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第308話 ノヴォ・ドニェルツポリ第一五収容所(後編)

 ――パン。


 そのとき、カミュは車の陰にまだいた。それで、遠くに見えた人影が何だったのかようやく得心がいったところだったが、その乾いた音に振り向かされて、忘れた。


 だって、それは銃声としか思えなかったから。


 そして、その推測は事実だった。


「ぐ、がぁぁぁあ……⁉」


 足を押さえて、父親が崩れ落ちる。母親はそれを見て逃げようとしたが、その肩を後ろから撃たれてその場に倒れた。ユーリの手にはいつの間にかプディーツァ軍の正式採用拳銃が握られていて、その足元には薬莢が二つ落ちていた。


「な、何で、」倒れたまま、父親は言う。「何でだ、ユーリ……⁉ 何でこんなことをするんだ?」


「? 何で?」


「聞いているのはこっちだ……! 答えろ、どうして……⁉」


「いや、聞いているのはこっちだよ父さん――どうして分からないんだ? 今までの行いを考えれば、分かることだろうに」


「何を……言って?」


「質問を変えよう。」ユーリは車のボンネットの上に飛び乗るように座った。そこで足を組む。「まさか、あれだけのことをした相手に自分が助けられる可能性があるなんて、どうして考えられるんだ?」


「? ……⁉ ?」


 父親は目を白黒させた。その度に痛みからか脂汗が噴き出して、彼の表面を覆っていく。


「な、何を言っているの……⁉」母親は、どうにかこうにかうつ伏せに倒れた体を仰向けにして、それから起こした。「私たちは何もしていないッ、アナタが勝手におかしくなったのよ……! 私たちのせいじゃない!」


「ああそうですね? アナタたちは確かに何もしなかった――何もしてくれなかった。親らしいことは」


「馬鹿なこと言わないで。ちゃんと養ってきたじゃないの。学費だってあんなに高かったのに払ってあげた。アナタがあの学園に行きたがったから。それは親の務めじゃないの?」


「なら、」ユーリはぶらつかせていた拳銃を彼女の頭に向けた。「そうして戦争に巻き込まれた息子を英雄と称えるのも親の務めですかッ?」


「……⁉」


「アナタたちは僕を英雄のように扱ったな。しかし僕はそんなことを望んじゃいなかった。ただおかえりと言って抱き留めてほしかっただけだ。そんなこともせずにアナタたちは自分の息子を本当に兵隊にしてしまって喜んでいた!」


「待て、ユーリ!」父親が口を開く、その方にユーリは銃口を向ける。「あのときお前は既にエースパイロットだった。自分の息子がそんな大層なものになっていれば、誰だってそれを褒め称える。あのご時世だ。それは何より素晴らしいことだった!」


「僕にとってはそうじゃなかったと言っているのがどうして分からないのかな? 僕は戦いたくて戦っていたんじゃあない。あのとき終わらせられるなら、それでよかったんだ」


「でも、アナタは結局終戦まで戦ったじゃないの⁉ あの夜に出て行ったことを忘れたとでも⁉」


「母さん。それはアナタみたいな汚い大人がいる世界が嫌になったからだ。他人を偶像に仕立て上げて、それに乗っかることをよしとしたアナタみたいな人間がいるから僕はッ」


「他人じゃない、家族でしょ⁉」


「なら、戦争が終わったとき、アナタたちは何て言った⁉」ユーリが再び地面に戻る。母親に向けた拳銃を近づけていく。「毟り取られて何もない僕に一人で生きていけと言い放ったんだ。金も、家も、暖かい言葉さえなかった! 家族扱いなんてしなかったんだッ」


「あのときは、ッ……」母親が言えなかった言葉を父親が繋ぐ。「仕事がなかったから……焦っていたんだ。カマラのこともあった。私たちだって人間だ、ミスはする!」


「いいや、アナタたちは意図的に見捨てたんだ! でなきゃ人殺しなんて言葉が出るものか! 国のために戦った実の息子をそう呼ぶ親なんか、親じゃない!」


 ユーリは、父親の肩目掛けて拳銃を撃った、その狙いは僅かに逸れて腕をぶち抜く。彼は悲鳴を上げた。


「実はね、僕はこれでもアナタたちに期待してみたんだ。収容所に入れられて、少しは反省しているかと思ったんだ。そして僕に会って、真っ先に謝ってくれるものと思っていた。」ユーリは首を横に振る。「でもそうじゃなかった。アナタたちは結局自分のことしか考えていない。あのときから何も進歩しちゃいない。カミュにかけた言葉の一つでも僕に向けようとはしなかった」


「…………!」


「アナタたちを、僕は許さない。僕を壊したアナタたちも、壊れるべきだ」


「待って、ユーリッ」


「死ね」


 パン、パン。


 二発の銃弾が、彼らの頭蓋を撃ち抜いた。それは正確な狙いだった。九ミリ口径の弾丸は、あっさり二体のホモサピエンスの脳髄を破壊し、タンパク質の塊に変えた。それをユーリは肩で息をしながら踏みつけて、本当に死んでしまっているのか確かめた。


「…………」


 カミュはそれを一部始終見ていた。だけだった。何もできなかった。ユーリがああまで激しく感情を発揮するのは珍しいことだったし、それがこうまで過激な行動に出るのはもっと珍しい――否、初めてだったかもしれない。何より彼女の知らないことだらけの会話は、彼女の手足を縛ってしまうに足りた。


「少佐、こ、ここって――」だから震えた声で、彼女は言った。「収容所じゃないですよね?」


「……何だ、」ユーリは、何でもないかのように言った。「ようやく気付いたのか」


「じゃあ、やっぱりここは処理場――なんですね?」


 先ほど見えた人影は、要するに収容者たちの「処理」をしているところだったのだ。銃撃の音が届かないほど遠くで殺して、埋める。だからこれだけの広大な敷地が必要だった。


「打ち上げるだけの重力燃料がもったいないからな。撃ち殺して埋めた方が早いと誰かが気づいたんだ。そしてもっと賢い奴は、これをハンティングにすれば儲かると思ったんだろう。私はそれを申し込んだんだ。私が恐れていたのは、この二人が他の要因で死んでしまっていたことだった」


 ずっと前にこうするべきだった。


 淡々と、そうユーリは言った。カミュは震えあがった。


「で、でも、ご両親――だったのでしょう? 彼らから生まれ落ちた――のでしょう? 何も、殺すことなんて、」


「セー特技兵。君は何も分かっていない」


 ユーリはそのときようやく振り返った。その目には、彼女が映っている。


「これが、僕なんだ――親だろうが何だろうが、平然と殺せてしまう。敵だと思えばどのような人間だろうと撃ち抜いてしまえる。そういう人間になってしまったのが、今の僕だ。いや、人間ではないな、これはもう。機械と言った方がいい」


「少佐、そんなことは……」


「一つ聞きたい。君は、機械を愛することができるのか? 人を殺すことだけに特化してしまった存在に、まだ愛を謳うことができるのか? ……きっと、できはしまい。だから君は僕に近寄ってはいけないんだ」


 カミュは、言葉に詰まった。それは、強い拒絶だった。瞳の中に彼女がいるとしても、それは表層をなぞるだけだ。そこには酷く厚い皮膚という壁がある。その向こうのことは、知ることができない。


(だけれど――)


 カミュは、それでも彼に視線を返した。


「――違います」


「……何?」


「だって、アナタは憎しみで人を殺した、違いますか? 私にはアナタとご両親の間に何があったかは分からないけれど――でも、アナタが彼らを憎く想っていたのは、事実でしょう?」


「憎しみで人を殺すのが、正常だと?」


「だって、それってありふれているじゃないですか。カッとなって殺した。皆そう言うじゃないですか。アナタは機械なんかじゃないんです。よくいる、普通の人間。少し頭に来ていたことがあっただけ――私はそう思います」


「だがそれは小さい人間のすることだ」


「小さくてもいいじゃないですか。少なくとも、人間のすることではあるんですから」


 ユーリは、そのとき身動き一つしなかった。視線もだ。風が吹いた。お互いの髪が逸れに揺られて、ざわざわと耳元で五月蠅かった。


 その沈黙が何分続いたのか、見当もつかない。だが、彼がその後に放った言葉は、こうだったということは確かだ。


「やはり、君は何も分かっていない」


 カミュは、思わず一歩踏み出した。


「何故です? 私は――」


「だって、君は知らないからだ。僕という人間が殺した人のことを。君はそれが事故だっと思っているから」


「え?」


 事故?


 殺した?


 誰のことを――言っている?


「カミュ・セー。君の兄を私は知っている」


 ウジェーヌ・セー。


 コロニー・フロントラインで死んだ男。


 事故だと聞かされている。


「だが実際には――彼は、私が殺した」


 地面が崩れるようだった。


 あの兄さんを、彼が殺した?


 少佐が――兄を?


 この愛しい人が?


「でも、どうやって――」彼女は、可能性に縋る。「だって、兄さんは」


 そのとき、ユーリは自分が瞬きしたことに自覚的だった。だって今自分の言ったことは半分嘘だった。彼は自らの手を汚してなんかいない。撃ったのはプディーツァ軍のパイロットだ。彼は見殺しにしただけだ。殺した、のではあるのだろうが。


「逆に聞くが」ユーリは、しかし、言い返した。「事故だったとどうして分かる? 君はそこにいなかっただろう。ただ、公式発表を聞いた。それだけじゃないか? 遺体だって見たわけじゃない。そんなものは残さなかった」


「嘘だ! アナタが兄さんを殺せたはずはない! いくらアナタがパイロットでも、殺す理由がない!」


「しかし彼はプディーツァのスパイだった。あの時の僕に殺す以外に選択肢はない」


「スパイ? 兄さんが?」そんなこと、知らなかった。「ても、だからって……」


 ――それは、少佐が兄さんを殺した証拠にはならない。


 そう言いたかった。


 けれど、口が動かない。


 何故なら、彼しか知り得ないのだ、ウジェーヌ・セーの死の真相を。


 彼の言うことに違うと言える材料を、彼女は有していない。


 一方で、彼の明かしたことには真実味がある――もし本当にウジェーヌがスパイだったとすれば、守ってくれる兄が家を離れたのに彼女を引き取っていた親戚が妙に優しかったのにも合点がいく。兄が死んだという通知が来たときから急に扱いが悪くなったことにも。


 つまり、彼は彼女の知り得ない情報を持っている。


 カミュの知らないウジェーヌの姿を知っている。


 だから――彼が殺したという可能性を、彼女は否定できなかった。


「…………!」


 そのとき風が吹いた。のだろう。きっとそれは突風だったと思いたい。彼女はそれによろめいたはずだ。後退ったのはそういうわけだったに違いない。


 しかし――一歩、後ろへ。


 車を挟んで、そうした。


 その瞬間、ユーリの口角は裂けんばかりに上がった。


「やはりそうだ。カミュ・セー、君という人間は実に予想通りだな。口では愛しているだのと言っておいて、僕の本質に触れればそうやって離れていくんだ。結局、子供の本気なんていうのはそういうものだ」


「……! 違、私は……!」


「何も違わない。……だが安心してくれ、私は固より君には期待してはいなかった。他の誰にも期待していないように、だ。だから失望することもない。それに、ほら、人は一人で生きていくものだ」


 そう言って車に乗り込む、ユーリの目は濁っていた。その今にも溶けて崩れそうな瞳は一方で誰も近づけようとはしなかった。そうすれば本当に壊れてしまいそうだった。カミュは、車に乗ることすら憚られて、更に一歩下がった。一歩、また一歩――そうして車は走り出す。それを追いかけることなど、できるはずもなかった。

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