第24話 屁理屈も理屈、非日常も日常
「そ、んな……」
ルドルフの語った理屈は、ユーリの理解を超えたところにあった。それは人類が地球にしかいなかったとうの昔に克服されたもののはずだった。人権も、国際法も、おおよそルールと呼べる全てのものは守るために存在しているという前提がハナから覆っているのだ――このコロニーと共に。
失われた彼の平穏な生活と共に。
その亡骸は目の前に横たわっている。
「貴様は、」打ちひしがれたままのユーリに、ルドルフは追い討ちをかけるようだった。「実のところ優等生だ。認めよう。教練で貴様の書いたレポートやテストの答案は全て出来がよかった。そして学校の勉強ができるというのは、それだけ世の中の理屈に応用が利くということだ。でなければ意味がない」
ルドルフはそこで、跪いているユーリのヘルメットを左右から掴んで、彼の方を強引に見させた。
「だから、本当は分かっていたはずだ。戦争が起き、少なからずこうなる可能性があると、予想ぐらいはしていたのだろう? だが貴様は自分の生活可愛さに行動することをしなかった。いや、できなかったんだ。違うか?」
「そ、それが、」しかし、ユーリは強情だった。「この光景と僕とに何の関係があると言うんですか。これが僕の責任だとでも言うつもりですか、アナタは?」
違う、と反発するユーリの心は足に伝導し、怒りのままに押し返す。
「これは大人の責任でしょう⁉ アナタたち大人の戦争なのでしょう⁉ アナタ方が話し合いに失敗して、勝手に起こした戦争なんだ。だったら僕たち子供なんざ、巻き込まずに勝手にやればいいでしょう⁉」
「ならば何故、」しかし、ルドルフは眉一つ動かさなかった。「貴様は『ロジーナ』になど乗ってみせたのだ?」
「何ッ?」
「貴様が、貴様自身の弁を本当に信じ切っていたなら、エンハンサーに乗り込んで敵と戦うような愚は犯さないはずだ。戦争など、したい者が勝手にすればよいのだからな」
それは、彼がここに来たのと同じ類の謎だった。
何故自分は、危険と知りながら「力」に対する自らの信条を曲げてまでああしたのだろうか?
エンハンサーの乗り方を知っていたから? ――いや、それはできた理由であってもした理由にはならない。
だから面と向かってそれを突きつけられると、ユーリには何も言えなかった。ドアが独りでに開いたときと同じぐらい狼狽したのだ。
「そ……れは」
「貴様は、本当は知っていたのだよ。望もうと望むまいと、戦争というのは否応なしにその時代に生きる人間を巻き込んでしまうということを。それが戦争だ、『戦争が来る』ということなのだ。貴様がいくら巻き込むなと望んだところでこのコロニーは吹き飛び、多くの人間は死んだ。無差別に殺された。その事実から目を背けたから、私は貴様を打ったのだ。その中で戦うという選択をしたという責任が貴様にはあるのだから」
ルドルフのカイゼル髭がユーリの方を真っ直ぐ向く。レイピアの切っ先のようにそれはユーリの脳裏に彼の言いたかった真の意味合いを呼び起こす。
「……これからも戦えって、そう言ったんですか、今?」
「そうだ。エンハンサーに乗り、補給拠点を設営しに来る後続の艦隊を叩く。貴様にそのための援護をしてもらうためにこうして話をしている」
「! 冗談じゃない!」
それでも、ユーリはまだ逃げ道を探していた。
「逃げればいいじゃないですか。船なんでしょ、これ? わざわざ、殺したり殺されたりしなくたって……」
「そうは行かない――見ろ」
そう言ってルドルフはユーリの後ろの方を遠く指さす。ユーリが振り返ると、甲板の端にある突き出た塔のような構造物がへし折れていて、その周辺にも穴が開いていた。
「EFマストだったものだ。アレが修理できない限り、この艦は亜光速域ですら航行できない」
最も近いダカダン星系ですら、数光年先にある。つまり逃げることはできないということだった。
「修理って……正気ですか? 材料があるんですか?」
「ないが、それこそ敵から分捕ればいいだろう。補給部隊なのだからたっぷりと鹵獲できる」
「敵から奪うのをアテにするなんて……机上の空論だ、孫子の時代じゃあるまいし。できるわけがないッ」
「この艦は革命評議会政府時代に建造された。最悪、規格が同じ敵艦のパーツが流用できる……それに、これらコンテナの中身は弾薬と艦載機用のパーツだ。現状でも警戒の薄い艦隊なら撃破できる」
「――だとしてもッ!」
俯いたまま、ユーリは拳を握り締める。その手の中に水分を感じるのは、宇宙服の空調が効きすぎだからではないらしい。
「戦えって、人殺しをしろってことでしょ? でも、どれほど残虐で残忍なのだとしても、プディーツァ人だって人なのでしょう? それぞれの人生を持った……それを殺せと、アナタはそう言うのですか⁉」
「人ではない、敵だ。敵は人間じゃない。人間は人間を殺さない」
「そんなのは屁理屈でしょう、この状況を作った人たちと同じ考え方だ! そんなことじゃ、ずっと戦争をする……!」
「だが理屈だ」ルドルフの視線は少しも揺らがなかった。「――そして現実だ」
「……!」
「現実を受け入れろ、ルヴァンドフスキ生徒。理想という名のワガママを言って許されるほど、貴様は子供ではないはずだ」
明日の七時。格納庫で待つ。
そう言って振り返るルドルフの背中に、ユーリは何も言えなかった。それはある種の窒息だった。ただし物理的な、それもインテイクの失敗ではない。この不愉快な状況に胸の中から飛び出す精神的な何かをアウトプットするには、彼の喉も体もあまりに小さかった。
「僕はまだ十六で、十七にもなってないんだぞォッ……!」
だから、詰まったたどたどしい発音でできたのは、その程度のことだった。それを見向きもせず、ルドルフはエレベーターで甲板から降りていく。
すると、ユーリはこの暗い宇宙の中で一人ぼっちだった。他には誰もいない。震動を伝播するもののない真空の中でただ自分の血流の作る雑音だけが彼の聴覚を通して精神を犯している。それは呻き声なのだ。名もない人々の叫び。断末魔。皆死んでいて、彼だけが生きているのが気に入らないのだ。その敵意の一方で、それは同時にこうなるなという警句でもあった。あるいはなりたくないという願望でもあった。誰だって死にたくはなかったのだから。
だが、それはつまり、今までとこれからが相克するということに他ならなかった。
(死にたくない……でも殺したくもないんだよ……ただそれだけのことがいけないのかよ……!)
やるべきことは分かっている。だがそれはしたいことでは決してない。
息苦しい――生き苦しい。宇宙服には酸素は充分に入っているはずなのに、彼は息を吸いながらに呼吸困難に陥っていた。例えるならそれは深い水底にいるようなものだった。四方八方からの重みに耐えかねて、彼は体のどこかから潰れてへし折れる音すら聞き取った気がした。ヘルメットを取り払いたくなる衝動がどこかからやってくる。何もかも投げ捨ててしまいたかった。もし可能なら、彼は肉体すら捨てて魂だけになってふわふわと浮かんでみたい心持すらしていた。とにかく質量という質量が鬱陶しかった。
しかし、彼の中にある細い針金が破断界に至る寸前、彼は立ち尽くす足の裏から耳鳴りではない振動を感じ取った。エレベーターが動いている? ……そう気づいて顔を上げると、甲板からピタリと筒が飛び出し、その中に彼と同じぐらいの背格好の、見知ったシルエットがあった。
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