第291話 飛び散るピンクリキッド
「要するに」ユーリは不機嫌なのを隠そうともせず言った。「見敵必殺ということですな?」
「そうだ。何か問題かね?」
そう言ってのけるノンビラに、ユーリは尚更溜息を零したくなった。船団は既に帰路に就き、道中のヴィノ星系付近まで戻ってきていた。そこで折り返すという命令を受けたとき、彼は再び艦長室に呼びだされたのだ。
「今回、このヴィノ星系に出没する海賊の戦力は、戦艦を有しているとされるが一方でエンハンサー隊はデサント以上のものは持っていないはずだ。そこに我々のつけ入る隙がある。」
「隙でありますか。しかしチャリング艦長。我が方のエンハンサー戦力は私の隊以外にはないわけであります。一度戦艦相手に突撃を掛けたことがありますが、あの対空能力ならば一個小隊程度は跳ね返してしまうでしょう」
「だが貴官は生きている。それに、人手不足の海賊はその能力を十全には発揮できないはずだ。任務としてはEFマストかスラスターに一撃加えて離脱不能にすればいい。後は同地に展開する守備隊がどうにかするそうだ」
「簡単に言ってくれますな」
「? 簡単だろう?」
ユーリはその一言に一瞬言葉を失った。とはいえ彼女は巡洋艦の艦長であって、宙母の艦長はしたことがないのだ。そして巡洋艦とはエンハンサーを撃墜しエンハンサーに守られる側であってエンハンサーを使う側では、本来はない。この辺りの感覚の差は大きい。
「……まあ、その辺りは見解の相違がありますが」ユーリは目頭を揉んでから言った。「懸念はまだあります」
「懸念?」
「ええ。確かに、我々がしているのはこのヴィノで補給物資を受け取る、あくまでそのフリです。傍から見れば、何らかの重要物資を緊急で運んでいるようにも見えましょう。しかしいくらここがプディーツァ帝国になったとはいえ、人々までプディーツァ人になったわけではない」
「何が言いたい?」
「敵にこの作戦はバレている可能性が高いということです――敵はゲリラ屋らしくそこら中に情報網を巡らせているでしょう。その中に港湾作業員がいたとしてもおかしくはない。仮に私のこの推測が外れていたとしても、そもそもこの作戦は不自然であります。ヴィノはそれほど大きな補給拠点ではない。そこに緊急に必要な物資が貯蔵されているとは考えづらいのです」
「我々は軍港から出るのだぞ。港湾作業員は関係ない。貴官の考えすぎだ」
「ですが、目撃者はいるでしょう。惑星間輸送船やジャンク業者、星系連絡船といったものまでプディーツァ人の運営になってはいない。精々その出発と到着時に検閲をかけるのが精一杯だ。ですが目撃情報というのは姿形のないものです。没収できない」
「それはもう情報課の仕事だ。我々の領分ではない」
「それはそうでしょうがね。ですが彼らが仕事をちゃんとしているのかどうかということです。何しろこの星系に限らずともドニェルツポリ人はうようよいる。その全てを取り締まれるかどうか」
ノンビラはそのとき立ち上がった。
「貴様の意見は固より聞いていない。これは戦隊からの命令である。貴官の職分はそれを実行することだ。それ以上のこともそれ以下のことも求められていない」
そしてユーリをぎろりと睨む。どうやら一回の少佐風情にはこれ以上の発言は許されていないらしい。彼は肩を竦めるか迷って、結局そうはしなかった。
「……は、善処します」
そうユーリが言ったのが、一昨日のことであった。
しかし、ユーリたちの目の前に広がっているのは、地獄であった。
『ウッ……⁉』
無線の向こう側で、誰かが吐き戻したような声。恐らくはペトロ辺りだろう。吐いたのならヘルメットを開けろ、窒息するぞ――とユーリは言いつつ、すぐそこをふよふよと浮く宇宙服に機体の手を添える。
が、それは中身入りである。
尤も、その中身のそのまた中身の方は、既に割れたバイザーから虚空へ抜けているようだが。
「…………」
全くの無感動にその干からびた死体を眺めてから、ユーリは視線を上げる。そこにはどてっ腹に大穴の開いた輸送艦が今なお積荷を炎上させながら浮いていた。その表面には寄生虫めいて乗組員が蠢いていたが、彼らは既に宿主の方を見捨てたらしい。思い思いに脱出艇に乗り込むかそれが破損していると見るや単独での宇宙遊泳を試みていた。が、その数は少ない。多くは着弾の衝撃でそこら辺に飛び散った破片となっている。先ほどの死体は五体満足な分まだ運がいいぐらいだ。
そしてそれと同じものが、その惨状が、見える範囲で六隻分はあった。この船団の半分程度の数だろう。そのサルガッソめいた光景の中に駆逐艦たちは押し入って、ネットを展開して散らばったモノと者をいじらしく回収していた。
『しょ、少佐?』そのとき聞こえたカミュの声は狼狽えていた。『何です、これは……?』
「見れば分かるだろう。破綻した作戦の正当な末路だ。恐らくは戦艦に襲撃されたな。一メートル砲の直撃だろう。よくもまあこれほど生き残りが出たものだ」
ノンビラの、ひいては戦隊司令部の立てた作戦は、こうして失敗に終わった。海賊は彼らの用意した餌ではなく他の輸送船団の方に食らいついたのだ。
上手く行くはずがない。
ゲリラ側が何を襲うかはゲリラ側の自由だ。
だとすれば、何だか怪しい空荷かもしれない船団より、他の星系から来て間違いなく荷物を満載にしているそれの方が遥かに価値のある目標だ。本来、この手の作戦をやるなら他のトラフィックは可能な限り取り消させるしかないが――そんなことをすれば補給は滞り、そもそもそんな怪しい行動をすれば敵は出てこない。
最初から、上手く行くはずなどないのだ。
この襲われた船団にしたって、対策をした上で倒されているのだから。
『そういうことを言っているのではなく……!』カミュの声は震えていた。『こんなことが起きるのですか? こんな、残酷な?』
「艦が沈むときというのは大抵こういうものだ。慣れた方がいいぞ。これからこんなのばかりだろうから」そう言って、ユーリは無線から聞こえ続けるその水音に溜息を吐いた。「……ナックス特技兵! いつまでゲロを吐いている。救助活動を手伝え。任務だぞ」
『……少佐!』ぎろ、と睨む声。『それはあんまりでしょう』
ユーリはちらと声の主の方を見てから、もう一度溜息を吐いた。
「何だねミンハラ特技兵。貴様も任務をサボりたい口か?」
『そういうことではありません……! ペトロは――ナックス特技兵は体調不良でこの任務ができるほどの余裕がありません。すぐに帰投させるべきです』
「バキューム・システムがあるだろう。バイザーさえ上げれば窒息はしない。モニターは死んでるかもだが、第四世代機には関係ないしな。分かったら任務だ。さっさとやれ」
『少佐……!』
ぐい、とギョーム機が近づいて、ユーリ機を突き飛ばした。それから打ち震えるような動作で「フランケンシュタイン」の装甲の隙間に指をかけ、掴み上げた。
『アナタという人には、人の心というものがないのですか⁉ こんなものを見せることが我々のためになると? 冗談じゃない! 自分はナックス特技兵を送って帰ります!』
「人の心がないというのなら、貴様もそうだろうな。まだ放り出されただけで生きている人間がいるかもしれない。貴様はそれを見捨てて自分だけ逃げるつもりか? 仲間をダシにして?」
『き、詭弁を……!』
「それともそうやって仲間を庇えば英雄扱いされるとでも思ったのか? 勇気ある行動ご苦労ミンハラ特技兵。だがその勇気には何の価値もない。ただ作業を遅らせるだけだ。なくせはしない」
『ですが、こんなことをやるために僕らは、』
「いいかミンハラ特技兵。」ユーリはコックピットハッチを機体の膝で下から蹴ってギョーム機を揺らす。「貴様が偉大で崇高な仕事しかしたくないのは理解した。が、これは戦争だ。死人は出るし、そうなれば死体は残る。ならそれを片付けないといけない。駄々をこねている暇はないんだよ」
そうやると、ギョームの機体はようやくユーリ機から離れた。さっきまでの威勢のいい言葉は鳴りを潜め、ただ荒い息の音だけが無線から聞こえてくる。無意識にスイッチを押しっぱなしにしているということ――当然、そんな呆然としている状態では使い物にはなるまい。
『何も、』すると辛うじて、声がした。『何も感じないなんて、悲しいだけじゃないですか』
馬鹿にする、とユーリは憤った。何も感じないわけではない。動かないマン・ターゲット特有の不気味さや生理的な嫌悪感はあるのだ。だが任務なのでそれを無視しているだけ――まるで人でなしのように言われるのは心外だった。
ユーリは溜息を吐いて、手近にあった死体を掌の上に乗せた。その死体はユーリ機が触れた途端慣性の法則から解き放たれて、――水風船のように揺れた。
が、何も感じない。
細かい破片を広い範囲に受けたけれど、そのせいで圧力が分散して、押し潰されるとこういう死体になるのだ、という知識だけがふと頭を過るだけで、それ以上のことは起こらない。
ああ気持ち悪いな、以上の感動は起こらなかった。
「…………」
ユーリは、そのことに僅かばかりに驚いた。それは、かつて愛した人の死に様だったはずだ。それは心に深く刻まれたもの。いつまでも治りはしない傷だったはずだ。
それなのに、何故こうまで無感動にいられるのだろうか?
どうして――忘れてしまったの、私のことを?
「…………ッ」
ユーリは咄嗟にその死体を握り潰した。ぐちゃりとピンク色の液体が飛び散って、ああ掃除が面倒だ、整備兵が大変だろうなと思った、だけだった。
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