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ミーンワイル・イン・フロントライン  作者: 戸塚 両一点
第八章 アナザーワン・バイツァダスト
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第208話 再会

「あ、いらっしゃいユーちゃん。早かったね」


 店内で見つけたシャーロットは、今まさに安っぽいケチャップ・パスタを頬張っているところだった。その傍らには既に平らげたらしい料理の残骸がいくつか。ユーリは深く、深く深く溜息を吐いた。


「……こういうときは呼びつけた相手が来るのを待ってから食べ始めるもんじゃないのか?」


「だって、待ち切れなかったんだもん。ユーちゃん待ってたらお腹と背中がくっついちゃうよ。お昼も食べ損ねてるんだよ?」


「だったら早かったねなんて言うんじゃない。というか一人で食べれているじゃないか。最初から呼ぶな」


「とか何とか言って、ちゃんと来てくれるんじゃん。やっぱり夕飯食べれてなかったんだ」


「……食べれる状況じゃ」ユーリは一瞬、気取られたような気分がして、その話題を避けたがった。「なかったからだ。こっちは適当に頼むが?」


「うん。ユーちゃんの好きなものを食べて。今日は無礼講じゃー!」


 呼びつけておいて、どこが……という言葉を飲み込んで、すっかり殺風景になったメニュー表を眺める。不景気なことを差っ引いても、どれも何だか魅力を感じない。いつだってそうだ。何も食べる気がしないのである。


「面倒だ――カレーにでもしておくよ」


「もっと食べなよ。ただでさえ小さ、細いのに……」


「今小さいって言おうとしたか」


「いや? それより、男の子なんだから沢山食べないと持たないでしょ」


「それはそれで性差別だと僕は思うが……仕方ないだろ。また無職になっちまったんだから。贅沢は……」


 と、そこまで言って、ユーリは失言だったと感じた。それが正しかったのかどうかシャーロットの顔を見ていればすぐに分かる。彼女は顔を曇らせた。


「また、お仕事、駄目だったんだ」


「いや、そうじゃなくて……まあ、そうだ」


「今、どこも不景気だもんね。でも、ユーちゃんは追い出されすぎだと思うけど……」


「シャーロット!」一瞬沸点に達した怒りは、立ち上がった瞬間すれ違った店員が振り返ったことで落ち着かされた。「……それは、お前が元軍人っていう立場がどういうものなのか知らないだけだ。世の中じゃ、たった一度仕方なしに戦っただけでまるで人間じゃないみたいに扱う人だっているんだぜ」


 そう悪ぶって言ってみたものの、それは却って彼に惨めなものを抱かせた。シャーロットが世間知らずなのは相変わらずのように思えたが、だからといって(表向きにはともかく)実際には軍人という理由で解雇された今までと違って今度ばかりは自分が悪いことぐらいのだ。それを言わないのはただただアンフェアというもので、そこにある誤魔化しに自ら幻滅したユーリは萎むように着席した。


「そうだね、ごめん……」だが、その虚勢を見破れることをシャーロットはしなかった。「でも、これからどうするの? プランは、何かあるの?」


「ないよ。また軍人ってことを隠して職探しさ。その前に死ななければいいけれど、そこら辺は賭けだね。どれもこれも国がちゃんとしてないからさ。どうせ、生活保護を申請しても門前払いだろ?」


「まあ、そうかもしれないけれど……」


「試すだけはしてみろって? やだね。僕が戦う羽目になったのは、そもそもこの国がだらしないせいだ。負けて少しはやる気になるかと思ったが結局何も変わっちゃいないね。いつまでも僕みたいな人間からむしり取るばかりで……!」


「ユーちゃん」


「何だよ、何か間違ってるか? それとも、お前も僕に説教しようってんじゃないだろうな」


「そうじゃなくて、注文。そろそろしてもいいんじゃない、って」


 ユーリはその時ようやくまだ自分が席に着いてから何もしていないことに気がついた。指し示されたタブレット端末を手に取って、カレーを――中辛――頼む。そういえば昔はカレー全般が嫌いだったことを思い出す。どうして今食べる気になったのだろう。首を傾げたって答えは出なかった。


「ところでユーちゃん」それより早く、シャーロットが話を切り出した。「今となっては無職のユーちゃんに一つ提案があるのだけれど」


「? 何だ? 仕事の斡旋のつもりか……」


「通訳、やってみない?」


 ぴく、とユーリの眉が動く。通訳――その言葉に、嫌な予感がしたのだ。


「何の」


「プディーツァ語。ユーちゃん、話せるんでしょ? ちょっとこれから必要になりそうなんだけど、ほら、私はまだ日常会話もできない程度だし、かといって今時プロの人を探すのも一苦労だからさ。どうかなって――」


「――ふざけるな!」


 ユーリは思わず机を叩いた。テーブルの上の水と空いた皿がカランと音を立てて揺れる。店内がざわついて視線が集まる――しかし、そんなことはユーリには関係ないことのように思えた。我慢の限界だった。ほとんどの内容を言い終わるまで我慢できた自分の忍耐力に、静かに驚いてすらいた。


「ちょっと必要になる? プロの人間を雇うのも大変? お前、よくそんなこと言えたな? 僕がどういう経緯でプディーツァ語を話せるようになったのか、知っているだろう⁉」


「分かってる。でもね、ユーちゃん。私は……」


「何も分かっちゃいないだろう⁉ お前だって、あの地獄にいれば喋れるようになるさ。ああ喋れるようになるとも、できなければ死ぬか殴られるかするんだからな! ……それともお前なら、()()()()()()()()もあるんじゃないかな? ええっ⁉」


「ユーちゃん……」


「それをお前は何だ。まるで小間使いのようじゃないか。流石だね、今話題のシャーロット・エンラスクス様は。血みどろになったことがないから、そんなことが平気で言えるんだろ? お前は、そういうのは他人に任せっきりでもいいと思っているんじゃないのか⁉」


「ユーちゃん、あのね……」


「そうだったよな、お前は前からそうだった。都合が悪くなると弱ったふりをして僕を頼るんだ。だがな、そのお前の処世術のせいで、僕の人生は粉々になったんだッ! だから……!」


 そのとき、ぎゅう、と握った拳の間から痛みが滲み出てきた。ぽたりと垂れた血が、指の第二関節辺りからぽたりと垂れる頃、ユーリは幾分か自分の言い分を振り返るだけの余裕と一緒に、その分析結果が受け入れられないという意地を得た。自分は失敗していない。間違ったのは彼女の方である――そう信じたくなった。


「帰る」


 だから、ユーリはただそう言った。それからポケットの中からありったけの小銭を取り出すと、ほとんど投げるようにしてテーブルの上にそれらを跳ねさせた。


「ユーちゃん、食べていきなよ。お金はいいから……」


 その態度にすら、シャーロットはにこやかに対応した。お金には触りもせず、ただ座るよう指で示す。敵意はない――誰にでもそれは感じられる。


「――お前まで」しかしそれが却ってユーリの心に罪悪感を上回る怒りをこみ上げさせた。「僕を惨めな奴って笑うのか?」


「ユーちゃん、そうじゃないよ。私は……」


「だが僕は、」ユーリの怒りは、頂点に達した。「人殺しと言われたんだぞォッ!」


 声が裏返る。怒りがそうさせる。体の制御が、リミッターが物理と倫理の両面から外されていく。


「愚かな人間だと笑われたんだ! 戦争の間コックピットで凍えることもなくただ炬燵に入ってぬくぬくとしていたような人間に! アイツらが一滴でも血を流したか? 絶対零度の宇宙空間で鋼鉄の棺桶に収められて、怖くても逃げられないような思いをしたのか? ――いいや、誰一人しちゃいない! そりゃ殴りたくもなるさ。そうすりゃお前らは満足するんだ、合法的に僕を悪者にできるんだからな!」


「ユーちゃん、その理屈だと、私もユーちゃんに殴られるの? そうじゃないでしょう?」


「そうさ、お前はいい。僕はもう許した。戦えない理由があった。僕のことを英雄だ何だと持ち上げもしなかったからな。だがシャーロット、君には自分が上から見てるって自覚あったか? 同情っていうのは、大抵おべべの綺麗な余裕のある人間がズタボロの人間相手にすることなんだ。それをお前は無自覚なままに僕のことを踏みつけて……!」


「違うよ、ユーちゃん。私はアナタの力になりたいの。だから……!」


「安心しろよ、シャーロット。僕はまだ他人から施しを受けるほど落ちぶれてもいなければ、賄賂を受け取るほどやさぐれてもいないんだぜ。第一、割り勘にしないと贈収賄で捕まるのはお前の方だものな、エンラスクス下院議員閣下殿?」


 ユーリはカレーを持ってきた店員の横をすり抜けるようにして店外に出た。何事かと店員が引き留めようとしたが、ユーリの足の方が彼の手より速かった。そうして飛び出した先にある雑踏を、ユーリは敢えてぶつかりながら走る。白い息がその度に上がるが、それは全て社会が悪いのだ。


 全員で彼を無視するのが悪い。


 全員で彼の断末魔へ手を差し伸べないのが悪い。


 全員で彼を蹴落とすのが悪い――だって逃れられなかったんだ。他に方法がなかったんだ。それなのに僕が悪いというのか? 本当に?


 だが、それでも、あんなことを言うつもりはなかったのだ。


 だが、それでも、一度そう思い込むともう止まらないのだ。


 本当は誰かに縋りたいのに。本当は相手の言う通りにしたいのに――自分のことを馬鹿にされたように感じて、それができない。


 矛盾に押し潰されそうになった彼は、逃げるように自宅へ走った。徒歩十分の距離にあるから、それほど遠くはない。


「…………?」


 そしてこの場合、安全なシェルターというわけでも、ない。その証拠に、普段はほとんど顔を出さない大家さんがそこにはいた。彼は今にも崩れ落ちそうな手すりを年齢相応の手つきで使って、ゆっくりと降りてこようとしていたところだった。


「ルヴァンドフスキさんかい。」警戒するユーリに近づいて、彼はしゃがれた声で語り掛けた。「丁度君のところに用があったところなんだ」


「……何ですか」


「いやあ、それがね、えっと、誰から聞いたとかは言えないんだけどね、その、アレなんだよね、君」


 ユーリには、この時点でオチが分かっていた。言いよどむ声の調子や顔色を見れば、大体どうしたいのかは分かる。職を失う度に見た光景だ。穏便に追い出したいってことだろう。その追い出したい理由なんて、一つに決まっている。


「ええ。前は軍にいました。それが何か?」


「困るんだよなァ、事前に言ってもらわないと。隣の夫婦もさ、君が軍人だって聞いて、安心して住めないって言って――あ、言っちゃった。今の、聞かなかったことにしてくれる?」


「ええ、まあ――それで?」


「え?」


「それをわざわざ僕に言うってことは、何かしてほしいことがあってのことなのでしょう?」


「いや、まあ、そうなんだけど……それを言うとさ、僕にも法的な立場ってものがあって」


 苛々する。もっとはっきりものを言うべきだ。どうせ分かり切ったことなのだから。


「分かりました。出て行きますよ。どうせそれが結論なのでしょう?」


「分かってくれるか、そうか――いや、悪いね、本当に。埋め合わせはできないけれど、その、頑張ってね」


 そう言って走るように大家は立ち去った。その背後に襲い掛かって身包みを剥いでやりたい衝動をどうにか抑えながら、ユーリは彼の降りてきた階段を上る。きっとこれを次に下りるときには、もう彼は戻ってくることはないのだろう。


 ――だが、どうして。


 ユーリは、しかし、手すりを握り締める。


(どうして、こんな仕打ちを受けなければならない。僕が悪かったとでも言うのか? 一度でも手を汚した人間は、一生後ろ指を指されるのか? だがその汚れた手に守られていた癖に、その恩を忘れて嘲笑って――!)


 ユーリはその瞬間、このときあるアイデアを閃いて、立ち止まった。階段を上り切ったと同時に、そのまま足を滑らせたことにして後ろに倒れ込むのだ。人間の後頭部は脆い割に重要な部分が詰まっている。脳幹に脊髄――どこを打っても死ぬのに充分だし、仮に失敗してもこの寒さが後押ししてくれる。


(もっと早く、この決断をするべきだった)


 こんな世の中に未練などなかった。どうせ何をしたところで変わりはしない。それよりもこんな腐った世界と関わり合いになる時間を一秒でも減らしたかった。消滅の予感に、捨てられる体は興奮して息が荒くなっていき、階段を上るスピードは遅くなっていく。だが、それは確実に前へと進んでいく。


 天国まで、救済まで、あと一段。


 それを、今、踏み出した。


「――そいつはいいアイデアとは言えないな」が瞬間、落ちていくべき後ろからどこか()()()()()()。「何よりお前を苦しめた誰にも復讐になっていない」


 え、と思わず振り返った瞬間、ユーリの足は不意に絡まった。足を出そうとした先も、当然階段。その高低差を計算に入れていなかったので、ユーリは階段の一番上から飛び降りるようにして階下に落ちた。


「……いや、落ちることは落ちるんかい」声の主は、それを受け止めもせずむしろ避けた。「立てるかマヌケ? 寒いんで早く中に入りたいんだが」


「あ、アンタは……目の前で二階相当の高さから落下した人間に心配とかしないのか……」


「ん? ああそうだな、じゃあ、ほら」


 そう言って、彼はようやくユーリに手を伸ばす。「じゃあ」って何だ「じゃあ」ってと思いながらも、ユーリはそれを手に取った。


「久しぶりだな、ユーリ」


「ええ、収容所以来ですね――サンテ・デ・ミリョン」


 幾多もの戦場を駆け抜けた二人の、六年ぶりの再会であった。

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