第210話 占領下、ジンスクへ
翌日。ユーリたちは目を覚ますとすぐに宇宙港へ向かった。着の身着のまま、携帯端末すら真っ二つにして捨てて行ったのだ。
「服も携帯端末も、全部こっちで用意している。今までのじゃ足がつくからな」
というのが、サンテの弁だった。確かに、前者はともかく後者には何が仕込まれているか分かったものではない。前の戦争でも、端末をハッキングして降伏を呼びかける偽情報が流布されたという話もある。それと同じようなことが起きないとは言えない。
「とはいえ、ないと不便――というか、普通に出国できないんじゃないですか? 今時パスポートも電子化されて久しいですよ」
そうユーリが質問すると、指を左右に振りながら答えた。
「ちっちっち。蛇の道はシュリンプだよルヴァンドフスキ君」
「エビじゃなくてヘビですね。言ってて疑問に思いませんでした?」
「お前こそ、言ってて疑問に思わなかったか? 俺たちはアウトローなんだぜ。その辺の対策もばっちりだ。具体的にはそこのトイレの、奥から三番目の個室に置いてある」
ユーリは怪訝な顔を浮かべながら、言われた個室に入っていった。だが、特に違和感はない。強いて言えば、トイレットペーパーが妙に無造作に置かれているような――?
「?」
掻き分けてみると、そこに端末が挟んであった。前の利用者の忘れ物か――とは考えなかった。手に取ると、すぐさまメッセージが飛んできたからだ。
『なおこのメッセージは自動的に消滅する』
ユーリはロックのかかっていないそれを開き、すぐさまこう打った。
『はっ倒すぞ』
ユーリはそれから、端末内のメモ帳に書いてある情報を読み込んでいった。そこには偽名と偽の出身地、今回の旅行の目的や果ては大体の生い立ちなどといった情報が羅列されていた。これで入国審査を騙そうというのである。一瞬、バレたら終わりだという考えが過ったが、それはこれから先ずっとそうなのだ、と考えることにした。
「お待たせしました」
ユーリはものの十分でそれを終えると、トイレから出て来たのだ。
「随分長いうんこだったな。ドデカかったのか?」
ユーリは、サンテのそのジョークに顔を顰める。ドニェルツポリ語でなかったので一瞬理解しかねたのもある。
「本当にぶっ飛ばしますよ。というか、何でプディーツァ語……」
そう同じくプディーツァ語で返しながら、ユーリは辺りを見回す。怪しい影はなし――少なくとも感じ取れる限りで。
「ああ、これは一つ目の身分だからだ。俺たちはこれから第三国に出掛けて、そこで今度はプディーツァ人に成りすます。それで別の国をまた経由してド民共に入る、ってわけだ」
「そんなべらべら喋って大丈夫なんですか? 誰かに聞かれたら」
「ま、ドニェルツポリ語や地球語よりはマシだろうよ。第一、通りがかりの奴の言っていることを気にする奴はそうはいない。用心に越したことはないだろうがな」
そういうものか、と納得することにして、ユーリはサンテについていった。恐らく、サンテの方はこの手の潜入と脱出に慣れている様子だった。というより、バックアップ体制がしっかりしているから、かなり余裕を持って行動できる、というのが正確か。偽造端末然り、偽身分証然り――それらによってまるでスパイ映画さながらあっさりゲートを突破できてしまった――これほど精巧なものを作るのはその辺の組織には不可能だ。
(だとすると、)ユーリはふと考えてしまう。(かなり資金のある組織なのか? その上、ドニェルツポリはもちろん、ありとあらゆるところに潜入工作員がいる? ならばバックにいる勢力は、僕たちのような実行役を恐らく複数持っているはずだ。僕らを切り捨てるに足るほどに――とすれば単なる右翼団体に掌握しきれるレベルか? あり得るとすれば、)
「――とか、考えているんだろう」
「⁉」
ユーリは、横合いからにゅっと飛び出した顔に驚いた。心を読んだかのようなセリフにもだ。既に大気圏を離脱し、無重力下にある機内。跳ねた反動でベッドから浮いた体を個室の天井が出迎えて、そこに顔をぶつける惨事をユーリは間一髪で跳ね除けた。
「お前の考えそうなことは分かる。」それをニヤニヤと見ながら、サンテは言う。「真面目で浮かない顔をしているときは、ろくでもないことを考えているときだってな」
「いや、今のはエスパーの類ですよ。何ですか? 宇宙に適応した新人類にでもなったんですか?」
「そんなのお目にかかったこともないね――取り敢えず一つだけ言っておく。深追いするのはやめておけ」
「? ……そういうものなのですか?」
「まあ察しの通り、このレベルのことは、その辺のカタギがやろうと思ってできることじゃない。何か想像もつかないものは背後にいることは確かだ……だとして、俺たちがそれを知ろうとすれば、あっという間にそいつらに勘づかれて絡め取られるのがオチだろうな。この業界で――業界ってのも変な表現だが――とにかく長生きしたいなら、下手なことは考えないことだ」
ユーリは、何か言うべきだと感じたが、それを飲み込んでぼうっと天井を眺めることにした。せっかくの船旅を楽しむことにしたのだ。恐らく最後の自由だから。
そうして一週間かけて、ユーリたちはポラシュカ連邦へ入国した。そこからベルロ人民民主主義共和国――ド民共の隣国――へ出国し、そこからド民共へ侵入する。最終目的地はジンスクだった。
「問題は、ここからだな」
「何がです?」そう思わせぶりに言ったサンテを、ユーリは訝し気に見た。「『もう一人目の僕』にはもう挨拶を済ませました。何か問題が?」
「いや、よく考えてみろ。ポラシュカっていや、地球の同盟国だ。俺たちはプディーツァ人の商社マンということになっているが……要するに、敵国でアナタは何をしてきましたか、ってことだ」
ああなるほど、とユーリは言った。ベルロと言えば、独立したとはいえ独裁者が政権を握っている権威主義国家で、その独裁者が何をバックにしているかといえば、プディーツァである。そのため前の戦争では表向き中立を保ったが、物資の援助や艦艇の修理といった後方支援を行った疑惑――というか容疑があり、参戦はしなかっただけの敵国、というのが正確な表現であった。その証拠に、ドニェルツポリや地球といった国々からはプディーツァ共々渡航が制限されている。
故に、ポラシュカはベルロにとって仮想敵国である。隣接しているというだけではなく、政治体制として不俱戴天の敵となっているのである。わざわざそんなところに出掛けていたというのは、いかにも怪しい。
「ま、大丈夫だろうけどな」サンテは、しかしこともなげに言った。「アイツらには、気の利いたジョークでも言ってやればいいんだよ。ああ、もちろん『愛国的』なやつだぞ? プディーツァ人になったつもりでな」
気軽に言ってくれる――ユーリは溜息を吐いて、貧弱なボキャブラリーから何とかそれらしいものを捻り出そうと苦心した。ジョークが嫌いな質ではなかったが、かといって狙って言うのは相応に難しい。いわばこれは命懸けの大喜利なのだ。プロの芸人だってたじろぐ。
「こんにちは」が、順番はやってくる。「パスポートを」
生返事をしながらも、ユーリは手前の機械の上に端末を置く。本人情報が行き来しているのだろうが、ユーリの想像力はそれどころではない。
「ポラシュカからとのことでしたが……我が国に入国する理由は何ですか?」
「あ、えーと……乗り換えです」
「乗り換え?」怪訝そうな声、何気ないそれが今日は一段強く感じられる。「何へ?」
「えっと」ユーリ・ルヴァンドフスキ、一世一代の大勝負。「地球の騙る制限された自由から、我が国の語る真の自由へ、ですかね」
「…………は?」
「いえドニェルツポリへ行きたいんですよ仕事でねああ傀儡の方じゃなくてジンスクの方へそれだけのことです」
息継ぎもせず早口でまくし立てる。そうしなければ羞恥心で体が引き裂かれそうだった。あるいは怪しまれて別室に連れて行かれそうだった、その方が楽かもしれないが。
「……そういうことでしたか」溜息。何故と聞くまでもない。「では、端末を取って前へどうぞ。ベルロへようこそ」
ベルロで一泊してから、ユーリたちはドニェルツポリ民主共和国はジンスク行きのシャトルへ乗る。今度は三日ほどのフライトの予定であった。小型機で何とか到着できる程度の距離である。
「お前、ジョークのセンスねーんだな……いやはや大爆笑だったけども」
「もっと早くにアンタを後ろから撃っておくべきでしたよ。それならこんな思いする必要もなかったのに」
「そんときゃあのまま野垂れ死にだな。それかどっかで戦死だろ」
「アンタこそ、僕がいなけりゃ何度死んでいるか分かったものではないでしょうに……全く」
ユーリは会話というより水掛け論になりつつあったやり取りに疲れ、ふと外を見た。間もなく目的地のジンスクである。地球型惑星特有の青が暗い宇宙にぽつんと浮いていて、落ちていく水滴を思わせた。
「空が青いのはレイリー散乱、雲が白いのはミー散乱……」
ふと豆知識を呟いた、その瞬間、窓から見えた光景が真っ暗に閉ざされた。何事かと思ったが、窓にシャッターが下ろされたらしい。
「乗客の皆様にご案内します。間もなく当機はジンスク大気圏に突入いたします。そのため窓を閉鎖させていただきました。つきましては座席にお戻りいただき、シートベルトを締め、お待ちいただきますようお願いいたします」
若干眠そうなパイロットの声が天井のスピーカーから聞こえた。ユーリは一瞬の違和感を覚えながらもその声に従って、個室にある座席を起こして、そこに座った。
「ふん、」するとサンテはそれに従いつつもにやりと嘲笑った。「大層な嘘を吐く」
「嘘なんですか?」
「そりゃお前、窓全部閉じたらパイロットは何見て操縦すりゃいいんだよ。計器飛行っつったってそれが完全に宛てになりゃいいけどよ」
旧革命評議会政府系の機体は一般的に、機械的信頼性に問題を抱えている。特に電装系が悪く、計器の精度もあまりよくない。電子制御がありとあらゆる部分に用いられているスペースクラフトでは、その弱点は致命的だった。
「ええ、まあ」かつての乗機を思い浮かべながら、ユーリは頷く。「そうでしたね……軍事教練じゃよく泣かされましたよ」
「お前の場合、あの髭爺が怖かったんだろ」
髭爺――ルドルフ。
懐かしい名前を聞いて、ユーリは追憶に苛まれる。ユーリに未来を託して散った彼。その彼からもらった拳銃も、捕虜になったときに没収されてしまった。今じゃ何という名前の銃だったのか思い出せすらしない。
しかし彼は今のユーリの選択をどう思うのか?
嘆くだろうか? それとも肯定するだろうか?
「……違いますよ。」忍び寄ってきた不安を振り切って、ユーリは首を横に振る。「嫌いではありましたけどね。今となっちゃどうなのか分かりません。それより、どうして連中が嘘を吐くのか、教えてくださいよ」
「ん? ああそうだな――」サンテはユーリの態度に一瞬違和感を覚えたが、しかし続けた。「ジンスクには、衛星軌道上に色んなもんがあるだろ? 軌道エレベーターの代わりに、人工衛星の類が浮いているわけだ」
「らしいですね、この距離じゃよく見えませんでしたが」
「そん中に、プディーツァ軍の基地がある――それを連中は隠したいのさ」
「? 何故です?」ユーリには、まだ分からなかった。「基地なんてそこら中にある。ジンスクにだってスパイはいるんでしょう? こんなところで隠したって……」
「ああ、言い方が悪かったな、正確には――隠したいものがある、だな」
「隠したい、もの?」
「ああ」にや、とサンテは笑う。「第五世代型エンハンサー、『ロジーナⅤ』。その量産一号機と二号機が今そこにある」
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