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第13話 救助要請

 しかし、エーリッヒの目論見とは裏腹に、「あの白い十一番の機体」は生きていた。


「――ウッ」


 正確には「そのパイロットは」だったが……その本人であるユーリはコックピットの中にいることをすっかり忘れていたために、目覚めた瞬間強かに目の前のメインモニターに頭をぶつけてそんな間抜けた声を上げた。思わず額に手を当てようとして、操縦桿周りの装甲にぶつけることまでして、ようやく自分の置かれた状況に気がついたのだった。


(そうだ――墜落した『ロジーナⅢ』を分捕って、それで、そのコックピットの中で……)


 撃墜された、のではなかったか。コロニーに空いた穴に巻き込まれて。


 そう思いながらも、彼は呼吸という自らが生きているという証拠を噛み締めながら、操縦桿を操作してメインモニターのHUD上の機体表示に視線を移した。すると、それは暗澹たる有様で、被弾した右腕はもちろん、頭部はヴィジュアル・センサーを含む首から上を全て喪失。脚部はミサイルが撃ち抜いた左側のみならず右側の方も失われ、真っ赤に染まっている。無事――と言っても損傷があることを意味する黄色表示だが――であるのは左腕と胴体だけである。


 しかしその黄色の表示の後者の方は彼を著しく不安にさせた。リ・シーリング・システムでも修復できないほど大きな穴が胴体に空いていれば、それは言うまでもなく減圧を引き起こし、彼の寿命のロウソクをバリボリと食い尽くす死神になり果てるからだ。すぐさま彼は胴体の欄を選択し、気密チェックを機体に実行させた――が、結果はグリーン。


 問題なし。


(……堅牢なことだ)


 とユーリは安堵と感嘆のため息を吐いた。その頑丈さは「ロジーナ」シリーズの設計思想を貫く一つの柱である。敵対する地球に対してあらゆる面において弱体であった革命評議会政府は、経済的・技術的な理由からエンハンサーを小型化することによって一機当たりの生産コストを下げることを目指した。性能はともかく、数的不利だけは受けないような選択をしたということである。


 本来これは、零式艦上戦闘機やBf‐109などの先達でも見られる「貧乏父さん」国家に典型的なないものねだりではあった。しかしそれらと決定的に異なる点があったとすればそのコスト削減の対象が人的資源をも含んでいたということであり、即ち小型化に伴う装甲配置の効率化はパイロット保護をもその目論見の中に置いていて――それが回り回って、彼の命を救ったのだろう。


 ルドルフ教官による座学によってその経緯を知っていたユーリは、名も知らぬ設計者に心の中で感謝をした――が、それだけではことは終わらない。何故なら重篤な酸素漏れやバッテリーの損傷などの致命的な問題は発生しなかったとはいえ、エンジン(奇しくも、その搭載スペースのために機外に追いやられてしまった)を左右両方とも喪失していて、センサーが九割近く死んでいる以上、自力での移動はできない。つまり救助が来るまでの間この安全状態が維持できるのかどうか、という問題が残るからだ。


(バッテリーがちゃんと交換されているならば)彼は軍事教練で身につけた基礎知識を確認する。(エンジン喪失から最低四十八時間は通信と生命維持装置が使えるはずだ。何時間気絶していたのかは分からないが……いずれにせよ、二日間は今の状態がキープできる計算になる。問題は、)


 問題は、その後のことだ。


 エンハンサーが宇宙で遭難した場合、捜索が継続されるのは平均七十二時間までとされる。これは、人間というハードウェアが水分補給というメンテナンスなしにはそれ以上機能を維持することができず、また宇宙空間では遭難者は地上や水上とは文字通り桁違いの速度で流されていってしまうため、それを目安としているのである。


 しかもこれは平時でのことだ。彼が経験した戦闘が果たして本格的な軍事作戦であるのかそれとも偶発的な衝突に過ぎないのか今の彼には定かではなかったが、前者の場合の困難は言うまでもなく、後者のパターンでもその貴重な時間が両軍の停戦を決めるだけに費やされる可能性は充分にあった。


 しかし、彼に残されたのは現状その三分の二に過ぎなかった。本来はエンハンサーのバッテリーが切れた場合、自動的に宇宙服の生命維持装置に機能が移り変わる(これが残りの二十四時間を支える)のだが、今の彼はそれを着用していない。更には、その事実は彼から船外活動の自由をも奪っている――本来なら信号弾なり発煙筒なりで視覚的にも場所を知らせることができるのだが、今できることはトランスポンダから救難信号を出すことだけである。だが何らかの事情によって通信妨害に遭っていた場合、それには何の意味もなくなる。


(…………)


 彼はその事実に出くわすと、その背筋を急に何か冷たいものが走ったような気がした。その狭さこそが不器用ながら頼もしかったコックピットは、無愛想で無機質なただの棺桶に思えてならなかった。何しろ「ロジーナ」シリーズの()()というのは名ばかりで、ほとんど直立の姿勢を強いられるし、更に悪いことにはパイロットスーツなしでも身動ぎ一つできないのである。それは死人が動かないという自然の摂理を後天的に再現しているかのように彼には思われた。


 その直感を否定したいがために、バッテリーを無駄に消費すると分かっていながら、彼は操縦桿のボタンをランダムに押してモニターの表示をぱちぱち入れ替えた。あるいはそうできないか確かめた。しかしその真っ黒の画面はHUD以上の情報を映し出してはくれない。何度かそのモードを切り替えて、見落とした情報がないか確かめたが――「N/A」。


 彼はそれと向き合うのが嫌になって、今度は衝動的にメインモニターのスイッチを切った。何もできないのを知るぐらいなら、何も見ない方がマシだと思えたからだ。しかしそうすることで逆に彼は追い込まれたようだった。操縦桿の内側にあるひんやりとした感覚をより敏感に感じ取ってしまうからである。


 それは、緊急脱出レバーだ――ミサイルの直撃が避けられないと認識したり、エンジンが何らかの異常をきたしたりした場合に使用されるもので、機外の状況次第では踏んでも開かない通常の開閉用ペダルと違い、全体の制御システムとは関係ないスタンドアロンになっている。作動すると胴体正面下部のハッチのロックを火薬で吹き飛ばした後、座席の肩の辺りに置かれているロケットモーターで逆噴射して無理やり機体からパイロットを排出するのだ――つまり、今は、生存のためには何の役にも立たない。


 ただそれは、生存のためには、である。


 ()()()()()()()のだ。


「…………」


 彼は、自分の呼吸の音が一段階大きくなったような気がした。今度は、冷たい何かではなく、大きな怪物の手が彼の心臓を一掴みにしているようだった。その力に中てられて、彼の右手は手探りで、壁から横向きに生えている操縦桿とは九十度違う角度になっているそれに触れた。指先には誤作動防止の固いスイッチの感触。


 その若干の遊びがある感触は、彼に助けなど来ないのだと静かに話しかけるようですらあった。彼の理性もまた、部分的ではあるものの同意した。機体のセンサーが死んでいる以上、機体の速度はもちろんのこと、そもそも流されているのかどうかすら不明である――いや、爆発に巻き込まれたということはそれだけ衝撃波を受けたということ。何かの構造物に引っかかっていれば話は別だが、そうでないのなら、彼の運命というのは合成空気特有の乾燥の中で干からびて死ぬということだけ。少なくとも彼自身には思われた。その苦しみは……想像したくもないし、経験など以ての外だった。


 すると彼の右手は勝手に、手の平の中にそのレバーを抱え込んだらしかった。カタカタと震えているのは、彼の浅くなっていく胸の上下の振動が更に細分化されてその身体の先端にまで伝わっているからだろう。それは心理上の天秤の動きにも似ていた。だからだろうか、彼が不意に息を大きく吸い込んだ瞬間、右手は強く握り締められて、一気に手前に引かれて――何も起こらなかった。


「……プハァ」


 彼は今まさに生まれ変わったかのようにそう息を吐いて、また吸って、何とか心臓の振り子運動を治めようとした。それから彼は右手を慎重にごつごつと色々なボタンのついている操縦桿に手探りで戻しながら、左手を内側の方に寄せて、やはり九十度クロスするような角度で配置されているもう一本のレバーに触れさせた。フェイルセーフの観点から、この左右二本を同時に操作しなければ緊急脱出装置は作動しないようになっている。


 つまり彼のしたこの無駄な行動というのは、環境に狂い出した自分の精神にショック療法を試みたということなのだった。敢えて片方だけ動かすことで、自壊する方へ向かう思考法をある程度食い止めようとしたのだ。だからそれが終われば、すぐさま彼はレバーから手を離し、操縦桿へと戻した。そして、そこから手を離さないように、ぎゅうっと音がするほど握り締めた。


(……シャーロット)


 そのせいでふと、少し前にその手の中にあった温もりの名前を彼は思い出した。それは今彼が握っている冷たい上に木の幹のようにごつごつとした操縦桿とは真反対の代物で、つまり温かったし、柔らかかった――その記憶さえあれば、何とか、色々なことに持ちこたえられそうな気が彼にはした。彼女が無事かどうかは少しも疑わなかった。そうでなくてはならない、さもなければ……。


『……そこの「ロジーナⅢ」、生きているのか?』


 彼がその思考の静寂の中から声を聞き取ったのは、まさにそのときだった。

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