第250話 守るべき全てを捨てて逃げなければならない者の悲哀
それは宣戦布告なき戦争だった。
そして、それはそうであるから以上に、奇襲となった。このときプディーツァ軍が取った機動は、機動戦――もとい詭道戦の極致にあるとされる。地球軍は、ものの見事に翻弄された。
侵攻二週間前、地球軍は大規模な戦力の集結を確認した。ヴェールゼ三国連合と向かい合う形で四〇個連合艦隊が続々集まっていたのだ。明らかな攻勢の兆候であったが、これは事前予測に反した。必然的にベルロ方面には一〇個連合艦隊がいると推定されたわけだが、この戦力配分で側面を叩こうというのは奇妙なまでの戦力不足であった。何より、ヴェールゼ正面は四〇個連合艦隊には酷く狭い。多くても二〇個連合艦隊が通れる精々の戦力であって、このままでは少数の戦力に散々手こずった挙句同盟国軍本隊によって撃滅されるのがオチだった。
もしそうなれば、宇宙最大の会戦として、歴史に名を遺しただろう。
が、その正面衝突は、果たして起こらなかった。
その全てが、プディーツァの罠だったからだ――開戦二日前。突如として四〇個連合艦隊の内三五個が移動を開始した。
どこへ?
ドニェルツポリへ――事前に開設された大量の補給デポと各地の量子航法ゲートによって彼らは大移動を成功させた。そして更に悪いことに、地球側はこの大移動を正確に察知できなかった。一部部隊が移動したのは観測できたが、では何個の連合艦隊がどこへ行ったのかは不明なままだった。ベルロ方面へ行ったのかという推測もあったが、それどころかベルロ方面の連合艦隊の一部は反対にヴェールゼ正面へ機動していた。どこに消えたのか、まるで見当がつかなかった。このとき旧ド民共領にいるスパイから情報を得てはいたのだが、確度が低いとして無視されていた。
そして、開戦。
作戦名、「少数の中の正義」。
前衛梯団一〇個、主力梯団二〇個、後衛梯団五個連合艦隊がそれぞれ順番にドニェルツポリへ侵入したのである。
「…………」するとシャーロット・エンラスクスは選択を迫られる。「私にここを捨てろと?」
「はい」参謀総長ポーンゼン・シュタルケは真っ直ぐ言い放った。「既にジンスクから有力な敵艦隊が発しております。目と鼻の先にある以上、今すぐ退避していただかなければなりません。それは、事前にお話しした通りです」
事前にお話しした、というのは、ドニェルツポリ軍が採用した新たなドクトリンについてである。
まず前提として、ドニェルツポリ単体では、プディーツァに勝利することはできないという絶望があった。経済が傾き、軍備も覚束ない彼らでは、膨張を続ける帝国を相手に戦線を形成することすら不可能である、というわけである。
そこで彼らは一つの選択をした。
国防を見捨てる、という選択である。
いや、この表現では語弊があるだろう――あくまで、積極的には戦闘をしない、という意味である。
国を守ることを諦めるのではない。
奪われたものを取り返すしか彼らに道はない、という意味である。
単独での勝ち目がない以上、そうするしかない――一度撤退し、有力な味方と共に引き返す。戦略的な機動反撃である。
あるいは、戦略的撤退。
しかしいずれの場合にせよ、和平条約により地球との交渉は禁じられていた。そのため大統領が今すべきことは、速やかにノヴォ・ドニェルツポリを離れ、開戦前日に本国へ向け退避を始めた地球大使を追いかけることである。
「知っています」だとしても、彼女は首を縦には振らなかった。「しかしここで逃げれば、国民に対して顔向けができますか。私は国民の代表である必要があります。責任がある。そうでなければ、どのような書類にサインをしたとしても、意味がありません」
「意味はあります。憲法上、弾劾されるなどの例外を除けば、任期までアナタは大統領でいられる。サインに意味が生まれます」
「そういう法律論を言っているのではない。国民感情の話をしているのです。そして戦後の話をしているのです。私たち今の政府が真っ先に逃げ出せば、奪還したところで国としては成り立ちますまい。政治に対する信頼は永遠に失われ、この国は早晩崩壊するでしょう。それでは意味がないのです」
「ではやむを得ないフリをしろと?」ポーンゼンは首を横に振った。「既に事態はそのやむを得ない段階に入っております。全連合艦隊が反対側の国境へ移動を開始し、ここの近傍には第一連合艦隊が展開しているのみ。敵は三個連合艦隊が包囲しようと展開を始めています。この星系に敵艦隊が来るのも時間の問題なのですよ」
「ならば、それが来るまで避難するつもりはありません。敵が来るまで逃げるわけにはいかない」
「冗談ではない。それでは敵に包囲された後移動をするようなものです。後方の星系が落ちてからでは遅いのです」
「では落ちないよう努力をなさい! 連合艦隊を差し向けるなり何なり、方法はあるはずです!」
「失礼ですが大統領閣下。」ポーンゼンはどこまでも冷静だった。「そうすれば状況が好転するとお思いですか?」
「! ……いいえ、でも、」
「『でも』ではありません。アナタがそうやって駄々をこねればこねるほど、多くの人々が無意味に死んでいくことになる。アナタがすべきは、一刻も早く地球との同盟を締結し、それまでに失われた領土を取り返す手助けをすることだ。そのことがお分かりか」
「……分かっています」
「では、そうなさい。一日だけは待ちましょう。第二連合艦隊には余裕があるようですから、二個艦隊を振り向けるよう指示を出しましょう。ですが、決断はお早く。もし捕まれば彼らプディーツァ人がアナタを紳士的に扱うことだけはないと思っていただきたい」
ポーンゼンはそう言い切ると、冷たい目線を向けたまま、一礼をして踵を返した。だがその瞬間、シャーロットは立ち上がった。その音に、彼は足を止める。
「待ちなさい」そう彼女は言った。「シュタルケ参謀総長」
「……まだ、何か?」
「可及的速やかに陸戦隊を編成してください。それと、高速で防御力に優れた艦艇を一隻。首都を放棄します」
ポーンゼンはそのとき初めて笑った。
「お任せを」
高評価、レビュー、お待ちしております。




