第211話 エーリッヒ・メイン大佐
宇宙空間では、コントラストがくっきりと出る。
何故なら、遮るものが宇宙にはないからだ――空気、水、透明なようで透明でないそれらの妨害を受けることなく、恒星からの光は直進し、灼熱となって世界を照らす。そしてそうして照らし出された物体の背後にあるものは絶対零度に晒されてしまう。この残酷な対比こそ宇宙を宇宙タラ占めているものである。
「ロジーナⅤ」。
だから、そのシルエットもまた、くっきりと映し出されていた。バイザーの向こう側で、ギリシャ彫刻のごとき細身の裸身を思わせるラインが影と光の半々で調和している。その最大の特徴は、EFマリオネット構造。従来型のエンハンサーと違い、アクチュエーターを全て廃し、EFによる斥力調整によってのみ機体を動かすのである。
しかしその機構の最大の弱点は、表面にボコボコとした突起を作り出すことにあった。従来よりも強力なEFマストを必要とする関係上、放熱等の問題がありどうしても外側にそれは張り出すのだった。しかしそれは従来型の「ロジーナⅣ」、ひいては原初の「ロジーナⅠ」から脈々と受け継がれてきたマッシブにしてセンシティブなデザインを損なうものであった。
しかし、その技術実証機であるところの機体――一部では「N/A」と呼ばれていた――からのフィードバックがあり、放熱や制御プログラムが発展することで技術的問題を解決。ようやく鋭いレイピアに例えられるデザインを回復したのである。
『メイン大佐』そのとき、彼の耳元から声が聞こえた。通信が入ったのだ。『国防大臣閣下がご到着されます』
「…………」エーリッヒは、許された自由時間の短さにも機体の見た目にも不満を感じながら、返事をした。「すぐ行く」
ジンスク基地は巨大だ。先の戦争で奪取してからというもの、この親プディーツァ政権の首都星系となっているからには、それでいて「国境」がすぐそこにあるからには、どうしても軍事要塞化せずにはいられなかった。それ故、最大で一個分艦隊が停泊し整備を受けることのできる設備はもちろんのこと、エンハンサーの運用能力のある甲板も当然のごとく存在しており、惑星軍で言うところの飛行場のような役割を担っていた。不沈空母、と呼べないのは、ただ衛星軌道上に浮かんでいるだけだからだが。
「お待ちしておりました、閣下」エーリッヒは、その基地の中の要人用のターミナルへ駆けつけた。「お早いご到着で」
もちろん、後半は皮肉だ。本来の予定なら、あと一時間はあそこにいられたはずなのだ。「ロジーナⅤ」が気に入っていたわけではないまでも、他の何よりも機体と向き合っている方が彼の精神状態にはよかった。
「うむ」が、それを知らぬ彼は、でっぷりとした腹を揺らして機体のタラップから目の前に降り立った。「予定が早く片付いてな」
クリメント・ヴァヴィロフ。プディーツァ連邦国防大臣にして、元パイロット。突き出した腹部からは想像もできない話だが、宇宙軍でスクランブルを千回経験した初めてのパイロットだという。
「――というのは建前だ。本当は一刻も早くあの機体を見たかっただけだ」
だからか、酷く政治家としての資質を欠いていた。とにかく俗物であり、権力というものが職責に対してではなく自らに対して付与されていると考えるタイプの人間であった――というのが、国防大臣付の補佐官に任命されていたエーリッヒの抱いた感想であった。現に、彼がエーリッヒを指名したと聞く、エースパイロットとして、だ。
「は、」しかし、彼は不満を顔には出さない。「そうでありましたか」
「何と言ったって君、アレは私たちの時代には不可能とされていた代物なのだよ。機体制御のEFとスラスターとで絡まり合って空中分解するというのがオチだった。私もテストパイロットに志願していたのだが、結局乗らずに済んでよかったよ」
重力スラスターの噴射口付近では、重力を扱う関係上EFに少なからず干渉する。初期のプランではそれがフラッターを起こし分解を引き起こしていた。クリメントはそのことを言っているのだ。
実のところ、「N/A」が初期に見せていた各種不調も結局はそれが原因だったのだ。そこに放熱処理のマズさと重量計算の甘さが乗っかってパイロットの入力と機体の出力とが一致しない現象に繋がっていた。
では現状の機体ではどう処理しているかというと、プログラムによる修正を高速で行うことで安定させている。もちろん、工作精度の向上や計測方法の見直し等で素の安定性そのものも改善しているのだが。
が、ということを、エーリッヒは知っている。
何しろ、テストパイロットを務めた時期があるからだ――だからそれを得意げに言われたのでは、釈迦に説法というものだった。これで老人であるというのならまだ耐えられるが、そう呼ぶにはまだ早い。単に、クリメントという男は、過去の栄光を引け散らかす人間だったということだ。
尤も、それを嫌味として伝えられる度胸のある人間は軍にいない。その背後にいるのはヨシフ・スモレンスキーなのだから。
「そこへ行くと君、」そのでっぷりとした腹が揺れる。「君はあの機体の何が不満なのかね」
「は? 不満など……」
「おいおい、私が君のレポートについて知らないと思っているのか? あのレポートを読んで、私は君を補佐官に任命しようと思ったのだぞ?」
レポート。
今、軍でその単語を出せば、大抵は一つの文書を意味する。
それは、終戦後、一時大隊長を務めた後技術課に転任になったエーリッヒが書いたものだ。もとはと言えば、「N/A」への搭乗経験と、レンドリース艦隊のエンハンサーと何度も交戦して生き残った貴重なパイロットとして証言を求められた縁があって、それで鹵獲機と新型機のテストをしてみないかと誘われたのである。その結果にエーリッヒの所感を付け加えたのが、件のレポートだ。
しかし、エーリッヒとしては、その話は避けたかった。思い出したくない黒歴史のようなものだ。
「閣下、あのレポートの話は……」
「私は、君の実直なところは買っているつもりだ。軍の最新鋭機だろうが、問題があるなら文句をつけて然るべきだというところはな。だが装甲が薄かろうが火力が低かろうが、運動性で優っているのならば問題がないというのが『ロジーナ』シリーズの基本設計ではないのか?」
そう。問題はその内容である。エーリッヒは、ビームライフルのみの「ミニットマン」で「ロジーナⅤ」の試作機の一個小隊を返り討ちにしてしまったのだ。射程外からの一方的な射撃によって数を減らした後は、相討ち覚悟のヘッドオンで各個撃破――その過程を正確に記録しながら、エーリッヒはこう結んだ。
『このように、今やエンハンサーに過剰な運動性は必要がない。それに対するこだわりは、なるほど実戦経験に裏打ちされたものだろう。しかしそれは泥まみれの機関銃陣地の前に横たわる騎兵のサーベルのようなものである。』
「あの結びには感動したがね」そうクリメントは言った。「しかし現状、生き残ったパイロットの大半は『ロジーナ』の運動性に救われたと言っている。それを無視してまで火力と装甲に重量を振り分けるというのはいささか疑問だよ」
なるほどクリメントのその観点は元パイロットからすれば当然であろう。が、エーリッヒからすれば違う。
それは経験のあるパイロットの意見だ。
生き残った経験のある――敵弾をその運動性を以て回避することができたパイロットの。
そうできたパイロットがいる一方で、できなかったパイロットもいる。
だが、彼らの証言は残らない。生き残ることができなかったからだ。腕前が足らず、あるいは流れ弾同然の射撃によって、運動性が役に立たない状況に追い込まれた。太平洋戦争でのゼロファイターのようなものだ。連係プレーの前では、スペースクラフトとしての性能差など些事である。
が、装甲は違う。
火力もだ。
どのようなパイロットにせよ、それらは一定の数値として厳然と存在し、脅威であり続けることができる。そうやって生き残ったパイロットが、段々と運動性の使い方を理解していく――というのが、健全な組織育成というものである。
しかし、クリメントがそういった説明を求めていないことは学習済みだ。エーリッヒは静かに頭を下げた。
「は……」
「分厚い皮膚より速い脚、というではないか。敵の装甲がどれだけ厚かろうと、少なからずそこには弱点が存在している。そこをめがけて運動性を生かした旋回で突けばいい――と私などは考えてしまうがね」
「は。ご慧眼の通りでございます。しかし小官としましては、」
「君も頑固なことだが、そうであればこそ、私も安心というものだ。我が軍こそ真の自由を体現した軍隊であると言えるからね。あのレポートこそ、この軍の象徴だよ」
――そう言って、一番の反対者を身近に置くという器量を演出してみせたいのだろう?
それでいて、その頑固者を説き伏せる自分が支配者なのだと主張したいに違いない。それが、エーリッヒの理解したこの男の生態というものだった。エーリッヒを買っているわけではなく、パイロットとして、組織人として、人間として――それより上にいるというトロフィーが欲しかったのだろう。
(……所詮、この程度なのだ、我が軍は)
エーリッヒは、そのとき自分が酷く阿漕なことをしている気持ちになった。この矮小な男のご機嫌を取るために大佐になって補佐官を買って出たのではない。この軍に蔓延る不正とこの国に垂れ流された悪習を取り払うために上へ行かねばならなかったのだ。レポートにしたって、はっきりとした成果を上げることによって、それを達成しようとしたのだ。
無論、それは部分的には成功したが――それはつまり全面的成功ではなかった、という意味だ。
結局のところ、目的からは遠ざかっているとしか言えない。参謀本部からは体よく引き離され、この無能な小男と付き合う羽目になっている。それも一方的な精神上の玩具としてだ。
これが、あの戦争で流された膨大な血への報いか。
これが、あの戦争で救えなかった味方への慰めか。
これが、あの戦争で壊れた世界の未来への償いか。
これが、こんなものが。こんなこともできないで、何故生き残ってしまったのか。
エーリッヒには、まだ何も分からない。
だがもう何も知りたくない。
もしかすれば、この軍は、この国は、何もかもがもう取り返しのつかないところへ進んでしまったのかも、しれない――
「……メイン大佐、どこへ行くのかね?」
気づくと、彼は目的地であった応接室を通り過ぎていた。そこで基地司令官とクリメントとを引き合わせる予定になっていたのだ。すぐに振り返り、大臣の傍へ戻る。
「……失礼しました」
「構わんさ。いくら文句のある機体とはいえ、エンハンサーはエンハンサーさ。君もパイロットだものな。だが君ももう大佐だ。軍内の政治的立場というものを考えたまえよ。君はヴァルデッラバノ君の後継なのだからな」
ヴァルデッラバノ。
自分が最初に取りこぼした命。
だが今やそれを殺した男が脳裏に過る。あの日銃を向けたあの顔が、ふと思い返される。
「は……」
そう頭を下げながらエーリッヒは彼のことを思い浮かべる。「白い十一番」よ、今、お前は何をしている……。
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