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第302話 少年たち

 ユーリはそのとき、カミュの頬が想像より柔らかく未発達なことを指の甲で感じていた。彼女は格納庫特有の低重力の中、その反作用で傍にあった彼女の機体の装甲に叩きつけられる。


「…………」そこから彼女が立ち直るまで、彼は黙っていてやった。「殴られた理由は分かるな?」


「はい」


「貴様は命令を守らなかった。それどころか直掩任務を放棄し無意味に機体を危険に晒した。そして任務そのものの達成を危うくした」


「……処分は覚悟の上です」


「そういう言葉は、独断専行の末に戦果を挙げてからいうものだ。今の貴様は無能な働き者だ。時代が許すなら、私が処刑するべき立場にいる」


「…………」


 カミュはそのときじっとユーリの顔を見ていた。唇の端から垂れた血は腫れつつある頬の表面を伝うよりかはどちらかと言えば宙に浮きあがるようであった。しかし彼女はその痛みに歯を食いしばっているようには見えなかった。ユーリにはそれが何であるか想像がつく。


「反抗的な視線だ。何か言いたいことでもあるのか?」


「! 少佐、……」


「誰が言っていいなどと言った。前にも言ったはずだ。貴様の想いなど、子供なら誰でもする取るに足らない勘違いだと」


「しかし、私はそれでも、」と言う彼女をユーリは視線で制する。「…………」


 すると彼女はついには俯いてしまった。とてもではないが、前なんて向けない。自分はとんでもないことをしでかしたのだ。いくら夢中になってのことだからって、許されるはずはない。彼の心は更に遠くに行ってしまっただろう。装甲板、などでは言い表せない障壁が二人の間に感じられた。


「…………」ユーリは、一瞬、それに何かを感じた。「セー特技兵。君は本当に私から愛されれば嬉しいか?」


 そして頬を撫でる。その行為に、カミュは少し困惑すらした。軽くそこが痛んだけれど、その手つきには慈しみが感じられた。それは今までの彼にはないものだった。


「……え?」


「聞いているのはこちらだ。本当に、私の愛なんかが欲しいのか?」


 彼女は、暫時返事すら忘れた。急に縮まった距離に混乱して、言葉が自分の形を忘れてしまった。あるいは、彼女が自分自身の形を忘れてしまったのかもしれない。頬だけがやたらと熱くて、彼の手を焼かないか心配だった。


「は……はい。」どうにか、彼女は自分を取り戻した。「私は、ユーリ、アナタのことが――」


「――そうか」そのとき、彼の目がふと色合いを落としたことにカミュは気づいた。「なら、今日みたいなことはもうやめろ。命令違反を何度もやられたのでは、私が折檻されてしまう」


 そう言って、彼は、殴って悪かったな、と言い、不意に歩き出す。その素早さに呆気に取られたカミュが振り返ったのは、彼が格納庫から出て行くまさにそのときだった。彼女は殴られた頬を撫ぜ、そこに痛みがあることにどこか優越感を覚えたらしかった。


「ふん、」そして、ギョームは肩を竦めた。「見ろよペトロ。馬鹿がロリコンに騙されてやがるぜ」


 ペトロの機体の腕の後ろに隠れて、彼らはじっとその会話を遠巻きに見ていた。それが面白い演目であるかのようにギョームは笑ってみせた。が、どちらかと言えばそれは上手な喜劇というより下手な悲劇を見ているかのような笑い方だ。上滑りするアイロニーほどユーモラスなものはない、皮肉なことに。


「ああいう背伸びしたことする奴って、いつの時代もいるんだろうな。だけど身が伴ってないから、その不安定になった足元を見透かされる。そうして甘いところだけ吸い尽くされたらその足元を蹴ってポイだ。少佐が狡猾なんじゃない。カミュの奴が馬鹿なのさ」


 それからギョームはまだ呆然と立っているカミュを、へん、と鼻で笑って、彼女の視線がこちらに向く前に機体の腕の下に隠れた。彼は愉快な気持ちで一杯だったから、当然彼の話し相手もそういう気分だろうと推測していた。


 だからギョームはペトロの方を向いた――が、殴られたわけでもないのに腫れぼったいペトロの頬は俯いていて、視線はあらぬ方を見ていた。それに、ギョームは少しムッとした。


「おい、ペトロ。どこ見てんだよ。折角あんなに面白いものはないっていうのに、見逃しちまったんだぜ、お前?」


 肩を竦めてみせると、ギョームはこの鈍くてトロい友人に本気でそう疑問をぶつけた。普段いくらどんくさいからってよそ見をするほどじゃあないはずだ。一体何をしていたのか? ……そう言ってみても、彼はちらとギョームの方を見たきり、また視線を逸らしてしまった。


「なあ、おい――」ギョームは果たして、ペトロの肩を突いた。「無視してんじゃねぇよ」


「え、」すると彼は、座面にしていた機体の太もも部分から滑り落ちる。「うわッ」


 そうして尻餅をついた、というよりは背中から落ちた。僅か数十センチ程度だが、それでも痛いものは痛いし、その音と呻き声にギョームは力加減を間違えたかと不安になって突き落とした上から覗き込んだ。が、ペトロはその頃には体を捩って立ち上がろうとしていたので、彼は溜息を深く吐いた。


「……あのなあ、大袈裟なんだよ。気を抜いてるからだろ? 人と話してるときにさ」


「う、うん……ごめん、」立ち上がりながら、ペトロはギョームと視線を合わせようとした。「でも、……」


 が、彼は結局そうしきることができなかった。どうにも、それは躊躇われた。それだけならまだよかったのだが、その瞳の動揺に気づいたギョームが反対に視線を合わせに来てしまったのだ。彼は尚更たじろいだ、そこにギョームは怪訝そうな目を向ける。


「でも――何だよ。ちゃんと言えよ」


「えっと、ちょっと思っただけなんだけど、さ。本当にそれだけのことなんだけど」


「長いんだよ、お前。結論から言えって」


 ペトロは、その攻撃的な声色にやはり射竦められた。平生の彼の臆病さは、やはりこのときも健在であった。事実、彼の言おうとしていたことというのは、その表明に勇気がいることであった。


 しかし、彼は一方で、ギョームのその言葉に背中を押されたようでもあった。いや、どちらかと言えば目の前の男の背中を崖に向かって蹴り押してやりたい気分になったというか――いずれにしても彼はそのとき自分の言葉の責任の一部をギョームにも押し付けた。


「あの――」それでも、おずおずと。「あまり、そういうの、やめた方がいいと思う」


「…………」ギョームは、ぴく、と眉を動かした。「そういうの、って?」


「そうやって、カミュちゃんのこと馬鹿にするの……さ。あまり、見てていい気しないよ。僕にとっては面白くないし、君が彼女のこと好きだけど彼女が君のこと好きじゃないからってそういうこと言うの、よくない……と、思うんだけど」


 ペトロは、そこでいつの間にか逸らしていた視線を、ゆっくりとギョームの方へ戻した。すぐカッとなる彼がいつ自分に手を出すのかという恐怖があった。が、その期待にも似た恐れは結局不発のままで、実際のギョームはさっき動かした眉を吊り上げた形に固定したまま、不満そうに言った。


「……何言ってんだ、お前?」


「だから、カミュちゃんのこと、好きなんでしょ? だからって……」


「勘違いするなよ。僕がいつアイツのことが好きだって? は、証拠でもあるのかよ。悪し様に言ってるのに、どうしてアイツのことを好きだって思えるんだ? え?」


 そう言って、ギョームは今度こそ追い詰めるつもりで力強くペトロを突き飛ばした。機体の腕――反対側のそれにペトロはぶつかって、鈍い音がした、ことにギョームは誰より驚いた。何故そこまでする必要があった? ……その疑問をかき消すように、彼は声を荒らげた。


「当てずっぽう言ってんじゃねぇぞ。お前、いい加減にしろよ。馬鹿なのは知ってたけど、お前さぁッ……」


「じゃあ何で」もう一度突き飛ばそうとする、その手を跳ねのけてペトロも言い返した。「最初に配属されたとき副官になろうとしたのさッ。危ないから変わろうとしたんじゃないの?」


「そりゃあ素性が分からなかったからさ。今じゃあんなことをしたのを後悔してる。あんな女だと知ってたら、近寄りもしなかった」


「へえ⁉ 偉くなりたいからじゃないんだ。それじゃあやっぱりカミュちゃんのことが――」


「ッ、じゃあさ、」ギョームは機体の脚をまたいで、よりペトロに近づいた。「お前こそどうなんだよ」


「? 何がさ?」


「お前の方こそ、随分あの女のこと庇うじゃないかよ。普段からは想像できないぐらい熱心にさ――それこそ、好きでもなきゃそんなことしないよな? そうだろうッ」


「そ、そんなこと……!」


「そうやって優しい男を気取ってりゃ、いつかは振り向いてもらえるかもってか? えぇッ? ……でもご生憎。お前のしてることってのは、少佐がアイツを蹴り飛ばすのを待ってるってことだ。誰より残酷な男だよお前は!」


「違う!」


 ペトロは自分が不意に相手を殴ることのできる人間だとそのとき初めて知った。が、それはできる能力を示しただけで、できたという実行を現したのではなかった。それはあっさり空振りした。ギョームがそのとき低重力下で跳び上がったからだ。彼は天井に貼り付いて言った。


「見ろよ! それがお前の本性だろ⁉ この状況で手を出すってことの意味は分かるよな⁉」


「ウ、ウゥッ」


「そうやっていつまでも根性なしやってろよ。それより僕みたいに指さして笑ってる方がよっぽど建設的だけどな!」


 ギョームは、そう言い捨てて格納庫を出て行った。そのとき高笑いでもするべきだった。が、それは不可能だった。瞳から溢れる苛々が零れ落ちないように歯を食いしばるので忙しかったからだ。

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