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第203話 エイレン・モナハン

 ……こうして、第二次フロントライン・コロニーの戦いは幕を下ろした。


 当地に立てこもっていたドニェルツポリ軍は、降伏した駆逐艦「エルドリッジ」を除いて全て撃沈され、乗組員やエンハンサーのパイロットは全て捕虜となった。賭けに負けたオイゲンは、屈辱的な文言――「当艦隊はノヴォ・ドニェルツポリに存在を主張している地球の傀儡政権の手先として貴艦隊と戦闘状態に入ったが、貴艦隊の軍事的才能と論理的正当性に対して敗北を認め、ここに降伏するものである」――の含まれた降伏文書にサインすることを強いられ、一度は拒否しようとしたものの、逆転の宛てがあるわけでもなければ、そうする他なかった。


 そしてそれとほぼ同時刻、ナカンに到着したドニェルツポリ軍第一連合艦隊第一新編艦隊第二航宙戦隊主力は、既に同地を攻略していたプディーツァ軍艦隊と遭遇し、その半数を撃沈破され後退を余儀なくされた。これにより、「バイト・ザ・ダスト」作戦参加艦艇は完全に脱出に失敗。以降は狭まっていく包囲網の中で破滅を先延ばしにするだけの涙ぐましい努力が終戦まで繰り返される。


 参謀総長アンドレ・ホートン上級大将は、ナカン陥落の報を受けたときただ一言、「そうか」とだけ呟いた。そして何も言わずに執務室に籠って出てこなかった。彼の名前が次に公文書に出現するのは辞任したときであり、その次に出て来るときは戦後大統領暗殺事件の重要参考人として裁判所に招致されたときである。


「何だと」が、エイレン・モナハン大統領はそれほど冷静でいられなければ、無責任にもなれはしなかった。「ナカンが落ちた⁉」


「はい」国防大臣プランマ・ウェルキンゲは震えながら報告した。「これで『バイト・ザ・ダスト』作戦参加艦艇は完全に包囲された形になります。脱出させるためには、ジンスク・ダカダンを打通して……」


「待て待て待て、」エイレンはプランマの言葉を遮って言った。「それは要するに不可能ということじゃないのか?」


「そういうことになります」


 エイレンはそのとき、徐に、目頭を抑えながら天井を仰いだ。敵の攻勢が始まった時点で賭けには負けたようなものだったが、その賭け金をこっちが財布に戻すより先にディーラーの手が伸びてきたわけだ。


「大統領。」プランマの口は震えていた。真面目な青年だがプレッシャーには弱かった。「ジンスクが落ちた以上、敵の次の作戦目標は明らかです。間違いなく、ここに来ます」


「プランマ、それは大いに間違いだ。彼らの目標はノヴォ・ドニェルツポリではない。ドニェルツポリ共和国そのものだ」


「同じことでしょう。大統領。地球に亡命なさるべきです。今の宇宙軍はあの作戦のためにあちこちを引き抜かれ丸裸同然。奇跡は二度起こりません。外務大臣に命じて、交渉を……」


「交渉?」エイレンはプランマの子犬のような目を睨んだ。「私に、国をコインにギャンブルをしておいて、負けたら外国に胡麻を擦る卑怯者になれというのかね。地球に頼るべきことは他にある」


「しかし、大統領閣下の身柄が危険なのです」


 エイレンは立ち上がりジャケットを羽織り、帽子を被りながら言い返した。


「それでもエレーナ・エンラスクスは逃げなかった」


 そこからのエイレンの動きは速かった。和平交渉がプディーツァによって打ち切られて地球から帰る途上にあった外務大臣を呼び出すと、地球連合国大統領宛てに軍事通行権を認める文章を作らせ、それを手渡すよう命じた。外務大臣は途中の星系で引き返し、機内で文章を用意して、面会の約束を緊急で取り付けて手渡した。


 なるほど地球の憲法では、目下戦争中の国家との同盟はできず、武器の輸出もできない。だが――そこには、軍が通行できないとは書かれていない。


 同日の大統領令に従って地球連合国統合参謀本部より発せられた命令はドニェルツポリの隣国ポラシュカ連邦――地球の同盟国の一つ――に駐留する五個連合艦隊に伝達された。例の演習作戦で前進していたこの連合艦隊たちが受け取ったのは、実に単純な命令だった。


「前進せよ」


 そのどうとでも取れる動詞一つの命令の意味は連合艦隊を率いる提督たちにはすぐに分かった。再び、速度重視の強行軍が始まる。命令が伝達された翌日にはドニェルツポリとの国境を越え、まだ情報が伝達されていない国境警備隊とのいざこざはありながらも、速やかにノヴォ・ドニェルツポリの線まで前進した。


 ここまで、実に三日しか経っていない。


 当然、プディーツァ外務省から地球に対して猛抗議が為された。これは明確な戦争に対する介入行為である。速やかに撤退しない場合我が国としては貴国との戦争も辞さない。


 それに対して地球外務省はこう答えた。「これはあくまで演習中の事故である。貴国も主張するように演習ではよく事故が起こる。補給艦が到着し燃料が供給され次第速やかに撤退する。その間もし軍事衝突が起き、我が国の軍隊が攻撃を受けた場合、我が国は自衛権を行使する」


 ……端的に言えば屁理屈なのだが、ヨシフ・スモレンスキーにはただの虚勢には思えなかった。彼は演習作戦についてそう断じたが、にもかかわらず地球艦隊はドニェルツポリの前線にまで到着した。つまり彼らにはそれを実行する意思が最初からあったのだ。


 何より、「演習中の事故」という言葉が効いた。それは奇しくも地球大使が使用した語彙と全く同じだったのである。


 これにより、双方が停戦に合意。停戦交渉は、今度はムゾコンで開かれた。一か月続いた話し合いの結果、ドニェルツポリ代表団が受け入れた終戦条約は次のような内容だった。


 ・十年前の国境紛争における新国境の容認。


 ・現占領地域への高度な自治権の認可と独立に関して十年後に住民投票をすること。


 ・ドニェルツポリ軍の軍縮と新規艦艇の建造禁止。


 ・戦前の国家予算の約五〇年分に及ぶ金額の賠償金。


 ……等々、まるで戦争に無傷で勝ったような条件であったが、エイレンはこれを受諾。以後彼の名はドニェルツポリ史上最悪の売国奴として記憶されることになる。


 しかし、彼はそれを覚悟していた。あのまま最後まで戦って全土占領を果たされた場合、ドニェルツポリの文化は恐らく踏みにじられる。ドニェルツポリ語は存在を抹消され、プディーツァとの同化政策が取られることになるだろう。それで済めばいいが、最悪DNAごと隠蔽される可能性がある。


 つまり、民族浄化。


 第二次世界大戦の落とし子である「文化的な虐殺」が繰り広げられる可能性すらあった。現にプディーツァ軍はまだ民間人の残るフロントライン・コロニーを意図的に破壊した。それと同じようなことが全国で起きないと言えるだろうか?


「失敗を犯したが、最悪は避けられた」


 エイレンが最後に言い残した言葉だと伝えられている。彼は大統領を辞任した後、行方不明になっていた。見つかったのは約一〇〇年後、ノヴォ・ドニェルツポリの山中で発見された白骨遺体が、DNA鑑定の結果彼のものだと判明したときである。遺体の全身には拷問を受けた痕があり、指の何本かは切断されていたという。


 確かに、最悪の事態は避けられた。しかし、ドニェルツポリにはこれから十年の間、冬の時代が待っていた。長く苦しい冬の時代が……。

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