛んでいく。


「ぐあッ」


「分かった分かった……だったらこれから俺とお前とで戦争しようぜ。俺はお前が着替えて支度をはじめようとしない限りお前を延々殴り続ける。」


「できるものかッ」


 ユーリは即座に立ち上がって殴りかかったが、その立ち上がる膝の初動を抑えられて簡単に転ばされた。


「うぅッ」


「お前は今みたいに抵抗してもしなくてもいいが、お前が気絶したらどうしてやろうか? ……そうだな、俺ならこの女を犯してやる。乳はでけーしケツも同じぐらいでけー。上物だ。お前にはもったいないよな?」


「! 貴様ァッ」


 今度は低い姿勢を生かして下半身へのタックル――しかしその顔面に靴裏が入る。ゴスンという重い音。ユーリは後ろに転がり、壁に叩きつけられる。


「クソガキが、損得勘定ってものを知らないのか?」


「グ、ゥゥ……」


 ユーリは獣のような声を上げた。鼻が焼けるように痛い。手をやってみると血がついた。血だ、シャーロットから流れ出ていた――その凄惨な光景を思い出して、彼は思わず動けなくなった。


「これで分かったろうッ、戦争に負けるってのはこういうことだ。それが分かっているから、俺は民兵まがいのこともタダ同然でやっているし、軍にも入ろうとしている。だのにお前は何もせずにいっちょ前に口からクソ垂れるから、お前を俺はクソガキと呼ぶんだ。分かったかクソガキ。分かったら返事をしろ」


「う、ぅうぅぅ……」


 自然と、涙が出て来た。理由は分からない。ただユーリには何もかもが無駄なような気がして、全身から力が失われていった。何もかも投げ出して、泥のような存在になりたくなった。地べたを重力に従って這いずり回るだけの何かに。


「は、」それを、サンテは笑った。「終いには泣き落としでもしようってか? 女の腐ったのみたいにめそめそしやがって――いい加減にしろよ、クソガキ。構ってられねーんだよ」


 そう言うと、彼はユーリの腕を掴んで無理やり立たせた。それから医務室の扉を蹴破って、格納庫へと連れていく。ユーリはそれに抵抗することはもうできず、ただ津波の前に押し流される家屋たちのように大人しかった。

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