第26話 直談判
「第二大隊長に聞くべきだ」
静かで広い大隊長室の椅子に腰かけてエルナンドはエーリッヒに向かって言った。机の脇には書類が山積みに――なる代わりに、ホログラフ端末が一台置かれている。軍隊とは鉄と血を紙とペンで支える組織である以上、方法こそ違えどもこういった事務作業は欠かすことができない。彼は来訪者の方など見向きもせず老眼鏡をかけ、まず一枚目から手元に置いた。
「私は一大隊長に過ぎない。他の大隊のことなど知らないぞ」
「それでも、命令書の行間から何か読み取れはしませんか。同時出撃である以上連携の都合があるのですから、何か少しは分かるはずでしょう」
「前回の私たちの任務は『敵防空網の破壊』と『敵艦隊の撃破』だ。それ以上でもそれ以下でもない」
ホログラフの中にあるサインする位置を確かめて、板状の端末の表面をなぞり、虚像の中に彼自身の名前を書き込む。その間視線が向かないことに、エーリッヒは苛立った。
「ですが、あのコロニーの破壊は人為的なものでしょう? そのための任務だったとは考えられませんか」
しかし、その苦し紛れの言葉は、決済済みを示すボタンを押す彼の上司の手をためらわせた。それは鉄壁の要塞にようやく生じた隙と呼ぶべきものだったが、しかしエーリッヒはエルナンドに視線を向けられて後悔した。
「……そんなこと、誰が言ったんだ?」
「それは……」
「答えろ。これは命令だ。一体誰がそのような事実無根の不祥事をでっち上げたのだ? 重大な軍規違反だぞ?」
むしろより大きな隙を抱えたのはエーリッヒの方だった。彼の情報源はリチャードとオリガの噂話に過ぎなかったし、それを白状すれば彼らに何らかの処分が下ってしまうことは明らかだった。それは全く望まないことだったし――もし違ったなら、よりマズいことになる。
どうする――。
思わず空気を握り締めると、彼の手は汗ばんでいた。ピンチではあるが――同時にチャンスでもある。手を止めたというその事実が辛うじて彼の精神を均衡させていた。
間違いなく、少佐は何かを知っている。でなければこの激烈な反応はあり得ない。
例えるなら損傷を与えた敵機へ真正面同士で突っ込んでいるようなものだ。正面装甲で弾いて敵にとどめを刺せればいいが、反対にかわされて近接戦闘で一刀両断される可能性すらある。
しかし迷ったのは数瞬。エルナンドが次の言葉を紡ぐコンマ一秒前だった。
「それは、」エーリッヒは、できる限り声が裏返らないよう祈った。「自分であります」
「貴様が?」
「はい。コロニーに住んだことはないので、その、正確なことは言えませんが……あれだけの構造物を完全に破壊するためには、それ相応の準備、が……必要になるのではないかと、そう考えました」
「偶然ではないのか。コロニー戦など市街地戦のようなものだぞ?」
「一つだけならそうでしょうが、五つ同時は考えづらいでしょう」
ふむ、とエルナンドは視線を逸らした。それはエーリッヒにとっては予想外の反応だった。
「あの……少佐殿?」
「何だ?」
「その、つかぬことをお聞きしますが……ご存じなかった、のでしょうか?」
「当たり前だ。上からの命令を一々背景まで考えるのは無駄というものだし、無益だ」
「いえ、そういうことではなく、誰かから似たような話を聞いていたとか……そういうことは?」
「ない。貴様が初めてだ」
ほう、と思わず安堵のため息をエーリッヒは吐いた。少佐は何かを知っていたからあのような高圧的な態度に転じたのではないらしい。むしろ反対に、何も知らずかつ疑ってもいなかったから、単純に軍規違反容疑として処理していたのだ。
「……何だ?」
「い、いえ、何でも」
何か、こう、イメージが崩れるような気がしたが、それがバレないようエーリッヒは目を逸らした。軍人として真面目過ぎると、意外なところで鈍いのだろうか?
「ですが……どうします? もしこれが故意に行われたことなら、間違いなく艦長なりその上の上級司令部なりが絡んでくるはずです。下手を打てば消されてしまったりは……」
「大丈夫だ。それに関してはいい方法がある」
「……聞かせていただいても?」
エーリッヒはエルナンドの目を覗き込んだが、彼は瞼を閉じて首を横に振った。
「それはできない……よく考えろ、貴様が中央のスパイだったらどうする?」
「そんなことは……」
「落ち着け。疑っているわけではない。だが仮に貴様がそうでなかったとしても、事実を知ったことが憲兵に分かってしまえば私も危険になる。逆もまた然りだ。だから相互に独立させた方がいい」
その言い様に、エーリッヒはどこか違和感を覚えた。確かに、エルナンドの言うことは正しく聞こえる。この国の官憲というものは根本的に粗野であり、いざとなったら乱暴な手法しか使えないのだというのが常識だったからだ。
だが一方で、具体的手法についてわざと伏せるというのもどこか不自然だった。それは先ほど得たようなエルナンドの軍人としての側面とはそぐわないような気がした。軍人全般として、とかく明瞭なことを好むのだから。
「安心しろ。」しかし、エルナンドはにこやかに立ち上がった。「少佐ほどになるとな、上にも横にも、とにかく色々なところに顔が利くようになっている。それを使うだけのことだ」
それから、エーリッヒの肩に手を置いた。
「…………!」
「だから貴様は、今はとにかく目の前の戦争のことだけを考えるんだ。こんな危険なことは私に任せて、生き残る以外の余計なことは考えるな。いいか、分かったな?」
その掌は、軍服越しであるにも関わらず温かかった。それは彼の本心であるように思われた。不思議なものだったが、それだけのことでたちどころに疑問は一瞬にして立ち消え、エーリッヒは首を縦に振った。それを見て、エルナンドはにこやかに笑った。
「よろしい、では早く出た方がいい。長居すると怪しまれるからな」
「は……失礼します」
そう言って、エーリッヒは速やかに部屋を出た。
と同時に、エルナンドは貼り付けていた笑顔を元に戻し、天井を見ながらため息を吐いた。
(……予想外に鋭い奴だ。騙し切れたならいいが)
彼にとって、エーリッヒがここに来たことはほとんど最悪の事態と言えた。何しろ全くの予想外だったのだ。来るなら二番機や三番機か、少なくとも彼ではないもっとベテランの大隊員に違いないと考えていただけに、最初、処分をちらつかせて情報源を探ろうとしたのだ。
しかし、それは失敗だったと言える。本当の情報源は別にあって、それを隠しているのは態度から明らかだったが、エーリッヒの性格は他人に本当の罪を与えるよりかは咎のない自分が背負うのをよしとするタイプだったのだ。咄嗟に機転を利かせて、自分も知らなかったことにしていなければ、信頼関係を損なっていただろう。そうなればそれ以上の情報は引き出せなくなる。
(何にせよ)エルナンドは自分の椅子に座り直した。(あとはタイミングと口実だ……今しょっ引いたのでは元の情報源が代わりに行動するはずだし、恐らく彼らは『坊や』よりは何倍も狡猾だろう。そうなれば何が起きるか予想できない。まして偽情報を流そうとした容疑とするにも最低限の証拠を憲兵は欲しがるはずだ。それがまだ用意できない)
一応、エルナンドは盗聴器と隠しカメラを部屋に用意はしていた。もちろんこういうように直談判してくる事態を想定してのことだったが、しかし今回の場合変に芝居がかってしまった。それをどこまで憲兵隊に信じてもらえるかという問題があるのだ。その不確定要素が彼を躊躇させた。
彼自身まで逮捕されたのでは意味がない。
あくまで彼は体制の良き保護者としての軍人であるのだから。
でなくては昇進など夢のまた夢なのである。
閑話休題。どうにも煮詰まったことを感じた彼は老眼鏡を外して目頭を揉んだ。
そのときである。壁に備え付けられた内線が突如として鳴ったのは。
「私だ」
「ヴァルデッラバノ少佐。緊急事態だ。すぐにブリッジまで来るように」
相手は艦長だった。思わず身なりを直して、返答した。
「何があったのです」
「艦隊司令部より後続艦隊との連絡が途絶えたと量子通信が入った――あのコロニーには、まだ敵がいる!」
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