第284話 「トーテンコップフ」起動
そして、今に至る。
「――!」
そして、その瞬間、でもある。
彼が、自分の肉体から精神が引き離されるような感覚を味わったのは。
(何……だ⁉)
彼は暫時自分がどうしてその状況に置かれていたのか忘れてしまった。それほどの衝撃であった。自分がどこにもいないような浮遊感があって、それでいてそれを感じる自分は確実にいて、コギト・エルゴ・スム、一方で機体が動いている、動かしているという実感が次第に戻ってくる。が、そこに自分が体を動かしているという感覚はないのだ。
(直結!)すぐに、彼は答えに辿り着いた。(とは、こういうことか⁉)
そして、呆けられるのも、そこで終わりだった。ビームが彼の視界を支配した。光が奥から手前に走って、彼は自分がまだ敵二機と交戦中であることを思い出した。既に射撃戦から格闘戦に至る距離感。それでも敵機はそのギリギリの距離で必殺のライフルを放った!
「しかしだなッ」
ユーリは、しかし、それに機体の左腕を突き出した。そこからはエネルギーが溢れ出ている、という錯覚がある。が、それは現実でもあった。その力場に触れた敵の光弾はその針路を逸らされて上下左右の虚空へお好きなように消えていく。
そして敵がその光景に呆気に取られた一瞬を、ユーリは見逃さない。即座にビームサーベルへと持ち替えて、衝突を回避しようとする敵機へ切っ先を引っかけるようにして一撃を加える。敵機は一瞬だけその形状を維持していたが、機体内部に飛び散った重粒子がズタズタにした内部構造は残存する旋回Gに耐えられなかった。火花になって散る。
しかし、敵は一機ではない。僚機が命懸けで稼いだ時間を使って、もう一機が背後へ回り込んでくる。一方の味方機、カミュはようやく危機を脱したことに気がついて戦場の方向へ向かいつつ右往左往しているだけだった。いくらこの機体が運動性に優れるといっても、チームワークを活かしたこの攻撃には、成す術も、ない!
「だとしてもッ」
ユーリがそのフォーメーションに対して打った手はあっさりとしたものだった。ごく簡単に、くるりと旋回してみせただけである。今や彼の体とは機体のことを示していたから、それは実に素早く行われた。
速く、ではない。
早く、である――一拍ほど、敵の呼吸より早期にそれが行われて、射撃はユーリ機の後ろの空間を切り裂いたに過ぎなかった。そうして前に押し出された敵機は攻撃チャンスを失い、数的優位も失った。ホロデコイやカウンターメジャーをバラまきながら離脱していく。
ユーリはそれを追う――暇がないことに気づいている。船団へ向かう敵機の足止めに向かわせたギョームとペトロが限界に達しているはずだ。事実データリンク上の彼らの表示は規則正しい往復攻撃機動を取ってはいなかった。絡みつかれ、何とか相互援護によって落とされていないだけ。ユーリは「ライプシュタンダルテ」を回収しつつすぐさまその方向へ針路をとった。自機の後ろをようやく捉えたばかりのカミュ機はその鋭い加速に置いて行かれるが、この際速度が最優先だ。離脱した敵機も戻っては来るまい。
『少佐ァ!』どちらとも言えない悲鳴。『助け……!』
四・五世代機の加速は、あっという間にそれが無線で拾えるほどの距離までユーリを近づかせた。そして瞬きする内にそれはスコープで捉えられる範囲に変わる。敵機は先にギョームたちを処理して四機で襲撃をかける腹積もりだったようで、彼らはそれぞれ二機ずつに追われていた。
「よくもまあ耐えてみせた!」ユーリはその内の一機に照準を合わせ、引き金を引く。「貴様らは充分優秀だッ」
それと同時に、「ライプシュタンダルテ」を射出。それをもう片方へ向かわせる。ミサイルか何かと誤認した敵機はそれをどうにかやり過ごそうと追尾を止め離脱。追跡に夢中になっていた方は、ライフルの直撃を受けて哀れスペースデブリへと不可逆加工された。
『少佐、』助け出したのはペトロの方だったようだ。『ギョームを……!』
「分かっている!」
一瞬遅れた分、彼の方は余裕がない。すぐさま牽制で射撃を放ち、脅しの咄嗟撃ち程度では止まらない手練れたちのようだった。弾道を読まれ、最小限の回避機動ですり抜けられる。「ライプシュタンダルテ」はさっきの目標を追って遠くにあり、戻ってこさせるにも時間がかかる。
万事休す――その瞬間、ギョーム機は至近弾を受けた。掠めただけのように見えたがそれで姿勢が崩れ、それを取り戻そうとしてかえって反対方向に姿勢を崩す。スピンにはなっていないだけで、大きく回復操作が必要になった。
『うわぁぁぁッ』
それは大きな隙であった。敵機は容易といった様子でそれに照準を合わせる。僅かな一瞬、そのたった一瞬でギョームの機体は直撃を浴びて粉砕されることだろう。
荷電粒子の閃光。その煌めきに彼の命はかき消され――ない。
「……!」
ユーリは、自分の賭けが上手くいったことに自分でも驚きを隠せなかった。
彼が何をしたのか?
それは、射撃に射撃を合わせたのである。
荷電粒子の光弾を、同じくそれで撃ち落とした。
ギョーム機は失速して、戦場では止まっているも同然の状態に陥っていた。
だから、それを狙う敵機の射線は、どうしたって小細工なしの直線的なものになる。それで充分だからだ。
しかし、だからこそ、ユーリにはその弾道が正確に予想できた。予測とまではいかないまでも、ビーム同士を干渉させて、その道のりを歪める程度には近い位置に射撃を届けることができた。
かつて一度だけやったことはあるし、そのときはもっと長距離の目標に対してもっと難しい条件で成し遂げたのだ。できないことはない――尤も、もう一度できるとは思えないが。
「ッ、ギョームは下がれ! 邪魔だ!」
見惚れている時間はない。ユーリはすぐさま敵機へ目標を切り替える。照準、射撃――しかしそれは敵機に見られた動きだった。それはすぐさま身を切り返し、サイドキックしながら射撃。それをユーリがかわすと見るや頭部バルカンでセンサー類の目潰しを狙う。恐らくその隙にサーベルを抜くのだろう。
が、ユーリはそれに左腕を突き出すだけでよかった。「シュゲーレ・ムジーク」はその程度の攻撃は受け付けない。出力の関係でサーベルと同時使用はできないが、サーベルは斬る瞬間だけ使えればいい。敵機は初めて見る状況に面食らっているようで機動が揺らいだが、相対距離は既に接近戦。彼はサーベルを抜いた、が遅い!
「もらっ、」その瞬間だった。「……⁉」
ユーリの体に、今まで経験したことのない不調が現れたのは――その眩暈とも吐き気とも言えない思考の停止に機体の動きは追従してしまった。切っ先は鈍り、精彩を欠いた敵機すら捉え損ねる。敵機は敵機で隙を晒した分をその隙に取り返したが、ユーリ機を撃墜するには至らなかった。そして、その瞬間に冷静になって状況を再確認したのか、残存機と共に離脱していく。
(何――だ?)
ユーリは、それに追撃を行うこともできなかった。体の中が液体にでもなったかのようにグルグルと回っていて、脳と足と手と心臓と肝臓と腎臓と肺と脾臓と、兎に角ありとあらゆる臓器が骨格と混ざり合っている。
そうだ、これは肉体の反応だ、と気づいたとき、ユーリは「トーテンコップフ」を解除していた。瞬間、モニターが映り空気の匂いがして現実に引き戻されるが、それと同時に思わず吐きそうになって、堪えるのに必死になった。ヘルメットをしているのに嘔吐すれば最悪だ。窒息の危険性すらある。その理性が彼の胃の腑をどうにか制した。
そうしてそれが治まったとき、しかし、視界は未だ定まらなかった。焦点が中々合わない。まるで体中が自分の領土でなくなったような感覚だった。手も足も、妙に動きが鈍い、痺れているというよりは、寝起きの怠さに近い。力が入らないのだ。
「少佐殿」カミュがようやく追いついた。「どうしました?」
見ると、船団からも帰還命令が出ていた。ユーリはどうにか、何でもないとだけ返事をして、機体を船団の方へ向ける。
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