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第36話 明暗

「ユーちゃん!」


 コックピットから這い出たユーリを出迎えたのは、明るいその声だった。その主が文字通り体当たりしてくるせいで、せっかくシートから立ち上がったのにすぐさまそこに押し倒されてしまった。


「う……重いよ、シャーロット」


「ユーちゃん! 本当の本当にユーちゃんなんだよね! 怪我なんかしてないもんね?」


「してないよ、どこも……大丈夫だよ。それよりここに来たら危ないって、いつも言ってるだろ」


「ごめん、でも心配で……途中危ないって聞いて、いても立ってもいられなくて……」


 そう言いながら、シャーロットはユーリの胴に手を回してギュッと全身を擦りつけた。ぶるぶると震えるそこからは、命の温かさが伝わってくる。ついさっきまで失われようとしていたものがそこにあるのだと思うと、ユーリの目頭は熱くなった。シャーロットの手前、彼はそれを堪えようとした。


「? やっぱりどこか痛いの? 怪我しているの?」


 だが当のシャーロットは顔を上げて分かっていないようなことを言う。その目も涙目で、その雫が浮いてユーリの頬に触れた瞬間、限界が来た。ユーリの瞳からはボロボロと涙が出始めたのだ。彼女の胸に顔を突っ込んでそれを服に吸わせた。


「ユーちゃん⁉ ちょ、本当に大丈夫⁉」


「大丈夫……生きてるって思ったら、二人ともここにいるんだって思ったら、怖くなってきちゃって、それだけだから……」


「生きてるって……当たり前じゃない。えっと、ほら、生きているんだから」


「違うんだ、そういうことじゃない。でも……そうなんだよ。僕たちは、生きているんだ」


 ユーリは自分でも何を言っているのか分からなくなった。自分でも驚くぐらい言葉が、涙と同じぐらい溢れ出して止まらなかった。反対にシャーロットは冷静になっていった。面白くなったのか、けたけたと笑うほどに。


「もう、そんなことじゃ笑われるよ、ほら、顔を上げて、鼻かんで……」


「笑われるって、誰に?」


「そりゃ、ウジェーヌ君に、じゃん。何言ってんの?」


 ――その名前を聞いた瞬間、彼の涙は引っ込んだ。胸が締め付けられるような心持がして、頭の芯が絶対零度にまで落ち込んで苦しくなった。


 そして、それは彼女も同じようだった。気づいてしまったのだ。未帰還であることに。


「アレ? ウジェーヌ君は? ウジェーヌ君も出撃したんじゃないの?」


「シャーロット、ウジェーヌは……」


「ねえ。どうしていないの……? 一緒にいたんでしょ?」


「いた、けど……」


「ねぇ、ねぇ……どうしてここには四機しかいないの? ウジェーヌ君の機体はどれなの? 教えてよ、ユーちゃん……」


「いいから……シャーロット、聞いてくれ。ウジェーヌは――」シャーロットの目がユーリを見たので、彼は思わず言葉に詰まった。「ウジェーヌは、う」


 うらぎりものだった。


 うそつきだった。


 そのどちらを伝えるべきなのだろう? その答えを求めてユーリはシャーロットの瞳を見た。潤んで、今にもこぼれだしそうな真珠を、だ。だがそんなところには何も書いていない。真実は彼の内にこそあって、それ以外の選択肢は結局逃げでしかないのだ。


「う、撃たれて、死んだ――あっという間で、どうしようもなかったんだ」


 だが、それだけしか彼には選ぶことができなかった。それでも彼女の瞳は瞼というダムを決壊させて土石流のように涙をこぼし続けた。うそ、うそ、という呼吸音のような言葉も、段々と曖昧になっていって、終いにはただの叫び声になっていった。


 その背に、ユーリは手を回そうとして――止めた。それをする資格は彼にないように思われた。


(そうだ――僕はこの温もりを奪った側の人間だ。ウジェーヌは見殺しにし、顔も知らない誰かを撃ち殺してしまった。裏切り者も嘘つきも、全部僕のことだ。だから……)


 だから、彼はついには、胸の中で泣かせることすら止めさせた。ただシートの上に泣きじゃくったままの彼女を置いて、彼は体一杯に広がった罪悪感と喪失感を瞳からこぼさぬよう、ゆっくりとエアロックへ歩き始めた。





「少佐殿が――未帰還?」


 エーリッヒには、そのオリガの言葉はあまりに非現実の代物に感じられた。そんなことがあるはずはない。だってエルナンド・ヴァルデッラバノはエースパイロットであり、そんなあっさりと落命するはずはないのだ。


「『坊や』」


「だって、そんなことあるわけないでしょ。少佐ですよ? あの少佐が易々と撃墜されますか。ドニェルツポリのエースがあそこにいるはずないんですから――いたってこんなことにはなってないはずだ、どういうことなんですか?」


「『坊や』……!」


「僕ですか? 僕がいなかったからですか? それで手数が足らなくなって……ッ」


 そこまで言わせるのが、オリガの堪忍袋の限界だった。


「アンタが!」衝撃。「殴られたそうな顔をしているんじゃあないッ!」


「に、ニキーチナ中尉……ッ」


 狼狽えたエーリッヒの顔に、拳がもう一度突き刺さって、彼の視界で火花が散った。彼は衝撃を殺しきれず宙を舞いそうになったが、オリガに掴まれた肩がその慣性のままに浮かぶのを許しはしなかった。


「だって、だってェッ……!」


「言い訳なんざするなッ! アンタはほとんど撃墜されそうになってたんだ。それで帰らされたんだから、アンタにはそんな顔をする権利なんかないんだ! だのに目の前で上官を落とされてもおめおめ帰ってきたアタシらにそんな顔を見せるなんて許されると思うか! アタシらだって、できるなら少佐に殴られたいんだよ! それをアンタがやってどうするんだ!」


 その瞳には涙が溢れていた。エーリッヒはそれを見て冷静になることができた。泣きそうもないオリガがそうなるほどの異常事態なのだと思えば、そうなるのだった。


「メイン少尉」そこに、オリガの後ろからリチャードは話しかけた。「少佐を撃墜したのは、あの白い十一番でした」


「白い十一番――あの仕留め損なった?」


「ええ。恐らくは同じパイロットのはず。それを追っている最中、新手に襲われてその隙に少佐は倒された――本来はあまり伝えるべきではないのでしょうけどね」


 そこまで言って、彼は背を向ける。


「ですが、もし、いつか戦場で相まみえたときが来たならば――仇を討つ権利はアナタにもある。だから、アナタはそれまでにあの機体を超えられるほど強くなければならない。私たちと同じだけの実力は持たなければあのパイロットの戦術的判断には勝ち目がない。それだけは言っておきます」


 去って行くその背中は、わずかに震えていた。その上にきらきらと何かが輝いていたのをエーリッヒは見て取ったが、だからといって何かが言えるわけではなかった。


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