第259話 「僕」
この第一次攻撃において、プディーツァ艦隊はドニェルツポリ艦隊を捕捉することに失敗した。エンハンサー隊の奮戦により、要塞へ退避する艦隊へ触手を伸ばすことが困難だったのだ。いくら戦力的に少ない相手だからって、防御に徹されればそのようなことが起こるのである。
「が、それは囮だ」ユーリは、コックピットの中で呟いた。「これで連中は逃げられない」
その視線の先には、モニターが。そのモニターが映し出すのは、メインカメラの光景――そこには、量子ゲートが燃え盛り、崩れていく様子である。
そう、アレだけの大艦隊は全て囮である。その大戦力が艦隊を押し潰すかもしれないという危惧を敵に与えて、その実探知されにくい小部隊を以てオクト・クラウン星系の量子ゲート――それは星系の第四惑星近傍に存在する――を破壊するというのが、作戦であった。
量子ゲートが破壊されたということは超光速航法でのみ脱出が可能ということ。
しかしそのために必要な滑走距離は長大だ。
そこに艦隊が遊弋してさえいれば――敵は封じられたも同然。
オクト・クラウンに逃げ込んだ艦隊は、完全に包囲された。
「……しかし」それは、ユーリにとって不満であった。「これではつまらないな」
帰還して、格納庫へ降り立った彼は、宇宙服を脱ぐためにロッカーへ向かった。宇宙服用の水冷インナーは肌が出ないので、男女ともそこで着替えるようになっている。尤も、分けていては戦闘が始まったとき混乱を招くからだ。
「?」隣で聞いていたカミュは首を傾げる。「どういうことです?」
「聞いたか? 我々は後方から来る艦隊が到着するまで敵を包囲していろとのことだ。敵との小競り合いはあろうが、本格的な戦闘にはなるまい。退屈な仕事だと思わんかね」
「はあ……しかし任務なのでしょう。その命令を墨守するべきでは」
「君は真面目だな。真面目同士ミンハラ特技兵とよろしくやっていろ」
着替え終わったユーリはロッカーの戸を強く締めた。建付けが悪いのだ。だが機嫌悪く聞こえるだろうことは織り込み済みだった。
「しかし、……少佐!」
「冗談だ。それとも冗談が通じないほど真面目かね?」
「……いえ」
カミュは急いで着替え終えると、すぐにユーリを追いかけた。彼はその足音を聞くと立ち止まって待ってやった。
「しかし少佐。退屈な任務でも重要なことです。あそこにはエンラスクス大統領がいるのでしょう? これを封じたままにしておけば、こちらが有利になると前に言っていたではないですか」
「ん、ああ……そうだったか?」
「ほら、国際法がどうとかで……」
「ああ、言ったな、そんなこと」
それはつまり、現状、この宇宙で起きている戦争は三つであるということだった。
一つはジョ帝国と地球との戦争で。
一つはプディーツァと地球の戦争で。
一つはプディーツァとドニェルツポリの戦争である。
より正確に言えば、前半の二つは地球とその同盟国と、プディーツァとジョ帝国の同盟の間で起こっている戦争であるからには一つの戦争であるが――問題はそこではない。
その問題というのは、ドニェルツポリが地球と何ら同盟を結んでいないということである――終戦条約によって地球との同盟が禁じられたドニェルツポリは、現状単独でプディーツァと戦っている形になっていた。
これは大きな違いである。というのも、その場合地球にとってドニェルツポリ領というのは聖域になってしまうからだ。
「まだよく分かっていないのですが、何故聖域となるのですか? 同じプディーツァ帝国と戦うのなら、仲間ということでは?」
「セー特技兵は真面目な割に馬鹿だな」
「……でも、よく分からないものは分かりませんよ」
「そうか、だったらもう一度説明するが――国際法上、ドニェルツポリの戦争には地球は手出しできないからだ。そうするための条約がない」
先述の通り、これらは別個の戦争である。ドニェルツポリが勝とうが負けようが、その趨勢に地球側は関与するための根拠を持たない。無論地球側の戦線において勝利する等の間接的な影響は与えられるかもしれないが、例えば援軍を送るだとか、ドニェルツポリ領へ侵攻するといった直接的関与は不可能であった。
するとどうなるか。
プディーツァ軍はドニェルツポリ領から出撃し、不利になったらそこへ帰ることができる――そのとき地球軍は手出しができない。国際法違反になるからだ。
「もちろん、横紙破りはいつだって可能だ――我が国のようにな。同じ相手と戦争しているのだから、ついうっかり戦ってしまったと主張するという手もある。だが、彼らは今や国際法の守り手を自認している状況だ。それをやってしまえば、自らの存在意義を破壊することにも繋がる。こういうのは大義名分が大事だからな」
「……なるほど、では尚更包囲するのは大事ではないですか」
「そう思えるか?」
「ええ。要するに敵の国家元首を――国政の決定権を持つ人間を封じておければ、ということなのでしょう」
「…………」ユーリは、カミュに冷たい目線をぶつけた。「やはり、君は馬鹿だと思える」
「……その馬鹿というの、やめてもらえませんか」
「だが馬鹿だ。大統領自身が重要なのであって、それをこの場に足止めしておくことは重要ではない。包囲したままでも充分だが、それでは一定の戦力をここに留めておく必要が生まれる。それは非効率的だ」
「……? ではどうしろと?」
「別に――殺してしまっても構わないだろう? 生かしておく必要があるか?」
「……!」
「尤も、プディーツァ軍とてそのつもりだろうが、時期が遅い。敵の背後を突くというときに一個艦隊をこんなところに置いておく余裕はない。さっさと攻略して、殺してしまえばいい……そうしなければならない。この、僕の手で」
僕。
また、この一人称だ――そうカミュは思った。あの乱戦の最中、彼女は確かに彼がそう言うのを聞いたのだ。少し子供っぽいそれを使うとき、彼は前だけしか見えなくなる。そうさせるだけの何かが、そこにはあるのだ――
(共通項としては、エンラスクス大統領ということか? あのときこの人が狙っていたのは、彼女だったはずだ)
しかし、一国家元首に対して、どういう関係だったのだ、彼は?
彼らが同い年というぐらいしか、カミュには思い浮かばなかった。
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