第170話 ムゾコンの主(後編)
「ふははははは……!」
自らの芝居の完璧さに、だ。
(あのアダム・アイゼンとかいう男――役者ではあっても指揮官の器ではないな。この私を誑かそうなど、百年早いというものだ。戦場では、その程度の化かし合いなど日常茶飯事だというのに!)
そう内心嘲笑しながら、ヨシフは執務机の上にある内務省諜報部から齎された一組の報告書に目を落とす。そこには、大使館に潜入しているスパイ(一清掃員だと聞いている)から得られた、地球本国からの指令書の内容が示されていた。もちろん、清掃の間に何とか盗み見るだけであるので、全文ではないのだが――それでも重要な部分は既に明らかになっていた。彼らの意図は、あくまで自国の経済のために戦争を終結させたいというものに過ぎない。
そこに組み合わせるのが、国防軍参謀本部諜報課から齎された情報。これは主に地球と同盟を組んでいる各国に配置されているスパイから送られてくる敵艦隊の監視情報だ。これによれば、確かに演習に参加しているのは大規模な戦力に見えるかもしれないが、その内情はそれほど強大ではない。政治の要請による緊急の演習であったため即応戦力だけが前進し、それが現地部隊と合流しているので数の上では大きいのだが、その進軍速度の足枷となる補給などは現地部隊に融通させているので、その勢力を長時間維持するのは困難だということだ。普通はそういう展開スピードを優先する場合でも補給艦隊を後続させるものなのだが、それは遥か後方。到着を急がせる様子はない。
これらの情報を使用して、止揚して考えるなら、それはヨシフにとって喜ばしい結論になるのだった。
つまり――地球に、プディーツァを侵攻する意図も能力もない、ということが。
(経済が理由であるからには、当然戦争などという金のかかる事業はやっていられない。だがその根本を断つために戦争をやめさせねばならないからには、何かアクションを打たねばならない。その板挟みの結果が、この中途半端な対応というわけだ。国民を自由に操れない国家は、苦労するな?)
半分は皮肉を、もう半分は本気の憐憫を混ぜながら、ヨシフは報告書たちを元の位置に戻す。ヨシフにとって民主主義とは、書記長による事実上の独裁であった革命評議会政府時代とは違うのだと国民を納得させるための方便に過ぎなかった。あるいは地球をはじめとした隣国たちとある程度上手くやっていくための道具でしかなかった。あくまで建前であって、本気でそんなことをするのは馬鹿だと思っていた。それでは一々国民にお伺いを立てねばならず、必要なときに必要な判断を下すことができない。地球という明白な敵性国家が今なお存在している以上は、常に戦争という重大事を即座に実行に移すための権力がなければならない。
力がなければならない。
愚民どもの求める勝利を得るために。
(問題は――その勝利をどこでどう得るかということだ)
ヨシフは先ほどとは別の束から書類を取り出す。それは同じく国防軍参謀本部から齎されたものだったが――今度は作戦課からのものである。
曰く、ドニェルツポリ方面に派遣された艦隊の損耗率は危険域に突入しており、平均して七〇パーセント――一般に、部隊全体の三割が失われると組織的戦闘が困難になってくるといわれている――である。
曰く、エンハンサーの新規生産は損耗に対して追いついておらず、現在は開戦初頭に後送された機体を修復したものや戦略予備として他方面で待機している艦隊から動員することによってその不足分を賄っている。
曰く、育成に時間のかかる士官やパイロットの不足も深刻で、予備役では足らず促成教育による昇進や士官学校の卒業を繰り上げることで何とかその補填を行っている。
(軍の自業自得だ)ヨシフはそう吐き捨てる。(元々の試算では、ドニェルツポリの傀儡政権を最長一週間で転覆させる予定だったではないか。そのためのノヴォ・ドニェルツポリ急襲だったではないか……それが半年もの長さになったのは、単に軍が情けない戦い方しかしなかったからではないか。それを今になって私に泣きついたところで、端的に言えば困るのだがな)
当初の計画では、プディーツァ宇宙軍全艦隊三〇個連合艦隊の内半数の一五個により、国境部からノヴォ・ドニェルツポリの線まで広く平行して展開しているドニェルツポリ宇宙軍五個連合艦隊を開戦から三日で殲滅し、ノヴォ・ドニェルツポリを占領。それでも首都を移転するなどして抵抗する場合には、ノヴォ・ドニェルツポリ以遠から反撃しにくる残余の五個連合艦隊を同じく三日間でそれぞれ捕捉し撃破するという、前後二段に分かれた各個撃破策を取る予定になっていた。
予備の日数一日を入れても、最長一週間。
それが、実際にはどうだ。
半年――一か月を四週間としても、二四倍。
軍にとってまず誤算だったのは、ドニェルツポリ軍の動きだ。諜報活動で入手した事前防衛計画においては、彼らは国境地帯で各個に応戦して出血を強いつつ後退し、後続艦隊の来援を待つ。こうして全艦隊が集結した後に、攻勢限界に達した敵軍に対して決戦を挑み撃破、間髪入れぬ追撃でそのまま国境宙域まで追い出すことになっていた。
つまり遅滞戦闘により、敵の戦力を漸減してから決戦に誘い込むというドクトリンである。
よってプディーツァ軍ではこの遅滞戦闘を逆に利用することにしていた。それによって敵を拘束した間に数的有利を活かして更に後方の星系を占領。まず包囲して敵が身動きできない姿勢に追い込んでからゆっくり殲滅するという、伝統的な縦深攻撃ドクトリンである。
だが、ドニェルツポリ軍はプディーツァ軍の予想していたほどノロマではなかった。敵軍が来るや一会戦したのち速やかに退却し、後方の拠点に退避することを繰り返した。その結果プディーツァ軍の攻勢はノヴォ・ドニェルツポリ前面に到達する頃にはかなり損耗し――実際にはドニェルツポリ軍も集結が遅くかなり際どい戦いにはなったのだが――結果的には敗北した。
次に誤算だったのは、プディーツァ軍の補給態勢の甘さである。元々、一週間で完結する作戦であったから、各艦にはそれに毛の生えた程度の食料や空気、弾薬や重力燃料しか積まれていない。まして進軍速度重視の電撃侵攻作戦であるからには、補給艦は後方に残置され、後からゆっくりと本隊を追跡するような格好になる――それこそ、今の地球軍のように。もちろん、それでも短期的な需要増大に備えて補給デポの類は設置されるが、それほど数を用意する必要がないと考えられていた。
だが先述のように敵は適切な遅滞戦闘によりプディーツァ軍の速やかな進撃を阻止しただけでなく、首都強襲すら防いでみせた。その結果長期の補給計画を新たに練り直す必要が生まれたのだが――そこで起きたのが、ジンスク攻勢である。ジンスク周辺宙域に建設した補給デポ群は破壊されるか鹵獲され、そこにあった多くの物資はもちろんのこと、再編中だった艦隊も大きく損害を受けた。何より敵国首都を攻撃するための拠点を失ったのが何より痛い。これにより戦争の短期決着の目はなくなった。
そして最後の誤算は――ジビャが未だ攻防の最中にあるということである。なるほど、この星系も例に漏れず開戦劈頭の奇襲によって占領することには成功した。地上軍は未だ抵抗を続けているが、制宙権を奪われた現状では、主要惑星各所の橋頭堡を奪還することはできまい。その内、孤立無援の状態で戦っている彼らは降伏することになるだろう。
だが、だからといってドニェルツポリ艦隊が諦めたわけではないのである――「定期便」と呼ばれる威力偵察も兼ねた強行補給作戦は度々成功を収めているし、奪還に向けた本気の攻勢も何度も実施されている。今般の攻勢では一個連合艦隊を集結させて、大規模攻勢に打って出ているではないか。当然のことながらプディーツァ艦隊も防衛のためそこに戦力を割かねばならず、消耗を強いられているわけであり、その厳しい戦況は艦隊充足率に出ている。
これらが、今になっても戦勝に至れない理由なのだという。
早い話が――腐った納屋の戸を蹴り飛ばすのに思いのほか時間がかかっているから、一度休憩が欲しいという、遠回しな要求なのである。
無論、これらは全て軍の怠慢である。
と、ヨシフは考えていた。
一切の責任は侵攻を計画した政治の側にはなく、実際にそれを請け負っている宇宙軍が無能だからこうまで長引いてしまっているというのが彼の世界観であった。一週間でできると豪語したから信じて実行に移したのに半年かかってなおまだ完遂しないでそれどころか泣き言を言うというのは、彼にとって甘えに他ならなかった。故に、他に適任者が見つかり次第、参謀総長には「暇を取らせる」つもりだ。「一線を退いてもらい」「どこか片田舎で」「ゆっくりと余生を過ごしてもらう」のである。
だが、それはそれとして――現実は、現実である。
ドニェルツポリ侵攻という政策は一度実行に移した以上完遂しなくてはならない。敗退という最悪の結果だけは避けなければならない。そのためには、軍という「力」の象徴が戦場で「勝利」しなくてはならない。どれほど軍が無能で参謀本部が烏合の衆であったとしても、これ以上の敗北もまた、許容できないのである。
だから一度、リセットする。
彼ら専門家がそう望むのなら、そうする。
すると、ヨシフの右手は、執務机の上にある電話に伸びていた。参謀本部への短縮番号のボタンを押すと、一コールしない内に相手が出る。
「大統領閣下、いかがなさいましたか」
「参謀総長。停戦だ。二四時間以内に全軍の戦闘を中止させ、最寄りの軍港へ後退させろ。それとこれが君の国家に対する最後の義務の履行となる。『故郷に帰る支度をしておくように』」
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