第5話 エンハンサー
後は、何のこともない帰り道だった。いつもと違うのはシャーロットと手を繋いでいたぐらいのことで、それも彼女の気分次第では――具体的にはユーリが面倒を見てくれたのにテストで全て赤点取ったときや、彼女が友人と喧嘩したときには――ないことではなかった。
その度に、まるで実家で飼っていた大型犬のようだ、と彼は思うのである。馬鹿みたいにうるさくて、まとわりついてくるから暑苦しくて――それでいてどこか目が離せない。だから手も離せなかったし、その遠慮がちな温かさがもっと続けばいいのにと思ったりもした。
その状態のまま、ユーリたちは通りにポツンと存在している階段を降り、中にあるエレベーターに乗り込んだ。それがコロニーの下層にある駐機場へ繋がっているのである。
ドアが開くと、そこは各柱に取り付けられたライトが安物なせいで薄暗いのが常だった。いかにもケチ臭い公共施設という趣である。
その酷い扱いのせいか、それとも単に需要に比して広すぎるのか、大抵の場合駐機場は閑散としている。今日も例外ではなく、そこにある大まかに人型のシルエットは、一列当たり何台か直立の姿勢で停止していた。
エンハンサー。
それらのマシンはそう呼ばれていた。その歴史は古く、宇宙開拓黎明期に遡ることができ、宇宙服の機能を強化する目的で作られたパワードスーツが最初のものだとされる。その時代にはスラスターと各種工具を取り付けただけのアタッチメントのような代物で尚且つ高価でもあったが、それはその当時の技術の問題であって、今となっては一人に一台、市民の足だった。
「うわわッ……⁉」
しかしユーリがそんな歴史上の経緯に想いを馳せていたとき、シャーロットの慌てたような声が聞こえたので、彼は顔を上げた。すると、天井を床にして氷柱のように生えている他のエンハンサーを背景に、空中であわあわと手足を振り回していたのが見えた。
「……何をやっているんだ!」
彼は頭を抱える代わりに、近くのエンハンサーに飛びついて足掛かりにし、ゆっくりと離れていく彼女の足首を掴んで引き寄せた。体重差があったが、腕の力を一杯に使えば彼にもできないことではなかった。
「もう無重力地帯なんだぞ? いつも言っているだろ、床を撫でるように蹴らなきゃあ……」
反対に床面へ流れていくシャーロットの体を、その肩を掴んで止めたユーリは、続け様にそう言った。彼女は無重力での体の使い方というものが昔から下手だった。
しかし彼女は顔を赤らめて固まっていた。彼にはその理由が皆目見当がつかなかった。
「何だよ」
「……パンツ、見たんだ」
ユーリはその言葉に呆気に取られた。しかしシャーロットがいかにもからかうように言うので、今度は彼が顔を真っ赤にする番だった。
「そんな暇、なかったよ!」
「嘘吐き」
「嘘じゃあない」
一足先に床に降りた彼女の背中にそう言葉を投げても、その満足そうな足取りには届いたかどうか。ユーリは痒くもない頭を掻いてから、それを追いかける。そこから二つ目の角を曲がったところに彼らの機体を停めているのである。
彼がそこに辿り着くと、既に彼女はハッチを閉めたようだった。彼女の(真っピンクの)エンハンサーが彼の前を横切ってエアロックへと進んでいく。彼は一度足を止めてそれを見やるほかなかった。
「全く……」
それを横目で見ながら呟き、彼も彼でエンハンサーの腰にあるスイッチに触れた。すると胴体の正面が炙られた二枚貝のようにパカリと開く。それが、装甲が必要ない民間機にありがちな仕組みなのだ。その開口部の中にあるシートに彼が身を沈めると、操縦桿にある静脈認証装置が作動し、機体脚部にある反重力エンジンに火を入れる。すると電力が機体全体に供給されて、非常灯の代わりにモニターが点灯し、HUDに起動前チェックが進行中であることがつらつらと表示されていく。
生命維持装置……正常。
気密チェック……正常。
重力推進装置……正常。
外装神経接続……正常。
「よし……」
それらの項目全てが完了すると、ユーリは機体の各関節のロックを解除した。それと同時に、使い慣れたペンを手に取ったときのような、先端まで血が通うような感覚が頭の中を通過する。それが機体の指の隅々まで行き渡ってから、彼は機体を歩かせてシャーロットを追った。駐機場では、人を吹き飛ばす恐れがあるためスラスターは使用禁止なのである。
それで左右を見渡すと、既に彼女の機体はエアロックに吸い込まれるところだった。ユーリはコンクリート舗装された地面を蹴って、すぐさまその隣のエアロックに取り付いた。それはトイレットペーパーの芯を縦に二つに割って、その上下に円形の蓋をつけたような構造をしている。その半円の壁側に正面を向けて機体を進入させると、すうっと天井が下に降りて密閉空間を作って空気を抜き、それから今度は床が下がって――コロニーの壁面に出るのである。
高評価、レビュー、お待ちしております。