第241話 スタンピード
「…………ユーリ」
果たして、彼はそこにいた。
が、コックピットシートにはいなかった。端に置いてある椅子に座って、じっと佇んでいる。戦闘音がすぐそこまで迫っているのが聞こえているのかどうなのか、とにかくブツブツと何かを呟いて、動いていない。
「ユーリ」カッツィマは近づいて言った。「敵が来た」
彼は、答えない。床の一点を見つめて、ただずっといるだけだった。
「ユーリ――プディーツァの特殊部隊だ。エンハンサーで蹴散らさないとならない。何とか乗ってくれないか」
返事はない。カッツィマは瞬間、沸騰した。
「聞いてるのかよ、おい……!」胸倉を掴んで、持ち上げる。「お前が戦ってくれなければ、皆死んじまうんだよ! お前は、人殺しになろうっていうのか⁉」
ちら、と視線が落ちてくる。ようやく、彼は彼女がそこにいることを認識したようだった。だが、彼はそれからほとんど泣きそうな顔になった。
「……そうやって、」そして言った。「僕へ戦えっていうんですか」
「ああそうだ」カッツィマは否定しなかった。「殺されるってときに、そんなことを悩む奴がいるものか。誰だって抵抗する。アタシはそうする」
「アナタがそうできるからって、誰にだってできると思わないでくださいよ」
「皆戦っているんだぞ、命を懸けて……何とも思わないのかッ?」
「でも、僕は嫌なんです」
「だが、これはお前にしかできないことなんだ」
ぶち、と何かが切れる音がした。
「――だから何だって言うんですかッ⁉」ユーリはほとんど噛みつきそうになっていた。「そうやって、僕をおだてりゃ言うことを聞くと思ってッ! そうやって戦わせて、僕をこれ以上どうしようって言うんですかッ」
「そんなこと、アタシが知るかッ」
カッツィマはユーリを投げ飛ばした。カッとなってのことだったが、運よく彼は何もない方向へと飛んで行った。が受け身が取れず、コンクリートの床に叩きつけられた。
そして動かなくなる。喋らなくなる。だがそれはカッツィマもそうだった。ただ呼吸だけはして、それしかできなかった。シャッターの隙間からは悲鳴すら聞こえた。もう敵がすぐそこまで来ている。
「……でも、」ぽつり、とそのとき雫が落ちた。「戦っても何もいいことなんかなかったじゃないかッ……!」
「何?」
「だって、そうでしょう? 僕はずっと、誰かのために戦ってきたんだ。誰かがずっと僕の後ろにいて、守ってくれって、助けてくれって、五月蠅かったんだ。だから僕は戦ったんだ。何もかも犠牲にして、全力でさァッ……それなのに、僕は失うばっかりで、誰も埋め合わせをしてくれなかったんだ。もう嫌なんだよッ、誰かに都合よく使われるのはッ! いい加減僕を自由にさせてくれよォッ」
ユーリは、そう天に向かって叫んだ。宇宙に向かって叫んだ。世界に向かって叫んだ。全身がバラバラになりそうな衝動が、口を衝いて出たのだ。それは暴発や破裂と言うべき現象だった。本当にそうなってくれれば、どれほどよかったのか。そう思いすらした。
するとカッツィマは近づいた。つかつかと足音が響く。しかしユーリは動かない。動きたくなかった。敵兵に早く来てほしかった。そうすれば、ようやくこの苦しみも終わる――
「甘ったれるなッ」が、カッツィマは馬乗りになってその胸倉を掴んだ。「お前は『白い十一番』だろ!」
ユーリは、目を見開く。
「いいか、アタシはアンタのことが好きだったんだ、『白い十一番』。戦って戦って、こんなこと意味があるのかと思う度にアンタのことを思った。十六歳で殺し合いの場にいて、それで敵兵をバッタバッタと薙ぎ倒すという、アンタのことを思わずにはいられなかった。子供だって戦っているのに、アタシが戦わないでどうするってな。それが思い余って世の中の全てを憎んだのはアタシの罪だが……だが全員がそうだったわけじゃない」
カッツィマはそのときユーリを揺すぶった。手に強く力を込めて、縋る。
「アンタは、まるで暗い空に光る一番星みたいだったんだ。誰にとってもそうだったはずだ。アタシらドニェルツポリを見捨てるこの腐り切った世界の中で、唯一の希望だったはずなんだ。それが、英雄ってもののはずだ。そして一度それになったならば――一生、そうあり続けるしかない。それが責任ってものだ」
カッツィマは、手を離す。立ち上がる。背を向ける。
「だから、アンタは戦い続けなければならない。アンタを英雄と崇めた全ての人のために、その命を使い続ける義務がある。アタシらに希望を見せ続ける必要がある。それとも、アンタはそれを無視して、ここであっさり死ぬつもりなのか⁉」
そして歩き出す。ユーリだけが残される。彼は彼女の背中を驚愕に見開いたままの目で見た。それがガレージから出て行くのを目視して、それから――また、天を見上げた。
「英雄――」
そうだ、誰もがそう呼んだ。「白い十一番」とは、まさにその意味だったはずだ。少年兵のエースパイロット。それをそう以外どう表現すればいいというのだ? カマラですら、彼をそう呼んだのだ。普段を知る家族がそうなのだから、そうでない人間は尚更だろう。
(僕には、戦い続ける義務があるというのか。それが英雄となったものの責務だと)
ユーリは起き上がる。それはまるで呪いのようだった。一度なってしまえば、一生その役割が染みついて離れないというのならば、そうだろう。まして、戦いという、何の益もないものに縛られるからには。
(だが、僕は)そして、立ち上がる。(戦う気になってしまった――のだから)
そうだ。
彼らが、今のユーリをも英雄とまだ呼んでくれるのならば。
戦う理由はある。戦わねばならない。彼らに、英雄の何たるかを見背つけてやる必要がある。僕の何たるかを、説明してやる。
ユーリは、コックピットへよじ登る。予想通りほとんど操作感はE型のそれと変わらなかった。起動シーケンスを始動。コックピット格納。
システム、リブート――古びたその機体が蘇る。
「よし――こいつ、動くぞ」
彼を覆っている天井に向かって、バルカンを斉射。立ち上がるためにはそうするしかない、否、破壊してしまえという前向きな感情が湧いて出て来る。不思議だ。一度やる気になってしまえば、どこまでも行けそうな気がした。
「⁉ アイツかッ」
カッツィマは銃撃戦の最中振り返る。吹雪の向こうに、アイカメラの反射がちらついている。揺らめいたそれは、妖しく鬼火のように燃え上った。
「――各チームへ通達。」特殊部隊は、その炎に完全に混乱した。「エンハンサーだ。事前情報にない。退却せよ。退避だ!」
ずん、ずん、と足音が近づいてくる。それは悪魔が軍勢を引き連れてくるように地面を揺らす。ついにそのガスマスクをつけたような怪物は白銀のベールを引き裂いて現れた。
「あそこだ、ユーリ! 逃げる前にぶち殺せ!」
カッツィマは敵を指さしながら叫んだ。「ロジーナⅢ」と目が合い、彼は敵の方を向く。バルカンの斉射はすぐに始まるだろう。
そしてその予感は半分当たって、半分外れた。
何故なら――そのビームの弾幕は、彼女をこそ貫いたのだから。
「え」
内臓が噴き出して、体が真っ二つになる。そうして宙を舞った彼女は、砲門が彼女らの方をこそ向いていることに気がついた。そこから巻き起こる噴火が、彼女たちを横薙ぎに切り落としていく。念入りに、生き残りが出ないように、彼は一人一人を照準の中に捉えて人でなくしていった。
そして、砲身が焼き付いたとき――そこには困惑の中にいる特殊部隊員たちだけが残される。収容所の職員すら、肉片に変わってその辺で湯気を立てていた。
その地獄の中で、ユーリはコックピットを展開する――誰かだったものを踏んだ感触が、妙に心地よくてにやりと笑みが零れた。
「一つ提案がある」そのとき、吹雪は晴れ、天から光が降り注ぐ。「聞いてもらえるな?」
「な、」それが、異様に思えて、隊長は思わず返事をしてしまった。「何だ?」
「私を雇え――プディーツァ人」
零れた笑みは、ついに耳から耳まで燃え上がる。その瞳にあるのは、怒りだった。
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