第296話 恋は盲目、なら目を潰して穏やかに過ごせ
整備兵と話す背中が見える。しかしそれはあまりに遠い。
「……はあ」
カミュはそっと格納庫のコンテナの陰に身を隠すと、しゃがみ込んでそう溜息を吐いた。あの様子では、また昼飯はハンバーガー一個とかで済ませる気だろう。でなければ栄養ゼリーか。停泊中、暇なのは彼女たち特技兵ぐらいのもので、後の者は皆一様に忙しそうにあちらこちらへ動き回っている。デサント隊とはいえ指揮官ともなればその動きは一入で、話しかける余地すらまるでない。一度、すれ違ったときにそう試みたが、彼は気づきもせずにどこかへ行ってしまった。それを追いかけて追いかけて、ようやく彼がここにいると掴んだのだ。
「何してんだよ」
が、話しかけられないでいる内に、余計なものがくっついてきた――ギョーム・ミンハラ。休暇から戻ってきた彼が後ろから声を掛けてきたのだ。
「何でもいいでしょ。アンタには関係ない」
「邪魔なんだよそんなとこにいられると。嫌でも目に入ってくるっていうかさ」
「あっそ、じゃあ目を潰しておけば? 少しはその好奇心が楽になると思うよ」
じと、と視線を向ける。カミュはそれで黙ってくれるものと思った。こう冷たく当たれば、ふん、と鼻を鳴らして二、三の捨て台詞を残して去っていくのが通例だったからだ。それからお優しいペトロにでも甘えるのだろう。何て情けない人間だろうか?
「どうだかな。」が、珍しく彼は食い下がった。「既に盲目な奴が言うと、少々シンピョーセーに欠けるぜ」
「盲目? 誰が」
「分かんないなら別にいいぜ? 傍目には滑稽だからな」
ぎろ、とカミュはギョームを睨んだ。彼女はきっと恋なんて一度もしたことのない男に反撃をすると心に決めた。彼に彼女の気持ちはきっと理解できない。こうまで自分勝手な人間というのは、つまりは他人を強く想ったことのない人間なのだ。カミュは振り返りながら立ち上がって言った。
「アンタ、この間女装して帰ってきたんでしょ。それで泣きながらって、随分『男らしい』のね。その上今度は他人の噂話? 私の制服貸してあげようかッ?」
「ッ」ギョームの目つきが変わった理由を、カミュは知らない。「お前ってさ、いつだってそう偉そうだよな。いつも他人を下だって認定して、偉い風に感じたいんだ。評価する奴ってのはいつだって偉いもんな。それに気づいたのには尊敬してやるよ」
「それはアンタだってそうでしょ。今まさに他人を馬鹿にしてる癖に何を言ってるの」
「でも偉ぶりたいのはそれだけじゃあない。自分を抱いた男を自分の勲章にでもしようって言うんだろ? そして『あの人はアンタとは違って~』とでも言うんだろ?」
ギョームの脳裏には、マティーヌの姿があった。あるいはなかった。もういないのだ。そして今頃は、あのいやらしい目つきと手つきをした憲兵と懇ろになっていることだろう。そういうようにしか生きられなくなった女だとしても、それは自分の胸の中にあった感情を消化・消火してくれはしない。
「……ギョーム? 私にはアンタが何を言ってるのか分からない。誰と話をしているつもりなの?」
が、同時に、何も知らないカミュにそれをぶつけてみても、それがどうにかなることはないのにも彼は気づいていた。もしこの怒りとも悲しみともつかない感情が消えるときが来るとしたら、あの女が改心して戻ってくるか彼女をエンハンサーで追いまわして踏み潰したときだけだろう。
「誰だっていいのさ」そう分かっていても、口が止まってくれない。「要するにお前は、俺たちに大人ぶりたいために少佐を利用したいんだ、そうだろう」
「だから、そんなんじゃないって!」
カミュはついにギョームを突き飛ばした。彼は弱い人工重力の中で数歩下がると、嘲りの色をしていた目を怒りのそれに変えた。
「何だよ」
「私は、純粋にあの人を愛しているの。あの人は確かに酷いことをするし、実際にしてきた。捕虜の虐殺だって……でもそれはあの人が壊れていく兆候だってことなの。誰かが彼を守ってあげないといけない。それが私であればって、それだけよ!」
そうカミュは言った。自分でもびっくりするほど、すらすらと言えた。当然、それは少しの気恥ずかしさを有していたけれど、だけれど前向きな気持ちが彼女を包んでいた。
しかし、それから数瞬後、ギョームは細かく上下した。何かと思えば、堪え切れないように笑いだし、それが大笑に変わっていく。カミュは一瞬で全身の血が頭に上った。
「何がおかしいのよ!」
「いや、いやはや――随分純情ぶっているなと思って」
「⁉」
「だってそうだろうが。こうしてストーカー紛いのことまでしてる癖に、自分が傍にいれたらいいなだって? 馬鹿言うんじゃない! ……お前は結局少佐を自分のものにできたらと思っているんだろう。やっぱりトロフィーにしたいだけなんだ!」
「それは――」
違うと言えるのだろうか? 彼の目には彼女が映ってはいないようだが、だとして自分がその影に瓜二つということは考えられないだろうか? カミュは咄嗟に言葉が紡げなかった。
「違うって言うけどよ、じゃあ少佐の方はどうなんだ?」ギョームは調子づいたようにまた嘲笑った。「ああやって仕事熱心なのはいいことさ。だけど少佐はお前にその情熱の一部でも分けているのかよ?」
「そういう問題じゃない。戦場で手を休めれば、それだけ自分の身を危うくする。あの人はただ忙しいだけよ!」
「そうかな? 仮に少しでもお前を必要としているのなら、たとえ忙しくたって時間を割いてお前に擦り寄ってくるだろう。は、そうなればロリコンもいいところだろうけどな」
「あの人のことを悪く言わないで! あの人は……!」
「はいはい純粋純粋。お前も純粋――いつまでもそう思っていろよ。だけどそうやって強かなつもりでいると、たとえ振り向いてもらえても結局騙されるだけだ。お前みたいのはそうやって何もかも素寒貧になって、ようやく何もかも間違いだったと気づくんだ」
ふん、と鼻で笑ったとき、ギョームには達成感を感じる一方で、自分が情けなくも感じていた。結局のところ、この目の前の女にあの女を重ねて言い負かしてみせたところでどちらも自分に屈服したりはしない。この女はいつまでも言い訳を重ねるだろうし、あの女はもうどこにもいない。正しさとは、正確にはそれを主張することとは、この場合無力であった。自分は結局、いつまでも終わったことを蒸し返しているだけなのだ、そう感じた。
「ふざけ、」その瞬間だった。「ないで――!」
ギョームの頬が強く張られたのは。彼は先ほど突き飛ばされたよりも大きく身動きしてどうにか体勢を立て直した、が、何が起きた? 自分は殴られたのか? ……そうギョームは理解するのに時間がかかったが、そうなるとすぐに彼女への――目の前とそうでない女への怒りが湧き上がって、感じていた情けなさを押し流してしまった。
すると、自分の方が正しいはずだという確信が、拳になって彼女の頬を押し潰した。ことに後から気づいた。追撃をするか戸惑う隙を狙ってすぐさま反撃が飛んでくるが、ギョームはそれを、袖を掴んで抑止し、二人は弱い人工重力の中でふわと浮き上がって縺れ合った。
「⁉」そしてそれを、ペトロは見つけた。「何をしているの⁉」
彼はすぐさまそれに飛びかかって二人を引き離そうとした。が、すぐに二人分の肘が彼の顔を襲って、鼻血を出して彼は床に叩きつけられる。その音が響いて、整備兵とユーリは事態に気がついた。彼らに取り押さえられてようやく二人は抵抗と闘争をやめ、ユーリに命令されるままに格納庫から連れ出される。
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