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第2話 日常、あるいは戦前

「ユー……ちゃん!」


「ウワッ⁉」


 ユーリはそのとき下校中だった。そこに突然後ろから大重量をかけられたので大声を上げてしまった。ごった返す彼と同じ制服の男女の視線がコロニー特有の内部フレームの作り出す人工の大気の下、一斉にこっちを見てから、何もなかったかのように元へと戻る。


 が、実のところそれが誰かぐらいのことは彼には分かっていた。こんなイタズラをするのは一人しか思い浮かばなかったからだ。


「シャーロット!」首で振り返ると彼女の長い金髪が目に入って彼は言葉に詰まった。「……いつも君はそうだな。後ろからいきなり声をかけるのは別にいいがのしかかるのはやめろと何度も……」


「別にいいじゃん。減るもんじゃなし、ユーちゃんも嫌じゃないでしょ本当は?」


 そう言って彼女は上半身を彼に押しつけた。柔らかな感触が身長一六〇センチの彼の背中の上の方でムニュリと音を立て、彼は自分が赤面したことを鏡で見ずとも理解した。


「ッ、悪いが、君は自分の大きさというものを自覚すべきだ! 急にそういうことをされたのでは……!」


「大きさって、まさかおっぱいのこと? やらしー」


「……違う!」


 違わなかった。


「だから……そう、身長だ身長! 中学のときには追い抜いていたのを忘れたのか⁉」


「……そだっけ? 小学生のときじゃあ……?」


「そこは重要じゃあないだろう……!」


 重要ではなかったが、ユーリにとってはそこそこ苦い思い出だった。当時女性の成長期は早く訪れることを知っていたユーリは、中学生頃まで待てば彼にも成長期が来て追い抜かせるだろうと思っていたが、皮肉にも彼のそれは彼に大量のニキビとたった一〇センチの成長を寄越したに過ぎなかった。


 ニキビこそ何とかしたが、身長の方はもうどうにもならないようだった。今の彼の体と言うのは、結局のところ平均以下の身長に平均的な見た目、身長に見合った質量程度の者だった。


 そして、その最後がこの場合重要だった。


「――だから重要なのは、君の重量だ……! 君の不断の努力は僕も評価するところだが、だからといって絶対的に重量の問題が……」


「まあ、レディに重いなんて! 失礼しちゃうわね」


「…………」


「うふん」


「うふんじゃない」


 ユーリがそう言っても尚、シャーロットは体をくねくねさせ続けた。彼はその度に揺れる双丘を眺めそうになって、慌てて目をそらした。しかし自分の肩の陰からちらりと見ても、彼女がそれを止めていなかったので、彼には頭痛すらしてきた。


「……何だよ?」


「何って……随分疲れてるみたいだから?」


「その奇怪な動きに疲労回復効果があると信じる、君の溢れ出る自信は是非とも見習いたいところだが……」嘘だった。事実かなり元気になった。「軍事教練だよ。意味もないのに延々グラウンドを走らされていた体育の授業が今は懐かしい」


「あー、男子は強制だもんねー。今何やってるの?」


「空間戦闘。一年のときの陸戦教習よりはマシだけど……」


「マシ? 何で? 運動苦手ってわけじゃないでしょ?」


 ユーリは目を丸くするシャーロットにため息を吐いた。


「シャーロット、君は想像力に欠けているよ。だって陸戦と言えば、一にも二にも『土いじり』だぞ? この上なく僕に合わないことじゃないか」


 そう言うとき、彼は間違いなく身震いしていた。二〇キロはゆうにある背嚢とアサルトライフルを担いで、何日も伏せたり立ったり走ったり……第一次世界大戦からというもの、使う武器や方法は違えど、何世紀にも渡って歩兵のすることというのは全く変わっていないらしかった。ある種の歴史的体験である。


 しかしユーリがそう表現するのは、そうでもしなければ、劣悪極まる環境の中、大嫌いな軍事教練の教官にしこたま怒鳴られたということを自分の中で消化しきれなかったからに過ぎない。


 中でも最悪だったのは塹壕掘りだ。シャベルを弾き返すほどの堅い地面! それを何とか掘り返したと思ったら! ……思い出すだけで虫酸が走った。


「そっか」


 その「屈辱的」な経験を知ってか知らずか、シャーロットのその声は軽かった。


「虫苦手だったもんね。ユーちゃん」


 それから、そのように端的にまとめた。


「違……」う、と反射的に言いそうになって、彼はボロ下宿での自室内安全保障を考慮した。「……わないが、あまり他所でそういうことを言うな。僕にも恥という感情があるんだ」


「え~? どうしよっかなあ~?」


「テスト勉強、手伝ってやらないぞ」


「すみませんすみませんすみません」


 シャーロットは態度を一変させて、大げさに手を合わせて謝った。どうやって入学したのかも分からない成績の彼女は、よくユーリのことを頼りにしていたのだ。


 やはり相互依存関係を維持することによるある種の相互確証破壊的効果は使い古されてはいても未だに有効な手立てのようである……そうユーリは結論して、何となく満足した。


「そっかそっか、空間戦闘訓練だと……ルドルフ教官? だっけ?」


 ルドルフ、という名前を聞いた瞬間、ユーリは眉根のシワを更に深くさせた。


「思い出させるな、あまり……今日もどやされてきたところなんだ」


「へぇ? 今度は何やらかしたの?」


「ロンドン!」


「ロンドン、って……」あんまりにも端的な返答だったが、シャーロットには充分だった。

「よく分からないけど、まさか、また歴史?」


「当たり前だ。何だってクソ真面目にやりたくないことをやらなければいけない」


「……あの、それ、アタシも勉強しなくて済んじゃわない、その理屈?」


 ユーリはシャーロットの反論は無視した。


「だが、僕は歴史家になるんだ! 行く行くは地球に留学して、ピラミッドも、万里の長城も、ビッグベンも、凱旋門も! 全部見に行くつもりだ!」


「あー、いつも言ってるやつだー?」


「そうさ、だが夢は何度口にしたって減るものじゃないだろ? だのに時間はこうしている間にもなくなってしまう。だから軍用エンハンサーの操縦なんか覚えてる暇はないんだ――それをルドルフのジジイめ!」


 ユーリはそう言いながら、空を掻くように手をブルブル震わせた。それはまるで、命懸けで手に入れた勲章を全て奪われた将軍のようだった。


 それもそのはず、ユーリは後一歩で地球に留学できるはずだったのだ。成績も優秀で、特に座学ではほとんど負けなしだったのである。


 しかしある日のことだった。登校中に不注意でエンハンサーと衝突事故を起こしかかって、彼は危うく宇宙で一番多い死因で死ぬところだった。


 これだけなら、被害も出なかったことを考えれば、精々面談で済むぐらいだろう。それに、その場に居合わせたシャーロットの目にはどちらも注意力散漫であって、両方に責任がありそうだった。


 しかし、問題はその相手である――そのエンハンサーに誰が乗っていたかといえば、同じく軍事教練のために学園に急いでいたルドルフその人だったのである!


 その後、どういう取引があったのかは分からない。事実だけ言えば、ユーリはここに残され、軍事教練を受けさせられることになってしまった。


 故に、ユーリが呪われたようにあるいは呪うように手を振り回すのは、少なくとも彼の目線から見れば全く不当ということもなかった。


「そう言えばさ、」しかし半ば滑稽なその様子は、シャーロットにある閃きをもたらした。「あの人が独立戦争の生き残りだって噂、信じる?」


「はっ、まさか!」


 ユーリは予想通りの反応を返した。


「信じないよ。独立戦争って言や四十年前だから年齢的には有り得なくはないだろうが、だとして実戦経験はあるまい! だから声と態度だけはデカいんだよ、それを誤魔化さなきゃいけないから。その癖、軍事教練の教官なんかやって……理事長辺りと癒着してるんじゃないのか? でもなきゃあり得ないだろ」


「でも、この前少佐だって聞いたけど? 海兵隊のエースパイロットで、『鉄腕のルドルフ』とかって」


「髭だけは少佐ってぐらいありそうだけどな、でも頭の固さは軍曹でも過大評価ってところだろ。それに少佐だったとして、こんなところで何してるんだよ? そもそも、誰に聞いたんだ?」


「補習のときにマユにちろっと」


「マユ……」確か、隣のクラスの女子だったか、アジア系の顔立ちの。「何で彼女はそんなことを知っているんだ?」


「結構人気なんだよ、ルドルフ教官。ダンディで紳士だって」


「…………ゾッとする話だな……」


 ユーリは何というわけでもなかったが、そのときチラリとシャーロットの顔を見た。だがすぐに自分が何故そうしたのかに気づきかけ、目を逸らそうとして――


「へー? ゾッとしてくれるんだ?」


 遅かった。視線に気づいて振り返りニヤリと笑う彼女は、まるで獲物を見つけた鷹のようだった。


「……別に、したっていいだろう。あの髭面は誰と一緒にいても悪夢だ」


「その相手がアタシだったら悪夢だって想像したんだ。ふーん?」


 そして更に悪手を打った。こうなってはカンナエのローマ軍である。彼女は正面に回り込んで通せんぼをして、その勝ち誇ったような表情をユーリに見せつけた。


「…………何だよ。上からじっと見てんなよな」


「えへへ」


 笑顔の後ろで、金色の髪が風に揺れる。その揺らめきは彼の心臓の拍動と比例した。まるで精巧な金細工のようだった。ましてそれがシャーロットという、古代の神々の作り出した蠟人形のような印象すらある存在から芽生えているというのは、生命の神秘を感じさせた。


「ねえ、ユーちゃん……」桜の花びらのような彼女の唇が、言った。「楽しいね?」


 ユーリは自分がそこから目を離せないことにそのとき気がついた。彼女がそうしたように足を止めた彼は、それを誤魔化すように言葉を返した。


「何だ? 藪から棒に」


「いや、何だか……楽しいなって。こういうの、言葉にした方がいいかもって、今、ちょっとだけ思ったの」


「やめろよ、」彼はいい加減照れ臭くなって、ようやく目を逸らすことができた。「急に真面目になって……何か変なものでも食べたか?」


「ひっどーい! たまにはアタシだって真面目なコト言ったっていいでしょー⁉」


「そういうのをそうやって気分だけでやるから、こういうことを言われるんだ……ほら、さっさと帰るぞ」


 ユーリはそう言いながら小さく鼻で笑い、彼女の側を抜けてまた歩き始めた。待ってよユーちゃん、という声が聞こえたが、彼は待たないと言う代わりに振り返りもせず先を行った。彼なりの照れ隠しのつもりだった。それを、シャーロットも分かっていると知っていた。


 しかし、彼女は、最初の内こそ着いてきていたが、不意に足を止めた。ユーリはそれにすぐに気づいて、振り返る。


「おい、どうし……」


 そして、まるで子供がピーマンを見るかのような、みっともない顔を自分がしていると瞬間的に気がついた。一瞬表に出してしまったそれを取り繕おうとはしたのだが、生身の人間は、盆から零れた水を掴めるほど速くは動けない。だから彼らの間にあったはずの暖気というのはその冷や水を浴びて、一気に萎んでしまった。


 そこは、古風な個人電器店の前だった。入学してから売れた様子のない店頭のテレビは、夕方のニュースを淡々と読み上げている。


『国境宙域でのプディーツァ連邦軍の演習は最終日を迎え……』

『輸血用血液を載せた輸送艦が前進したとの情報が……』

『エンラスクス大統領は軍に対し最大級の警戒を命令し……』


「――ねぇ、ユーちゃん」


 その間を破って彼を呼ぶ声は、不安げに揺れていた。どこでも明るい彼女が思わず立ち止まって、俯くぐらいには。


「戦争になんか、ならないよね? プディーツァ軍攻めてきたりは……しないよね?」


 一歩先を行っていたユーリは振り返る。最近の彼女はたまにこうなるのだった。そしてそれが、十年前の国境紛争で彼女の父親が死んだせいなのだと、彼は知っている。だから彼の答えも、表情も、一つに象られるしかなかったのだ。


「……ああ」


「誰も、死んだりとか……しないんだよね?」


「しないさ……前にも言っただろ? 今じゃ、地球時代と一緒で、宇宙中が一つなんだから……」


「そう……だよね。きっと」


「そうだよ」


 彼は、まるで盤上のカードを全て知っているかのように笑ってみせた。


「戦争なんて馬鹿げたことはもう起こらない――それに、不可侵条約だってある。前と違って今度は地球だって後ろ盾についてくれているんだ。何かあったら、必ず守ってくれるはずだよ」


「……それは、いつもの『歴史がそう示している』ってやつ?」


 ユーリはシャーロットにそう言われて、何故か一瞬言葉に詰まってしまった。彼女が言ったのは、何かもめごとがあったときの彼の常套句なのだった。


 しかし、それも、いつだって何とかしてきたのだった。小さい頃から。


「ああ、その通りだ――歴史は、いつだって道を示してくれる」


 だから、彼はそう言った。それは彼の信条だと言えた。


 歴史というものは、そのとき生きていた人類の意志の総和である。その時代それぞれにそれぞれの思考プロセスというものが存在していて、その結果が後世に伝わっているのだ。


 しかしその間、人体というハードウェアは何一つ変化していない。


 変わったのは社会制度や科学技術といったソフトウェアに過ぎない。


 五体があり、五感があり、飯を食えば糞もする――その基盤が変わらない限り、ヒトという生き物の考えることというのは少なからず再現性があるはずなのだ。


 過去に倣うとは、歴史を顧みるとは、即ちそういうことである。


「だから、大丈夫――戦争なんか起こらないよ。シャーロット」


 ユーリはそう言いながら、固まってしまって動かない彼女に手を差し伸べた。すると、彼女は最初それをどうしたものかと恐る恐る手を出して、止まって――指先で摘まむようにして、小さく言った。


「うん……」


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