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第251話 もうすぐ

「それなのに」オイゲンは、いつもの仏頂面の副官に言った。「どうして俺たちはまだこの宙域にいるんだ?」


 減圧警報の中でヘルメットを被る。最後にバイザーを閉めると気密が確保されたので、彼はよじ登るようにして「ワーテルロー」の艦長席に座った。


「知らないのですか」ヴィクトルは端末を操作しながら、言った。「既にいた敵工作員と戦闘になったのだと聞きますよ。惑星軍の中に裏切者がいたとか」


「へえ、どっちにしろ地球とはやり合うつもりだってのに律儀ですこと。わざわざ暗殺する暇があるなら開戦と同時にやりゃいいってのに」


「それ、どっちに文句言ってます? プディーツァですか、ドニェルツポリですか」


「プディーツァに決まっているだろう、またこんなクソッタレな戦争起こしやがって。こっちはそろそろ早期退役して店でも開こうかって考えていたんだぞ。それがこんな使いづらい艦の艦長で、こんな面倒な任務に付き合わされている。全く嫌になるよ。お前みたいなのとも縁が切れないしな」


「私もアナタとご一緒するのはそろそろ御免だったんですがね。これも命令ですから」


「へん、貴様のような奴を相手するのは誰だって嫌だろうよ……」オイゲンは不機嫌なまま怒鳴った。「それより、大統領専用機はまだなのか! 離陸は確認できたのか⁉」


「まだ確認できていません。」オペレーターの一人が振り返って言う。「安全確認に手間取っているようで……到着予想は五時間後」


「暗殺沙汰もありましたからね。機内に爆弾でも仕掛けられていれば一発で終わりです」


「全く、もっと早くに移動を開始してくれればこんな面倒はなかったんだ。大統領閣下は強情だね。姉君の真似でもするつもりだったのかな」


「艦長、今のは……」


「分かっている。言いたくなっただけだ。……それで、敵艦隊の情報は」


「未だありません。が、本隊は既に敵機に触接されているとのことです」


 ――じゃあ、もうすぐってことか。


 オイゲンは冷や汗を掻く。この作戦がバレないことを祈るしか、彼にはできることがなかった。戦いが始まる。この国の運命が、もうすぐ――


「もうすぐですよ」エーリッヒは、後ろから声をかけられて、少し跳ねた。「出撃まで――何をしているのですか」


 振り向けば、そこには果たしてカマラがいた。彼女は既に宇宙服を着て、ヘルメットを被るところであった。対してエーリッヒは弾薬箱の上に座って、ヘルメットを持っているだけ――宇宙服を着てはいたが、その最後の仕上げがまだだった。


「怖いのですか? 元大佐の癖に」


「違います――確かに、エンハンサーに乗っていないのに戦闘に巻き込まれるのは嫌ですが、そういうことじゃない」


「なら、どういうことなのです」


「アナタの」エーリッヒは立ち上がって、振り向いた。「お兄さんについてなのです」


 そのとき、カマラの表情が一度揺らいだように見えた。それは刹那の出来事で、瞬きする間にそれは消え失せ、いつもの無表情が帰ってくる。


「…………その質問に、一体何の意味があるというのです?」


「アナタの兄は、ユーリ・ルヴァンドフスキ――『白い十一番』と呼ばれた男だ。違いますか?」


 ぴく、とまたも無表情が崩れた。やはり一瞬。眉間の皺が元に戻る――過剰なまでに。


「だとして、何だと? あの人は死んだのです。テロを起こし、収容所に送られ、行方不明に――それが、どうかしたのですか?」


 彼女の声に、しかし心が現れた。僅かに揺れたそれは、手の震えにもなっていて、彼女はすぐそれに気づき、手を抑える。普段の様子からは想像もつかない柔らかいものがそこにあった。そして自分がこれから繰り出す刃がそこに襲い掛かるのを想像したからだ。


「……いえ。」だから、口を噤む。「何でもありません」


 彼には、その刃を振り下ろす勇気はなかった。そうすれば自分は楽になるのだろうが、その重荷を誰かに押し付けることにそれは他ならない。それに気づいてしまえば、彼は押し黙る他なかった。


「……そうですか」カマラは、くるりと背を向けた。「では、ヘルメットを被り、担当機の出撃前最終チェックをなさい。出撃まで、もうすぐ――」


「そう、もうすぐだ」ユーリは、大隊を前にして言った。「貴様らが本当の意味で兵士となるまで、あと三十分もないだろう」


 既に格納庫は減圧されていて、彼らはヘルメットを被っている。バイザーの向こうは窺い知れない――が、想像はつく。初陣の恐怖に震えているのが、弾薬箱の上にいる彼には感じられた。


「が、兵士というのは、何か――それこそが私が貴様らに叩きこんできたことだが、つまり自ら進んで敵を殺し、それにより何かを守る者のことだ。仕方なく、やむを得ず、命令されてではなく、自分の意志で、自分の武器で、自分のやり方で殺す者のことだ」


 それを、ユーリはこの一か月の間みっちり教え込んできた。編隊をどのタイミングで崩すか、どのタイミングで組み直すか。小隊にこだわらず、即席で部隊を編成して戦うやり方や単機戦闘を偶発的に組み合わせて一時的な数的優位を作るやり方――様々なそれを、彼はあらゆる手を以て教育した。


「平時では、人を殺せば罪に問われる。当然だ。そこに正当性はない。守るべきものもないのに人を殺すような人間はクズだ。そんなクズこそ殺されるべきであって、それ以上でもそれ以下でもない」


 だが地球のあるコメディアンは言った。


 百万人殺せば英雄だ、と。


「そう、戦時ではそれが許される。敵国人の百万人の死は、我が帝国臣民の百万人を救うことになる。あるいは、それ以上――これほど素晴らしい偉業はこの世界にないだろう」


 ユーリは、にやりと笑う。呪いが彼の中で蠢く。それが口の中から吐き出され、場に満ちていく。


「正義は我々にある。守るべきものがある我々にこそ、勝利の女神はついてくるだろう。故に貴様らは、これから英雄となる。伝説となる。神話となる。たったこれだけの少年兵が強大な敵と戦い多大な戦果を挙げれば、膨大な名声を得るだろう。そのとき貴様らは初めていっぱしの兵士と言える!」


 全員の背筋が伸びた。それは思想を侵された者が必ず取る行動だった。自分はその栄誉に浴する者に違いないという妄想が、そうさせるのだ。ああ、呪わしきは戦争だ。この内の何人かが、今日死ぬに違いない。


 それを分かっていて、ユーリは、叫んだ。


「全機搭乗! 戦争の時間が、栄光の時間が、もうすぐやってくる!」

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