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第165話 捥がれた翼

「で、ですから、大尉殿、不可能です……!」


 エーリッヒに掴みかかられているのは「N/A」付きの整備兵だった。帰ってくるや否や、エーリッヒはコックピットから飛び出して、熱に浮かされたように再出撃する旨を伝えた。それをできないと整備兵が言うと、その胸倉目掛けて手が伸びてきたのである。


「『N/A』は技術実証機だと、前に申し上げたでしょう⁉ ですから、基本的に予備パーツのないワンオフの機体なんです……無理に『ロジーナⅣ』のパーツなんてくっつけたら、バランスが狂ってまともに制御できなくなります……!」


「それは僕の仕事だ。貴様の仕事は、その無理を何とかして通し、二四時間以内に再出撃可能なように組み上げることだ。何、右腕をくっつけるだけでいいのだぞ? ……ここまで譲歩してなお直さんというのなら、それはただの職務放棄だ」


「で、ですが大尉殿、出撃許可は下りているのですか⁉ 今は停戦中です! 直したら、アナタは出撃するつもりでしょう⁉ 軍法会議ものだって、大尉殿も聞いたでしょう⁉」


「責任は取る。それでいいのだろう?」


 狂っている、と整備兵は思った。目が完全に据わっている。確信犯の目だ。どのような刑罰であろうとも、これを止めることはできまい。


「――中隊長殿ッ!」


 そこに、驚いたような声が飛び込んできた。それから、二人の足音が、床を伝って後ろから近づいてくる。


「ジッツォか――」振り返りながら、エーリッヒは言った。「それに、アーサーも。二人とも、再出撃の準備だ。可能になり次第、すぐに出るぞ。ジッツォは機体を整備に回せ。アーサーは出撃可能な機体を何とか入手しろ。最悪強奪して構わん。何とか間に合わせろ」


「……中隊長殿? 何を仰って……」


「分からないのか?」アーサーの困惑した表情に呆れたように、エーリッヒは言った。「戦争は続く。この停戦は罠だ。連中の仕組んだ……すぐに戦闘は再開される。すぐに準備をしろ。時間は有限なんだぞ」


「でも、」ジッツォはやや食い気味に反駁した。「終戦に向けた交渉をしているって、アンタだって帰りに正式な命令書を見たでしょう? それなのに何やってるんです⁉」


 これは本当だった。帰還中に文章ファイルが送られてきたのだ。参謀本部から発せられた、正式な命令文書だった。本当に、欺瞞工作などではなかったのだ。


 しかし、エーリッヒは首を横に振った。


「僕には分かる。こんなところで終戦になるはずはない。必ず、どちらかがどちらかを殺すまで続く。これはそういう戦争だ。否、終わってはならない戦争だ。そうでなくてはならない。それを、参謀本部は分かっておらんのだッ」


「ですが、これは命令です。アンタも一度従ったでしょうが!」


「ああ従ったとも! 中隊は全うした。アーサーも助けた。あの憎い『白い十一番』も見逃してやった! こうして従ってやったからには、当然それ相応の報酬というモノがあって然るべきだ! そうだろう⁉」


「それが、」アーサーは眉を顰めた。「軍人の言葉ですか!」


「だが、」エーリッヒは整備兵を宙に放った。「ブリットは死んだんだぞ⁉ それを我慢してやったというのに、これ以上を求めるというのか! 貴様らだってそうだろう! この戦争で死んだ仲間がいる! それを、どうして我慢しろというのか! 停戦など、クソくらえだ!」


 そう叫ぶと、エーリッヒはコックピットへ戻った。それから、それを機内に格納した。臨戦態勢だ。その場にいた全員の顔が強張った。


「……中隊長殿!」


「貴様らが従わんというのなら、僕一人でやってやる! 見てろ、こんな状態でも、『N/A』ならば……」


 重力エンジンをスタートさせようと、彼は試みた。手慣れたものだ、チェックリストなど必要ない――しかし、動かない。エンジンのスターターすら、作動しない。何度試しても、それは同じだった。


「何でだよ、何で……!」


 それは、リミッター解除のツケだった。あるいは、被弾した際に粒子片が動力部に入り込んだというのが原因だった。意外と深手だったのだ、直撃でなかったというだけで。


「クソッ!」


 ヘルメットを思いっきりモニターに叩きつけた。そういう状況も想定されているモニターには傷一つつかない。そのことがより一層、彼の神経を苛立たせた。だが、何度も叩きつけるだけの気力は、彼にはもうなかった。


「クソッ……ブリット……僕は、どうしたらいい……! お前なしで、どうしたら……」


 無機質なシステムメッセージだけを発するモニターの表示はじわじわと歪んでいく。その涙を拭いてくれる人間は、もう、この世にいないのだった。

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