第18話 キレるナイフ
「あら、」その足音に、ノーラは振り返る。「あなたがユーリ・ルヴァンドフスキさん? 私を助けてくれた……」
「そうです」返答したのはユーリではなく、追いついたウジェーヌだった。「それで、自分がカニンガム少尉を預かって、シェルターの中へ」
少し早口でそう言った彼に抱えられたままのシャーロットを見て、ユーリは若干彼を無責任に思いながらも、その発言内容そのものに口を出すことはせず、口を真一文字に結んだままヘルメットをしたまま話を続けるらしいノーラを見ていた。
「あなたたちには一度お礼を言わなければならないと思っていたんです――ありがとう、おかげで命拾いをしました」
彼女はそう言って、ユーリたちに手を伸ばしてくる。バイザーの下の方は光源の関係か少し向こう側が見えて、薄っすらと笑顔の口元が見える――しかしそれが、彼には急に我慢ならなくなった。
「……ヘルメット」
「え?」
「そう言う割には、ヘルメットは脱いでくださらないんですね。そういうの、気になりますよ」
恐らく目があろうかというところをユーリはじっと睨んだ。それに射竦められてか、ノーラの口の輪郭は戸惑って僅かに歪んだ。とはいえ次の瞬間には彼女はそれを元の形に直すと、今度はヘルメットに手を伸ばし、パイロット特有の短髪を笑みと共に露わにした。
「えっと――ごめんなさいね。これでいいかしら? 確かに顔も見せないのは失礼だったかもしれませんね。流石にスーツを着替えている余裕はないから、それは我慢してくださるかしら?」
「それだけじゃあないでしょう」
しかし彼女の目の前にいる少年はむしろ所作の節々からにじみ出る怒りを携えた返答をした。その表情や握り締められた拳は、彼の言葉より雄弁に語り、彼女の表情を今度こそ明白に当惑したものに変えた。
「? ……えっと?」
「その優しそうでいてその実何も感じていなさそうな顔が気に入らないって言っているんですよ、僕は――あなたは、あなたの操縦のせいで一体何人が死んだのか分かっているんですか。それで、その態度だっていうんですか」
「おい、ユーリ」
何か様子がおかしい。そう感じて咄嗟にウジェーヌは彼の肩を掴もうとした、が、ユーリがノーラに一歩詰め寄るのを予想した動きではなかったために、それは空を切った。
「機体に乗っておいて、見えなかったはずはないんだ。下にあれだけ民間人がいたのを……その真上で戦闘機動なんざやってみせて、最後はまるでトマトジュースでも作るみたいにぐちゃぐちゃにしてみせたんだ。守れもしないで……!」
「ユーリさん? 何を、言って……?」
「だが僕は見たんです! シャーロットも見た。それがこうまでこじらせてくれたんだ。それもこれもあなたたち軍隊がいたせいでしょう⁉ 僕たちの人生にはそんなものは不要だった、無関係だった! そこに無理に割って入ってきたから、コロニー丸ごと大惨事になったって、これはそういう話でしょう? だのにあなたにはその自覚がない――何で、そんな偉そうな顔ができるんです! あなたは!」
もし彼女が引っかかりの少ないパイロットスーツを着ていたのでなければ、きっとユーリは掴みかかっていただろう。本人も、心のどこかではそのつもりでいたかもしれない。代わりに彼は握り拳をワナワナと震わせて、その衝動を何とか制御下においていた。だとすればそれは銃に安全装置をかけたまま全力でトリガーにおいた指を引いているのも同然だった。
「えっと、」そして、彼女のその一言が、セーフティに指をかけて、押した。「落ち着いて……ください?」
彼女の表情は彼のそれと違って全く敵意のないものだった。その代わりにそこにはスーパーで見知らぬ子供に菓子をねだられたときのような困惑だけがあって、その心情の単純さ故に、伝わったその落差に彼は声も挙げられずに一瞬たじろいだ。
あるいは憤った。
その、自分の言っていること全てを何もかも了解したかのような物言いに、だ。
「……ッ⁉」
「随分と怖い思いをされたんですね。戦場を見てしまって、特にアナタは実際に戦ってしまったのでしょう? そりゃあ、訳が分からなくなっても不思議ではないですけど……でももう大丈夫ですよ。少なくともここは安全です。まずはしっかり休んで、疲れを取って、それから話を……」
彼にはもう、その後の言葉というのは蛇足に過ぎなかった。目の前の彼女のスタンスを彼は理解したつもりになっていたからだ。その笑顔に反して、彼女の言動というのは彼の心情ににこやかながらずけずけと入ってくる心持ちがして、それに対する感情的脊髄反射が次の彼の行動を決めた。
「ッ、ふざけ……!」
もう一度銃に例えるなら、それは激発だった。ならばそのハンマーよろしく右の拳は振り上げられ、彼自身自分がそうしていることに気づくより早く振り下ろされる――ことはなかった。




