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第194話 絶縁抵抗一メガオーム

 結論から言えば、ユーリは宇宙軍に戻ることを許された。


 無論、何も言われずにあっさりと――というわけではない。


 最初徴兵担当の兵はユーリの格好からは想像もできない告白(彼からすれば、性自認が男の女装趣味の少年が『自分は歴戦の兵士である』と言っているのである)に面食らっていたが、脇で聞いていた上官の方はすぐに合点がいったらしく、どこからか憲兵がすっ飛んできて彼を捕らえた。


 そうして憲兵の預かるところのものとなると、取り調べが始まった。病院から抜け出したあと何をしていたのか、どこにどうやって潜伏していたのか、どうやって憲兵隊の追跡を撒いたのか――それらの追及をのらりくらりとかわすこと各数回。ついに憲兵はそれらを明らかにするのを諦めたようだった。


「……一応、君は」担当者は最後にこう言った。「カルテの上では『退役相当の心的外傷』を負ったということになっている――軍病院である程度面倒を見たのち、退役させる予定だったそうだ。だから脱走兵として処罰することはできないというのが、現実だ。それでも私たちが君を捕らえたのは、その軍病院に連れ戻すために必要な措置であるからということである」


「つまり、僕は前線に戻れない、ということですか?」


「理屈の上では――いや、そうじゃないな、確かにそうではあるが、それだけじゃない」


「?」ユーリは、憲兵の煮え切らない態度を訝しんだ。「どういうことですか」


「つまり、君はそれでいいのか、ということだ――戦力が足らないのは事実だし、それをかき集めるためなら多少の横紙破りも横車押しも許されるのだろうし、君があの『白い十一番』であるからにはそれを上層部に進言するのもやぶさかではないが、一人の大人として、君はもう前線に出るべきではない、と私は考えている。君の戦意の高さには敬意を表するが、しかし君はそもそも戦うべきでない年齢だ。あとのことは大人に任せ、ゆっくり休んでもいい……と思う」


 そのとき憲兵は、精一杯優しい目をして言ったつもりだった。長い間裏切り者を粛清するという職務に身を投じ続けてきた彼の目は鋭いものではあったのだが、だからといってその内情までが敵意に満ちているわけではない。実際、彼も一児の親であった。同情もしようというものである。


「何だ、」しかし、目の前の少年兵は、呆れたように溜息を吐いた。「そんなことですか」


「……だが、重要なことだ。君はまだ子供で、守られるべき立場にいる。わざわざ自分から危険な道へ行く必要はない」


「では言いますが――」鋭い視線が不意に向けられて、憲兵はぎくりとした「それは、アナタの感想ですよね」


「…………」


「確かに、僕は子供だ。それは事実だ。認めますよ――だが、守られるべきかどうかは時と場合による。実際に守られるかどうかも、です。だから軍事教練なんてものを国は僕らに課したのだし、事実それのせいで僕は前線に出ざるを得なかった。第一、大人に任せていたらこの戦争が起きたのに、それを今更守られてくれなんて言われても信用できないんですよ。違いますか?」


 憲兵は、何も言わなかった。この少年の人を半ば馬鹿にしたような目を見れば、どのような言葉も無駄だと分かろうというものだ。彼を悲しくさせたのは、この少年がまだ若いというのに、これほどまでに価値観を凝り固まらせてしまったという事実だった。それを強いたのは戦争であり、それを招いたのは自分たち大人――その点において、少年の言い分は正しい――そう思うと、彼はどうしようもなくやりきれない感情に襲われた。


 こうして、ユーリの復隊届は参謀本部に提出され、特例として受理された。階級もそのまま――そして、所属もそのまま。


 「ルクセンブルク」へと、彼は帰還することになった。


「…………」


 格納庫へエレベーターで運びこまれた汎用艇から降りると、見慣れた光景がユーリを出迎えた。ズラリと並ぶ「ミニットマン」と「スターダスト」。レンドリース艦隊らしい地球製装備。鼻から入る空気すらも、どこか地球の香りがするようだった。


 とはいえ、内政上の摩擦によって、既に停戦成立から三か月が経過している。


 三か月――つまり、本来これらの兵器はとっくの昔に地球に返却されていなければならないものだ。


 では、何故それが未だここにあるのかといえば――イリヤ・ヘルムホルツ外相の交渉努力によるものである。


 彼が主張したのは、その返却期限までのカウントダウンをどこで行うか、ということである。


 地球側の意図としては、この文章が提出された瞬間からカウントダウンは開始されていて、ドニェルツポリが停戦を破棄するかその意思があることが判明した瞬間、その解釈を提示し諦めさせようというつもりだったし、事実モナハン政権が再戦の意志を表明するや否やそうした。


 しかし、地球からドニェルツポリに提示された文章の上では「停戦に応じない場合」となっていた――するとイリヤはこれを根拠にこう反論した。


「ドニェルツポリ共和国としては一時的にとはいえ停戦に合意した。その時点でカウントダウンは停止されているべきである」


 ……どちらが正論を言っているのかはさておき、返却がなされなかった場合の措置について、地球側は切れるカードを何も持ち合わせていなかった。各種援助の打ち切りも、既に提示してしまっていたし、かといってそれ以上の選択肢を選べば、国内の親ドニェルツポリ派から突き上げを食らう。弱まったとはいえ、それは超党派の勢力として未だに充分な発言権を持っていた。


 そういうわけで、未だこれらの地球製兵器は製造者たる地球の下へ返却されていなかったわけだが――その事情をある程度までしか理解していないユーリには、ある一つの嫌な予感がした。


 「ミニットマン」はともかく、「バレット」はもう残されていないのではないか? ということである。


 彼の視界からでは、ずらりと並んでいるのは通常の「ミニットマン」で揃ってしまっているようだったし、実際、前回の戦闘ではほぼ全損といっていい損害を受けた。だとすると、援助が打ち切られる以上新しい補給はほとんど与えられないわけだから、新しくもう一セット「バレット」をくれなどという要求は、まず叶えられまい。通常の機体でさえ、停戦までにストックした資材で何とか賄っているに違いないのだから。


「…………」


 するとユーリは、不意に新規乗艦者の列から離れ、自分の機体が以前あった辺りへ向かった。後ろで誘導の兵が慌てて呼び止める声が聞こえたが、そんなものは無視する。規則正しく並んでいる機体の列を抜け、整備兵たちが作業している脇を抜けて――そこに、見慣れた人影を見つける。


「――お、来たかい」


 振り返ってそう言ったのは、やはりウォルルである。ふくよかな体形に似合う快活そうな顔と口調は相変わらずであった。


 だが、ユーリが目を惹かれたのはそこではない。その奥に安置されている機体――「ミニットマン」。


 それの装備、である。


「……これは」


「これかい? ……って聞くまでもないだろう。『バレット』だよ。それ以外の何に見えるって言うんだい? 中身もアンタの設定のまんま、『奥の手』まで含めてね」


 ウォルルの言う通り、その装備は確かに「バレット」のそれだった。駆逐艦の主砲を流用した長竿にファランクス兵を思わせる丸い盾状の狙撃用ヴィジュアル・センサー。脚部には子供が大袈裟に描いた軍靴のようなブースターもついている。


「でも、」そう、問題はそこではない。「どうやって――」


 そうユーリが言うと、ウォルルは大声を上げて笑った。子供が国語の問題に素っ頓狂な答えを出したときのように。


「どうやっても何もないさ。こういうのはね、予備部品をいくつか持っとくもんなんだよ。砲身にしてもヴィジュアル・センサーにしても――それらをまだ使える部分と組み合わせれば、何とか一機分は捻りだせる。よく言うだろ、エンハンサー一機を万全の状態で動かすには、三機分のパーツがいるって」


 ――よく言うのか、それ……。


 と、整備の事情には疎いユーリは訝しんだが、実際眼前に現実として提示されると、どうやら本当のことらしいと思えた。どの部品にも、欠落は見られない。実際のところは動かしてみないと分からないだろうが――この歴戦の整備兵に限って、そこを仕損じるとは考えられなかった。


「とはいえ、」ウォルルは、その出来栄えに見とれていたユーリに留保をつけた。「用意できるのはこれが最後だろうね」


「……ええ、でしょうね。予備パーツを使ったってことは、もう後がない」


「そういうこった。何しろ大元の地球が卸さないっていうんだから、どうやったって調達ができない。ここにある機体全部そうだ。今回の作戦が終わる頃には、全部使い物にならなくなるだろうよ――まあ、その前に返却期限の方が来そうなもんだがね」


 それは、暗に作戦は成功しないと言っているようなものだった。それが電撃的であることを主眼とする作戦であるからには、時間がかかった時点で敗北である。


 それは、兵法には疎いユーリにすら分かることだった。時間制限のある軍事作戦が成功を収めたことはほとんどない。孫子に言う、「兵は拙速を聞く、未だ功の久しきを覩ざるなり」である。


 無論、ユーリとしては、成功にしろ失敗にしろ、そこに目的はないのだが……。


「でもまあ、」そこで、ウォルルは空気が重くなるのを感知したらしい。彼女は手を一つ叩くと話題を変えようと試みた。「アタシの目論見通りアンタが戻ってきたんだ。何があってもこの艦だけは無事でいられるだろう」


「……『目論見通り』?」


「予想通り、の方が正しい表現かな。アンタの居場所はここさね。アンタは天性のパイロットだ。何があっても、きっとここに戻ってきてくれるとアタシは思ってたよ。おかえり、『白い十一番』!」


 そう言って、ウォルルはバンバンとユーリの背中を叩いて、作業に戻った――瞬間、ユーリの内心では自分でも信じられないほどの憎悪が膨れ上がっていた。何故かは、自分でもよく分からなかった。自分でも、彼女の言う通り、居場所はここに、戦場にしかないものだと思っていた。


 そう他人が決めたから。


 彼を、彼自身ですら、「白い十一番」だと定義したから。


 だが、その定義を現に他人が利用するとなると、彼にはそれが急に我慢ならない事態のように思えてならなかった。お前らのせいでこうなってしまったというのに、お前らはそれに対して反省もしないのか? ――その認識は、自分でもそうであることを認めているというのにという矛盾を孕んだものではあったが、矛盾しているからといって認識がたちどころになくなるわけではない。


「――へえ、本当に戻ってきてたのかよ」


 しかし、その矛盾した憎悪に彼の精神がはち切れるより早く、その軽薄そうな声は機体の列の向こう側から聞こえた。


「サンテさんですか」ユーリはその声の主が誰なのかすぐに分かった。「まだ生きてたんですね」


「相変わらず失礼な奴だな。停戦中に誰が死ぬかよ」


「アナタたちみたいな人間は、惨たらしく死ぬべきだと思います。それだけのことを僕にしたのを忘れて、一体何の用ですか?」


 たち、という言い方をしたのは、向こうから歩いてくるサンテの背後にマルコの影を見つけたからだった。しかし彼はサンテに続いてこちらに来るわけではなかった。むしろ反対に、一瞥したきりエアロックの方へと歩いて行ってしまう。


「…………?」


 しかし、それは妙だと思った。ユーリとしては、サンテがユーリに寄ってきたからには、マルコもこっちに来て、また一緒にやろうとか、ことここに至ったからには今までの諍いは一旦忘れようじゃないかとか、とにかくまたぞろ復縁しようと試みるのではないか、という予想を立てていた。が、今の態度はまるで、マルコはユーリに対する興味を失ってしまったみたいじゃないか?


「ああ、用としちゃ、単純だ。」とはいえ、サンテはユーリの微妙な感じ方には気づかない。「単に伝言をしに来たってところだ」


「……伝言? 誰から――」


「マルコだよ」まさに今一番気になっている名前が出て、ユーリの心臓は飛び出そうになった。「ガキの面倒はもう見てられないってさ」


「…………はい?」


「ああ分かり辛かったか? まあ正確には――『俺は、お前が今まで言ってきた暴言についてはもう何も思っていない。あれだけ辛い思いをしてくれば、ああなるのも仕方ないことだから。だがわざわざその辛い世界に戻ってきたってことは――実際のお前はわざとらしく転んで他人から心配されて甘やかされたいだけの子供だ。二度と俺の前に顔を見せるな』……戻ってくるって噂を聞いたときにそう言ってた」


 ユーリには、その言葉はある種の衝撃を以て受け止められた。寒い夜に突然毛布を剝ぎ取られたような感情を抱き、そしてそれを自分が抱いたという事実に驚嘆した。


 今更、何を驚いているというのだ、自分は?


 あれだけ拒絶の言葉を吐いておいたというのにいざ実際に自分から手を引くと宣言されると狼狽するというのは、まるで、昼間自分で家じゅうの電気配線をニッパーで片っ端から切断したのに夜になった途端電気が使えない暗い寒いと泣き喚くようなものじゃないか。因果応報というより、因果関係といった方が正しい単純さだ。


「……ま、俺としても、」その単純さ故の威力に眩暈すらしているユーリの状態に、サンテは気づかない。「半分は同意見だ。お前はガキだしその中でも特に性格が悪い方だ。その上真っ直ぐになって戻ってきたわけじゃない。その辺はマルコの言うこともむべなるかなってところだ。だが――」


「だが?」


 しかし、その揺れる視界の中でユーリは、朦朧としながらもサンテを睨みつけて言った。


「だが、何です? 結局、アナタも僕とは戦えないというのでしょう?」


「それはそうだが、だけど、そうじゃなくてだな、」


「安心してください。別に僕はアナタ方からの助けなんかいりません。僕を見捨てるなら勝手にすればいい。アナタ方にとって僕は史上最低のクズで、仲間であったという事実すら本当は消し去りたいぐらいなんでしょ。ならアナタ方なんて、こちらから願い下げです!」


 ユーリがそう言い切ると、彼はもう息も絶え絶えだった。しばらく規則的で健康的な生活というものから離れていたツケが回ってきていた。が、それを隠すようにユーリは手に持っていた荷物を背負い直す。その向こうには、ようやくこちらを見つけたらしい誘導役の兵がこちらに近づいてくるのが見えた。


「じゃあ、もう用は済んだでしょ。僕は新しい部屋が割り当てられる予定なんだ。荷物を運びたい」


「……ああ、好きにしろよ。クソマヌケ。精々元気でやるこったな」


 サンテの雑な暴言には目もくれず、ユーリは今度こそかつての仲間に背を向けて、二度と振り向くことはなかった。あれやこれやと口うるさく注意する兵に階級と経験の暴力を押し付けて、ユーリは元いた列が進んでいた方へ戻っていく。


「……俺は、」その背中が、少しも何かで満たされているようには、サンテには思えなかった。「別に、お前がクズになったのがお前だけのせいだなんて、そんなこと言うつもりはないんだがな……」


 サンテは、頭をぼりぼりと掻きながら、その遠ざかる背中に静かに言った。胸の中にはどうにも寂しさが残った。いつぞやの、まだユーリとクルップ隊の栄光にご執心だった頃のマルコは、恐らくこういう気持ちだったに違いない。少なくとも全く同じことを試みて、全く同じ結果に至った。もちろん二人は全く同じ人間ではないにしろ、全く違う感情を抱いているとは思えない。


 ユーリが求めたのは、恐らく差し伸べられる手そのものではなかったのだろう。


 多分、ユーリは確認したかったのだ。自分が世界にとって助けてもらえるだけの価値がある存在であるかどうか。


 似たようなものではあるが――その実、黄鉄鉱と金ぐらい違う。


 その欲するところを満たすのに必要な対価が違う。


 もし実際に前者ならその手を取るだけのことだが、後者の場合は世界中――少なくとも、そうだと思えるぐらいの圧倒的大多数――から手を差し伸べられなければ意味がない。特定の誰か一人や二人では、彼の自尊心は満たされないのだ。


 そんな歪んだ心の器を持った人間に、彼はなってしまっていた。


 最初はちょっとした形の違いだったに違いない。


 個性の範疇で捉えられる部類だったに違いない。


 だが彼は英雄になってしまった。


 その変わった形の器には入らない大量の水を一度に流し込んで粉々にしてしまったばかりか、元の形を忘れて適当に金継ぎを施したのだ。こうなっては元には戻せない。


 そしてその不可逆の改変を行ったのは、自分たち大人だ。


 そう思うと、無責任な金の亡者を自認するサンテでさえ、流石に辟易した。間違いなく、自分もその恥知らずな破壊と再生の一端を担ったのだから。


 それも最前線で。


 ほとんど、実行犯として。


「……クソッタレが」


 誰に言うでもなく、彼はそう呟かずにはいられなかった。自分らしからぬ罪悪感を胸に抱きながら、彼は宛てもなく艦内をぶらつくことに決めた。今は戦争のことなんて、考える気にもならなかった。

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