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第281話 ノンビラ・チャリングという女

「ルヴァンドフスキ少佐」ユーリは敬礼をした。「只今着任いたしました。ご確認を」


 輸送艦に揺られて到着したジビャ星系に新しい母艦である「キーロフ」はその僚艦や護衛すべき船団と共に停泊していた。その艦長室に彼は関係書類と共に進入したのである。


「挨拶ご苦労、少佐」ノンビラは答礼をしつつ言った。「私がノンビラ・チャリング大佐だ。どうぞかけてくれ。疲れただろう」


「いえ。小官はこのままで」


「気にするな。私は座ったからといって評定を下げるような騙し討ちはしない」


「評定を気にしたことはありません。これ以上の昇進は望まぬもので」


「そうか。それは一本取られたな」


 そう言って、ノンビラは差し出した手を元に戻した。それから自分の椅子に深く腰掛ける、ユーリはそこで小脇に抱えていた書類を手渡して、それを彼女は受け取った。


「ふん、貴官の噂は知っている。先の戦争では我々が手を焼いたとな。それが今度は我々の側に立って参戦する、どういう風の吹き回しだったのかな、少佐?」


「単なる政治的志向の変化に過ぎません。かの国は裏切り、この国は裏切らない、その敵であるという点において。実に簡単な問いです」


「聞き飽きたし言い飽きた、という表情だな少佐。退屈で申し訳ない」


「ええ。こちらこそ隠し立てできない無礼をお詫びします」


 ユーリはそこで一礼すらしてみせた。その態度がかえって気に入ったのか、ノンビラは吹き出して笑った。


「貴官は私を舐めているつもりだろうがな、しかし残念ながら私は正直者の方が好きだ。そこに馬鹿がついても構わない。貴官はそのタイプと見た」


「失礼ながら正直は美徳であります。舐めているなど滅相もない」


「そういうところが益々気に入った。ただのデサントなのが惜しいぐらいだ」


 にや、と笑いながらノンビラは立ち上がる。彼女は増設したらしい冷蔵庫から一つの瓶を取り出した。よく冷えたグラス二つとセットである。人工重力が効いているから、それらは宙に浮くことはない。彼女はそれを机の上に置いて黒い中身を注いだ。それは泡立っている。


「コーラだ。艦長権限で取り寄せた。飲みたまえよ」


 ぬっと片方のグラスを掴んでノンビラはユーリに突き出した。しかしユーリは卓上に置かれたそれに全く手を付けようとはしなかった。それは無為にシュワシュワと音を立て中身の僅かコンマ数パーセントにもならない量を水面の上で踊らせた。


「瓶のコーラが一番美味だとは言いますがな。しかしこれはどこ製のものですか?」


 ユーリの言葉に、ノンビラは少しムッとしたような表情をした。


「プディーツァ製に決まっているだろう。地球のと一緒にするなよ? アレがオリジナルだとして、本物というわけではない」


「変わったご意見ですな」


「どうかな? 愛国者ならば皆一様にそう言うはずだ。何もかも、プディーツァのものが素晴らしいとな。兵器一つとっても、プディーツァ製のものは無駄が少なく合理的な設計をしている。地球製のそれは贅肉だらけで無駄に高価で、それでいて気難しい。どちらが優れているかは一目瞭然だ」


「はあ」


 ブッダに説法、という言葉をユーリは思い浮かべていた。この目の前の大佐は、ユーリがドニェルツポリ軍で戦っていたことは知っていても、レンドリース艦隊にいたことは知らないか、都合よく無視しているらしい。ユーリの直感としては一長一短だ。パイロットとしては地球製の「ミニットマン」を推すが。


「いいかねルヴァンドフスキ少佐。」ノンビラは続ける。「今般の戦争は総力戦だ。地球という国は物資面では優位に立っている。それに勝つためには少しの無駄も許されぬ厳しい戦いになるだろう。だが我々にはそれが可能だ。何故か分かるか?」


 ユーリが返答するより早く、熱心そうにノンビラは立ち上がる。


「そう、民族的に優位に立っているからだ。旧革命評議会政府こそその能力を十全に発揮し得る必要十分な領域だったわけだ。地球人共がそれを恐れて終ぞ直接対決は避け、内部から崩壊せしめるに至ったのがその証左だ。そしてその崩壊の第一人者とはドニェルツポリ人である。先の戦争はその懲罰であって……」


 そこまで言って、ノンビラはふと冷静になったらしい。コーラの何かがどこかに効いたのだろう、とユーリはノンビラの顔からその後方へ焦点をずらしながら思った。彼女は彼の方角を見ていなかったので、その絶妙に話を聞いていない表情には気づかないまま続けた。


「いや、私が言いたいのはそういうことではないな。懲罰などは済んだ話だ。既に貴様らは帝国臣民である。たとえ二等であろうと一等であろうと、そこに違いなどない。ウラジーミル一世陛下に忠誠を捧げ、軍務に励む同志であるということが、重要なのだ」


 それから、その何かの鎮静作用が体の動きにも出たようで、彼女は椅子に座り直した。コーラを飲まなかったのは正解だったかもしれない。何か地球製の本家本元には入っていない成分でもあって、それが効いているのかもしれないからだ、とユーリは思った。


「さて、少佐――」それにしてもノンビラは未だ饒舌だった。「貴官はこれから差別を受けるであろう。一等臣民の中には、二等以下の臣民のことをよく思わない者もいる。結局は長いものには巻かれる日和見主義者に過ぎないとな。しかし私は貴官のことをそうは思わない。貴様は命を懸けてこの場にいる。そのことを私は尊敬する」


「は、光栄であります」


「いいか、このことだけは忘れないでくれ。私は臣民を差別することだけは決してないということをな」


 そう言って、彼女は手袋を外し手を差し出した。ユーリは一瞬迷ったが、自分も儀礼上手袋を外す必要はあるだろうと思った。そうして何とか握手の体を装った。


「それでは行きたまえ。まだ機体を受領していないのだろう?」


「は、直ちに」


 そう言って、ユーリは敬礼をして、艦長室を出た。


「ルヴァンドフスキ少佐」そこに、彼女は待っていた。「格納庫に機体が納入されました。ご確認をお願いします」


「セー特技兵か」ユーリは横目で彼女の茶髪を確認してから廊下を移動し始めた。「分かっている。無駄な時間を過ごした」


「無駄だったのですか?」


「自分は自由主義者だと名乗る差別主義者との会話が有益だと思うか? 人間を差別しない人間は、『二等臣民』なんて言葉は使わないものさ」


「ですが、臣民制は事実です」


「だが、科学的根拠はない。人類が宇宙に飛び出してからというもの、人種という概念はミックスされて久しい。どこにでもネグロイドはいるしコーカソイドやモンゴロイドも然り。だのに民族なんてものがそこにあると思うか? 実に馬鹿馬鹿しいことだ」


「少佐、それは国々の文化というものを無視する……」


「それはそうさ。」カミュの言葉を遮って、ユーリは言った。「文化というものは住む土地に由来するものだ。それは存在する。だがああいう人間はな、どういうわけか遺伝的に自民族が優れているという主張をするのさ。そこに住んでいるから我々の遺伝子は凄いのだとね」


「しかし、遺伝子は変化します。宇宙に飛び出して何世紀も経ったのです。何か起きてもおかしくはない」


 カミュがそう言ったのを、ユーリは鼻で笑った。


「さては貴様、暗黒バエの実験を知らないな?」


「暗黒バエ?」


「ああ。地球時代の実験でな。ハエを暗室に閉じ込めて遺伝子がどの程度変化していくかを見るというものだ。さてここで問題だ。ゲノムに五パーセントの変異が確認されたのは、何世代目でのことだと思う?」


「……五〇世代目ぐらいでしょうか?」


「正解は約一四〇〇世代目だ。種が違うから単純比較はできないがこれを人間に当てはめると、三十代で子供を産むとしたら約四二〇〇年経たないと変化は出てこないということになる」


 ――まあ実際には、人間とチンパンジーの違いが二パーセントぐらいだというから、五パーセントも変われば相当違うんだが。


 と、ユーリは言いつつ、続けた。


「何にしても数世紀程度の時間なんてものは、人間の遺伝情報をちっとも変化させたりはしないってことだ。まして同じ国でも星系によっても気候が違うのに、どうして同様の変化が起きるなんて考えるんだ?」


 そう結論付けると、ユーリは先を急ぐ――その背後でカミュは足を止めた。


「そう言うのならば――」


「どうした」ユーリはそれに気づくと、彼女に次いで停止した。「機体の受領なのだろう?」


「そこまで仰るなら、どうしてアナタはプディーツァ軍にいるのですか?」


 地球の方が、アナタは生きやすいのでは。


 そう言ったのだ。


 カミュの内心にあったのは、ユーリが消えてしまう光景だった。これほどまでに、彼はプディーツァ帝国の主張というものが、あるいはそのものが虚構だと考えている。何なら普通のドニェルツポリ人や地球人よりも強くそう考えているとすら言えた。


 その点において彼女は彼のことを理解しきれていなかったけれど――それでも、そうであるからには、彼はここにいてはいけないと思った。


 こんなところにいてはいけない。


 こんなところで狂ったフリをしていては、いつか本当に狂ってしまう。


 その先にあるのは――死。


 あるいはそれより薄暗い結末。


 そんなものを、彼女は見たくはなかったのだ。


「言ったはずだ。」しかしユーリはその言葉に表情を少しも変えなかった。「私の人生は最早復讐のためにしかない。地球もドニェルツポリもクソ食らえだ。奴らが先に()を裏切ったのだ。あんなところに戻ることは、考えられない」


 話は以上だ、と言わんばかりにそう言うと、彼は再び廊下を奥へと進んでいく。それはカミュにとって心の内の衝動を強くするばかりのものであった。

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