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第21話 黒の世界

 ぐおおん、という機関部を発生源とする振動が下から空気を揺るがしていて、彼女は椅子に座ったままふと天井を見る。消灯時間――とは言っても宇宙には夜が存在しないしだからといって戦闘艦で明かりを全て消すわけにはいかないから、それを定義するための赤ランプに切り替えられているというだけのことだった。


 そのカタカタという振動から目を正面に向ければ、士官室のディスプレイからは星の瞬きも全くない暗闇が広がっている――超光速航行中には特有の光景だ。物体が光の速度でうごくようになると、ドップラー効果が外界の見え方にも作用するのだ。


 それだけの速度を許すのが艦の各所に設置されているEFマストによって展開されるアインシュタイン()フィールド()である。元々は亜光速航行時のウラシマ効果の克服のために作られたこの技術は、ヒッグス場による時間的抵抗を押しのけて艦の質量を実質ゼロとすることで、光子以上の速度をこの全長五百メートルにもなる正規宙母に与え――彼女に砂漠惑星の荒野より殺風景な光景を見せているのだった。


 そして、彼女はこの光景が嫌いだった。


 いや、仏教めいた全くの「無」を見て楽しくなる人間の方がごく少数ではあろうが――彼女にとってその光景というのは、死んだ父親のことを思い出させるのだ。より正確には、その亡骸を迎えに行った思い出のことを。


 十年前のことだ。


 ドニェルツポリとプディーツァの間で起きた国境紛争――パイロットだった父はその中で起きた艦隊戦に出撃し、そして撃墜された。


 その死亡通知を役人が届けに来たとき、家には学校から帰ってきていた彼女しかいなかった。彼女の母親は、父が平時からほとんど家を空けているのをいいことに男をとっかえひっかえしていたからだ。彼女は彼女でその態度に思うところがないわけではなかったが、これといって記憶のない父親に思い入れがあったわけでもなかったから、適当に紙だけ受け取って、母親には帰ってきてから伝えようと思った。


 だが、その役人の仕事は彼女に父親の死を伝えるだけではないらしかった。

 役人が言うことには、エンハンサーパイロットとしては珍しく遺体が回収できたが遺族の確認と受け取りが必要である、ついては自分と同行して今日出港する補給艦に便乗してもらいたい……とのことだった。


 しかし、彼女が補給艦で受け取った棺桶には、左腕しか残っていなかった。


 簡単な話だ。そもそもが小柄な「ロジーナ」シリーズのこと、設計の工夫を以てしても一度敵弾が装甲を貫けば――命どころか、遺体が残ることすら珍しいのである。


 それでも彼女は泣きはしなかった。その残された手の薬指に指輪があったことに虚しくなった。


 ――一体、彼は何のために戦っていたのだろう?


 その後、再婚した母から逃げるように、彼女は士官学校に願書を出し、一発合格をしてみせて、そこそこの成績で卒業した。そして何の因果か、こうして戦争をやっている――。


「ニキーチナ中尉」その科学技術のもたらした思い出を前にぼんやりと黄昏ている彼女に、そのタイミングで声が掛けられた。「何をしているんです――こんな時間に、こんなところで」


「ナガタか……」


 彼女は彼に振り返ってそう言うと彼女はその手の中のモノを彼に見えるように振ってみせた。それは銀色の古めかしいデザインのスキットルで、その見た目に反して口の部分からは無重力仕様の飛び出し式ストローが見えていた。


「……軍規違反、ってところかな。どうせ今はパイロットにゃやれることはないし、どっちにせよ非番だし、何より目が冴えちまって寝れねえんだ」


 超光速航法の間は、攻撃を受けることがない。何故なら荷電粒子砲やミサイルといった迎撃手段が光速以下でしかないからだが、逆に言えば移動中はこちらからも何もできることがない。


 そしてエンハンサーもその「光速の壁」の中の住人に過ぎない――ウラシマ効果対策程度のEFの強度では、それを越えられないのだ。とすればパイロットもただ手持ち無沙汰になるほかない――というのが彼女の論理だった。


「だからといって飲酒ですか……作戦中に、関心しませんね」


「バレなきゃいいんだよ、こういうのは。あるいはそのスリルを楽しむもんさ」


「現に私に見つかっておいてそれを言うんですか? これが少佐だったらただじゃ済まないでしょう」


「アンタだったんだから共犯にするだけのことさ、ほれ」


 オリガはずい、とスキットルをリチャードに向かって突き出した。ストローから飛び出した刺激臭に彼はムッとして、ただでさえ深い眉間の皺を更に深くした。


「いりません。大体私は、ジャパニーズ・サケ以外は飲まないと決めているんです。アナタと違ってアルコールが入っていれば何だっていいという類の人間ではないので」


「つれないなぁ……好き嫌いすると大きくなれないぞ?」


「これ以上大きくなったらエンハンサーに乗れなくなります」


「そりゃいい。そうなりゃアタシが二番機だ」


 そうゲラゲラと笑いながら、彼女はスキットルの中身を口に含んだ。ウォッカの焼けるような後味が彼女の喉を抜け、緩やかに欲望を満たす。


「というかアンタはいいのかよ、ナガタ? 消灯時間越えてんだぜ?」


「アナタと同じです……寝られたものではないという意味では」


 そう言いながら、リチャードは弱い人工重力の中をトンと床を蹴って跳び、オリガの隣の席に自らを滑りこませた。それに驚いて彼女が目を丸くしている内に、彼はその手からスキットルをひったくり、ぐびぐびとその中身を口に入れた。


「これで共犯だな?」オリガはニヤリと笑う。「明日少佐に言ってやろうか? 仲良く吞んでましたって」


「この程度の安酒、アルコールの内に入りません。水と同じです」


「……喧嘩売ってんのか? これでもアタシのお気に入りなんだがね?」


「なら、没収です」


 そう言いながら、リチャードはスキットルを傾けるとそれを勢いよく吸い出して喉に通していった。オリガは思わず勿体ない、と叫びそうになったが、寝台に隠してあるストックの残量を思い出すことでそれを何とか堪えることにした。こんなことでバレてしまっては面白くなかったからだ。


 だから、口火を切ったのは、心ゆくまで飲んだのか、スキットルから口を離したリチャードの方だった。


「……で、どうなんです」


「どうって?」


「士官学校時代のアナタに関する記憶からすれば、酒がないと眠れないというのはロクでもないことがあったということでしょう。違いますか?」


 そう言いながら、彼は横目でオリガの顔を見た。それと目があった彼女は、不意に気まずさを覚えて、またディスプレイの向こうの虚空の世界へ目を移し、居心地の悪くなった膝を抱えた。


 しかし、いつまでもそうしてはいられなかった。


「……あながち、間違いでもないが……」彼がこの話題を出した、ということは、彼女にとって最悪の事態であったのだから。「言わなくてももう察しはつくだろ? オマエの方はどうだったんだ?」


「残念ながら、同じ状況です。第二大隊の整備兵が吐きました。だからこうしてリスクを冒してまで話に来たんです」


「……だよな、アンタならそういうことだよな」


 ふーっ、とオリガはため息を吐いた。これから始まるであろう、長く不愉快な言葉の羅列に耐える準備だった。



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