第22話 枯れ木
「……ゴルツ教官!」
ユーリは格納庫の端に、先に行ったルドルフの姿を認めると、咄嗟にそう声をかけた。そのまま彼が開いたままのエアロックの丸い気密ハッチを抜けた辺りでルドルフは丁度振り返り、彼にようやく気がついた。
「ルヴァンドフスキ生徒か。遅かったな」
「遅かったなじゃないでしょう。さらっと先に行かないでくださいよ。少しはこちらのことを考えてくれたらどうなんですか」
「タキシードを着てデートに行くのとは違うのだぞ。服の上から着るだけのことに貴様が時間をかけすぎなのだ」
「服の上から……?」
思わずユーリは足を止めた。それにルドルフは彼の方からも近づきながら、怪訝そうな顔をする。
「そうだろうが。温度調節が問題になるほど長時間の船外活動をするわけでもないのだから、全て脱ぐ必要はないはずだ……何か違ったか?」
「……いえ」
彼は決して、軍事教練のときのように下着姿で着なければならないものと思って廊下で戦々恐々としながら脱衣したりはしていない。
ましてや、その脱いだものを置く場所に困って、一分迷った挙句部屋に戻って寝袋の中に突っ込んだりなど、していない。
そんな間抜けたことをこのユーリ・ルヴァンドフスキがするはずはない。
つまりそのルドルフからの疑いの視線は謂れのないものだ。
……ということにして、ルドルフにそう見せようとした、が、当の本人はユーリに目もくれず背を向けて真っ直ぐ歩き出していた。
それでもルドルフの視線によってできた古傷が痛むようで、それから逃れるように、ユーリは目線を逸らす。格納庫に固定されているコンテナの合間合間で同じ宇宙服の人影が動いている。
「……?」
ユーリはその中にエンハンサーが何機か固定されているのを見つけて、足を止めてしまった。とはいえ、ただある、というだけではそんなに目を引きはしない。事実、彼の乗った機体であろうものもそこにあった、ということは生き残って避難してきた機体を一時的に集めているのだろうとも考えられる。
しかし、問題はそこではなかった。
(直っている……? ということは、直しているのか?)
つまり彼が目に留めたのは、その失われたはずの手足や頭部が元通りに生えていた、ということなのだ。
いや、正確には宇宙服がそこに群がっていて、他の機体にも同様であるのを見れば、まだそれは途中であるのだろうが……しかし、ただ機体を一定の場所に集合させるだけなら、そのようなことは不要であるはずだろう。だとすれば何故……?
ユーリが何かに気づきそうになった正にそのとき、彼は丁度ルドルフの待つ機材搬出入用エレベーターの脇までたどり着いた。そこにはその形をそのままに縮尺だけを小さくしたような人間用のエレベーターがあり、ルドルフはユーリが来ると同時にその呼び出しスイッチを押す。それから同行者の何か言いたげな視線に気づいた。
「……どうした」
「アレは何です」
「見れば分かるだろう、エンハンサーだ」
「それぐらいは分かりますよ。何であれを直しているのか、と聞いたんです」
「それについても話す――開くぞ。ヘルメットをしろ」
是非とも聞きたいものだ、と口の中で毒づきながらヘルメットをしてバイザーを閉めると、ルドルフに続いてエレベーターに乗った。ドアが閉まり、慣性の中で低く響く機械音。それが段々と聞こえなくなっていくのは、上がっていくと同時に徐々に減圧をしているからだ。それでも消えない足から伝わる振動も消えたとき、慣性でふわりと浮きながら、ユーリは開いたドアから初めて外の光景を見ることができた。
まず初めに目に入ったのは、光だった。甲板に並んだコンテナの間の通路。そこから、「フロントライン」に最も近い恒星であるオチャイィの核融合の光が青白く彼の網膜をバイザー越しに突き刺す。エンハンサーのヴィジュアル・センサー越しに見るのとでは、その輝きはまるで違った。
だが相違点と言えばそれぐらいのもので、いつものことだった。彼は目を細めながらそれに手をかざす。するとその真下にコロニーの内壁が、同じぐらい見慣れた街並みが佇んでいる。それは夜景のようだった。真っ暗な中に建物や人や物のシルエットだけがぼんやりと浮かんでいて、薄目で見たのならきっとそれを平時のそれと思い込むことだってできたかもしれない。何しろそこに遍在する光は疎らさだけでなくその大きさまで街灯のようですらあったからだ。
しかし、その光こそ、その光景が全て等しく死んでいることの何よりの証明だった。
何故ならそれは、星々の光だったのだから。
そうであることを、ユーリは聞いていたつもりだったのに。
「…………」
燃やすために割られた薪のように、筒状のコロニーの構造が縦に半分にされている。ただその木こりはどうにも自らの仕事に不得手だったに違いない。振り下ろされた斧はやりすぎて、艦が今位置している方の大半をもバラバラに粉砕してしまったらしい。だからユーリの見ていた煌めきの一部は星ではなくデブリに違いなかった。割られた半分と、もう半分の残骸に最も近い恒星の光が反射して――きっとその中には、人の逃げ込んだシェルターだってあったはずだった。
それに気づくや否や、揺蕩うそれらの一つが恒星の光を彼の網膜から隠した。突然訪れた暗闇に追い立てられるように、ユーリの視線は天頂方向へ逃げる。もしかしたら、他のコロニーは無事かもしれないという、とっくの昔に否定した憶測が彼を惑わせた。だからその未練がましさは、手痛い反動を以て迎えられた。
バラバラになったコロニーの残骸を背景に、それは彼の方を力なく見ていたのだ。
(…………?)
最初それは、ただの土塊にも見えた。でなければ街路樹の成れの果てか……何にしても彼にはそれからの視線は感じられなかった。茶色で、細くて、どこかオーガニックなクネクネした変な形をしていた。
しかしゆっくり近づいてくるそれがデブリの影から出て光の元に出て来ると、ユーリはゾクリとした。
そこに、目があったのだ。
正確には、目が存在していたであろう虚が。
何故ならそれは、人間の死体だったからだ。
人体という水分を含んだスポンジ。
それが真空中に放り出されたのなら、その水分という水分は沸騰と同時に凍結する。すると蒸発によって水分が失われるので、全身の筋肉は焼死体めいて縮こまり、色は凝り固まって生前より濃くなる……ユーリが考えられたのはそこまでだった。目の前の事象への自らの想像の残酷さに耐えられなくなって胃が反乱を企んだからだ。
「吐くな」
うずくまったユーリの背中にルドルフは冷たく言い放った。
「貴様にその権利はない。この光景を聞いていたつもりだった貴様には」
「……ッ、だからって、だからってこんなことに……こんなことになっているなんて、そんなこと、どうやって……!」
「だから貴様は頭でっかちだというんだ。これで分かっただろう、こんなことを平然と、それも意図してやるのが敵なのだと。それがプディーツァという国のやり方なのだと!」
「これを、意図して……?」ユーリはそのとき感情的になっていた。「そんなことが人間にできるはずがない、こんな残虐な……!」
咄嗟に立ち上がった彼は、ほとんどルドルフに掴みかかった。しかし実際の作用としては目の前の出来事に対する拒絶反応だった。それを分かっているから、ルドルフは避けもしなかった。自らの体重でそれを受け止めると、反対に言い放った。
「――なら何故、全てのコロニーが同時に破壊されたのだ?」
「……⁉」
――そう、だ。
コロニーというのは、自力で移動できない都合上、相当頑丈に設計されている。外壁に穴が空いても中の主柱が支えるようになっているし、反対に柱が壊れても外壁がモノコック構造的に状態を維持するようになっている。
ましてその外壁に至っては空気漏れを少しでも防ぐために何層もの構造になっていて、対艦ミサイルの直撃でも耐えてしまう代物だ。
だからここまで大規模に破壊するためには、その両方をほぼ同時に破壊しなければならない――亜光速で航行中だった宇宙戦艦の残骸が大挙して直撃でもしなければ、自然に破壊されることはあり得ない。
仮にこの破壊が事故だとするなら、その天文学的確立の状況と同等のことが五回も起きなければならないということになる。
「貴様は優秀な学生を自称していたのだから、少し考えれば分かりそうなものだがな。戦争というのは必要性の竈に人命をくべる所業だ。自軍の目的達成に必要なら民間のコロニーだろうが破壊するし、中の民間人のことなど考えない。特にプディーツァ軍というのはそういう集団だ。私は独立戦争のときにも、国境紛争のときにも嫌というほど見た」
「ひ、必要だなんて、」
ユーリは震えていた。ただ床を見て、平素はあれだけ嫌っていたルドルフの巨体に跪いて縋っていた。そうしなければ、自分がこの真空世界のどこかに溶けて行ってしまいそうな気すらしたからだ。
「必要だから起こったわけではないでしょ――なるべくして、戦争という特殊状況が引き起こした悲劇なんて歴史上いくらでもあって、それを人間が好き好んで選んだはずはないんだ。プディーツァ人だって人間には違いないでしょ⁉ ならこんなことわざとするわけ……そうだ! 目的は! こんな田舎コロニーを壊したって、軍事的にメリットがない!」
「いや、」そのユーリの嘆願にも似た言葉を、ルドルフはあっさり拒絶した。「それがあるのだよ。ルヴァンドフスキ生徒」
「え……?」
「私は宇宙軍人ではないが、しかしこのコロニーを破壊してしまうに足る、軍事的な理由に心当たりがある。それは――」
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