第49話 Why is the life so hard? That's why I gonna kill myself.
「ストレス……ですか」
それから十分後。ユーリは無機質な白い医務室を背景に、医者の話を聞いていた。
「そうですね。そうとしか考えられません。というより、そう言う以外に正確な診断が出せません」
「出せない? どういうことです?」
「聞いたお話からして、これが何らかの精神疾患である可能性はあります。だが私は精神科医ではなくて外科医ですから、それ以上のことは言えないんです」
「いないんですか、そういう人」
「いたことにはいましたが、この前の暴動で戦死しました」
「暴動……」
ユーリは戦闘に出ていたので知らなかったが、実際には艦内にかなりの被害が出たらしいと、後から聞いた。
すると、二つの点が線で結ばれた。そういえば、人質事件がなかったか?
「それが影響しているなんてことはありませんか、彼女が危険な目に遭ったとか」
「それについても、何とも……記憶が正しければ、彼女が人質になったことはないとは思いますが、はっきり言えるのはそれぐらいです。」
「じゃあ何にもならないじゃないですか。何とか他の艦とかに任せるとかはできないんですか」
「難しいでしょうね。もう敵の前衛艦隊はジノコヴォを出発しているでしょうから、余計なことはしたくない、というのが軍人としての考えです」
「よ、余計なことって、」その言い方は気に食わなかった。「彼女の人生がかかっているんですよ? それを余計なことだなんて」
「不快だったなら謝ります。ですがこれも現実です。仕方のないことだと割り切る他ない」
――また、現実か。もう沢山だ。
ユーリはそう言いたくなったが、言っても仕方ないと分かっていたから、それ以上は控えた。
「代わりと言っては何ですが」その俯いたところに軍医は話した。「ここで様子を見ておくことはできます――今はベッドに空きがありますし、時たまアナタが見に来ることもできます。それでは不満ですか?」
その提案は悪くないように思えた。何しろ彼も彼女に会いに来たかったのだ。
「ではそれで、お願いします――すみませんでした」
「いえいえ、では後はお任せください」
それからユーリは医務室を後にした――それが昨日のことだ。
だが、彼は医務室には行かなかった。行先は、いつも通り自室だ。
彼が行けば刺激になってしまうと考えたのだ。
(先の事件からすれば――)ユーリは思考する。(彼女は僕を見た瞬間、熱烈に求愛行動をするはずだ。だがそれは恐らく治る方向とは反対方向の行動だろうから、だ。)
しかし、彼が角を曲がったときだった。彼は突然横合いから突然体重をかけられたのだ。その何者かは腕を彼の肩に回し、がっちりと組み合ってしまう。
「……⁉」
振り向いてまず目に入ったのはピンクの髪。それが目に入って痛みが走る――がこの髪色は知り合いに一人しかいない。
「よう。」サンテだ。「ちょっと付き合えよ」
「こちらは話すことなどありませんよ」
「まあ、そう言うなよ若人。こっちにはあるんだっての」
その肩を掴む力には有無を言わせぬところがあった。ユーリ如きの力では振り切れず、無理やり人気のないところに連れ込まれていく。
「ッ」そこまで到着して、ようやくユーリは解放された。「何ですか! 乱暴なことをして!」
「いいじゃねーか。どうせ俺の話なんざ聞いてなかったんだろ?」
「ええそうです。そして聞きたくもありません。さようなら」
そう言って、ユーリはさっさと自室に戻ろうとした。訓練で疲れていたから、眠りたかったのだ。あれ以来近づきづらくてシャワーも浴びていない。
「いいのか? アイツがああなった理由を聞かずじまいで」
だが、その足取りはそのたった一言に止められた。
「アナタが知っているわけはないでしょう」
「いいや俺は男女のことなら全知全能だからな。お前ら二人のことと、先日のことを見ていれば、分かる」
そう言う彼の髪は濡れていた――つまりはそれが彼のルーティンだったらしい。
「盗み聞きなんて、全知全能を名乗る人のすることですか」
「盗み聞きなんて、人聞きの悪いことを言うな。ただシャワー浴びてたら、そっちの方から聞こえたのさ。大人しい顔して二股かける奴には言われたくないね」
「……かけてなんかいない! 盗み聞きの上、ロクに聞いていないじゃないか!」
「ははは! 冗談だよ冗談。真に受けるなよ、そうやってさ。」
ニヤケ面にユーリは殴りかかりたくなった、が、今までそうやって勝てた覚えがないという事実が、彼を何とか押さえつけた。
「まあいいや――」するとサンテは肩を竦めて話し始めた。「からかうのも楽しいが、俺としたらさっさと本題に入りたい」
本題――シャーロットが何故ああなったのか。
その理由。
「じゃあ、教えてくださいよ――どうせロクなことじゃあないんでしょうけど」
「簡単なことだ――お前が面倒を見ないからだ」
「ほらやっぱり……そういうことじゃあないですよ。僕たちの関係は」
「だがテメーは悪しからず思っているんじゃないのか、彼女のことを?」
「それは、」悪しからぬという以上だ、とは言えなかった。「否定できませんけど」
「なら、何かしらケアをしてやらなきゃいけなかっただろう。お前は」
「してましたよ、でも僕だって忙しくて……」
「ヘッ、どうだかね。俺には怪しいもんだが?」
サンテはそのとき珍しくニヤケ面をしていなかった。それがどうにもユーリには引っかかった。
「例えばだが、」その顔のまま、彼は続ける。「お前が朝の支度に五分かけるとしよう。訓練終わりのシャワーも五分。朝昼晩の飯も五分だ。それらを一分ずつ短縮すると、何分になる?」
「五分でしょう? 馬鹿にしないでください」
「そう、大正解だ――が、問題はここからだ。お前はこの五分を何に使う?」
「それは……」一瞬、色々なところに迷った。「使えやしないでしょう。実際にはそれぞれ別々の時間で、組み合わせることはできない。」
「それも一つの答えだな、しかし、不正解だ」
「不正解?」
「五分間を一纏まりとするのは確かに無理だ。だが、だとして一分は使えるんだぜ? なのにお前はそれすらも彼女のために使おうとしなかった。無駄にしているんだ」
「でも、彼女に一分以内に会えるとは限らない!」
「会えるさ。飯のときは大体一緒だろうが?」
「……!」
そういえば、そうだ。実際一回は会ったのだ。それを彼はどうあしらっただろうか? ……彼はすぐには思い出せなかった。
「その顔を見るに、」どうやら表情に出てしまっていたらしい。彼は即座に引き締めたが遅かった。「どうやら何もしてなかったらしいな。でも戦争だ不安だってのは、彼女だって同じことなんだぜ? それをお前は何にもしていなかったんだ。そりゃ壊れもするだろ」
「……それで、どうしろって言うんですか、結局?」
「好きな女には好きって言ってやれ。今からでも遅くないとは思うぜ?」
そう言って、彼はユーリを残して行ってしまう。その背中を引き止めようとして、しかしそうするのを止めた。それではまるで、自分が彼の言うことを真だと考えているかのようだったからだ。
(馬鹿な、あんな男の言うことを……信じている?)
あり得ない。
と言い切るには、彼の理性はうるさかった。少なくとも、理論的に間違ってはいないというのがその弁だった。
(だが……そもそも、そんな簡単なものか。そうであるなら苦労していない)
しかし、ユーリはその要請に素直にはなれなかった。彼女は好きと言っていたが、それ以前に彼女との接触が果たしてよい結果を生むのかどうかというところに疑問があった。それこそが彼が医務室に行かない理由ではなかっただろうか?
(だとしても――)
だが、彼は最後に自分の本能に聞いた。
(僕は、会いたい……の、かもしれない……彼女と愛し合いたいのだろう)
するとユーリの足は、とっくに行くべきところを知っていたようだった。彼が思考を打ち切って顔を上げたとき、そこにあったのは医務室だったのだ。
「失礼します」
そう言って、入ったところには、誰もいなかった。
いや、当然軍艦の医務室なんて、人がいないわけはないのだが……だから今は丁度奥の方で手当てか何かをしているようで、手前の方にはいなかった、という意味だ。
それを尻目に、彼はシャーロットのベッドへ向かって歩いた。場所は知っている。カーテンで仕切られたそれの右から三番目。その白い布に彼は手をかけて、開けた。
が、いなかった。
「……え?」
彼は大いに狼狽した。乱雑に剥ぎ捨てられた布団とベッドだけがそこにあって、それ以外の物証は何一つ見当たらない。強いて言うならば、そこに微かながら体温が残っているぐらいだった。
(だが、まだ遠くには行っていない……医者の連中は、何をしているんだ!)
怒り半分、焦り半分で彼は医務室を飛び出した。彼女がどこかに行くとしたら一つしかない。
彼女の自室だ。
(彼女はノーラを殺そうとしているのだろう。だがどこにいるかは恐らく知らない。だからまずは刃物か何かの凶器を手に入れようとするだろう、とすれば、そこしかない)
ユーリはそう考えて、道を急いだ。人の命が掛かっている。焦りのせいか、普段よりも通路を狭く感じ、すれ違う人が多いように彼には思えた。しかし全長三〇〇メートルの艦内のこと、それほど時間はかからなかった。
「シャーロッ――」
ト。
ドアを開けた途端、彼は口を噤まずにはいられなかった。丁度彼女以外が全て出払っていたらしい部屋の中で、彼女はいつぞやのように宙に浮いていた。他もいつぞやと同じだ。姿も、水滴も――しかし、彼女はもう風呂上がりなどではなかった。
ならば何故?
その理由は、その雫の色を見れば分かる。
赤黒いのだから。
「シャーロットッ」
ユーリは彼女の名を叫びながら部屋の中に押し入った。それから彼女の右手から昨日のと同一であろうカミソリを取り払って、どこからそれが出ているのか確かめ――左手首だ。そこからジュクジュクとそれは出て行っていた。
「嫌だ、嫌だ……シャーロット! しっかりしろ!」
必死に叫んでも、彼女は気を失ったままだった。彼は血液感染など気にもかけずに素手でその手首を抑えにかかった。圧迫止血だ。これぐらいの知識はあったのだ。だが抑え方が甘い。指の隙間からそれは漏れ出してしまう。
「シャーロット! シャーロットッ」
すると彼にできたことと言えばあまり意味のないそれと、呼び掛けぐらいのものだった。その音量のおかげか、すぐに他の部屋の住人が来て、その数分後には軍医も来たが、彼はその手を放そうとせず、涙でぐしゃぐしゃの視界の中疲れて気を失うまでそうしていた。
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