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第10話 この戦争に何かするために

「――キャあぁあッ」


 それは悲鳴だったのか断末魔だったのか、だとして誰のものだったのか、はたまた別の代物だったのか。


 ユーリがその音に恐る恐る目を開けると、青い空気とその向こうの街並みの鳥観図を背景に、敵討ちでもするかのように互いの背後を狙い合う機体と機体のぶつかり合いが目に入った。落下の衝撃波によって後ろに――仰向けに吹っ飛ばされたのだ、と彼は瞬間的に理解した。内から膨れ上がるような頭痛が次第にやってきて、そこに根を張った身体感覚がじんわりと展開されていく。すると彼は腕の中にシャーロットの重みを抱えていたことをそのときようやく思い出した。彼女はぐったりとして、目を閉じている。


「シャーロット……シャーロット⁉」


 それを揺すりながら自分が発したその言葉が、ユーリには聞こえなかった。耳がキーンと鳴っているのだ。何故か身体感覚の内それだけは中々戻ってこなかった。すぐそこでしているはずの逃げていく人たちの足音さえも聞こえない。それは振り子のように揺れて、さっきまでとは真反対に、来た道を戻ろうとしているのだ。


「……!」


 そこで彼はさっき起きたことを思い出した。そうだ、機体が墜落してきたんだ。ミサイルをかわして、それで動きが不安定になって……彼は周りを見渡した。


 いや、()()()()()()()()


 辺り一面が真っ赤だった。


 実に安直な表現だが、無機質で無個性な住宅の壁が驚くほど派手な色に塗り替えられた情景を言い表す言葉を彼は他に知らなかった。無感動なアスファルトは一見する限りでは黒々としているのかもしれなかったが、それも無事なところに限られ、それ以外のところはエンハンサーとミサイルという巨大なナイフによって表皮を傷つけられてそこに炎という血液を滴らせているようだった。そしてそのナイフは大きく刃こぼれすら起こして、本物の血液や肉片をそれ自身に貼り付けていた。


「ひっ」


 その惨状に、思わず彼はそう息を深く吸ってしまった。それは全くの悪手だった――悪臭だった。たった数秒も経っていないはずなのに、それらの人体だったモノは、機体に押し潰された圧力と摩擦とに炙られて煙を立てていた。それが風に乗って鼻腔へ運ばれる。それは養豚場と屠殺場から出る廃棄物を全宇宙からかき集めてそれを火にかけたような有様だった。一瞬肉の焼けるような食欲を誘う香りがしたかと思えば、次の瞬間には口に便を大小問わずぶち込まれるようで、彼は嘔吐しかかった。


 きっと人間には炎そのものを恐れる代わりに、同族が燃えている匂いに対して恐れを抱くような作りになっているのかもしれない――咄嗟に下を向いた瞬間にシャーロットがそこにいることを思い出さなかったら、きっと彼はそうしていただろう。


 しかし、それだけでは終わらなかった。


 目を開けたシャーロットと彼は目があったのだ。


「ユーちゃん……?」


 その声が聞こえたことが、彼は今ほど恐ろしいと思えたときはなかった。だからだろうか、彼はきっと、彼女からすると怖い顔をしていたに違いない。ふい、と彼女は目を見開いて、怪訝そうに辺りを見回した。


「! 見るな!」


 ユーリは咄嗟にそれを制止しようとした。しかしシャーロットが足を怪我しているという事実が、彼の腕に強引さと素早さを失わせた。彼女はそれをすり抜けて、片足を庇いながら、呆然と立ち上がる。


「シャーロット!」


「ねえ、この匂い……何?」


「そんなこと……気にしている場合かよ。なあ、あと少しじゃないか」


 ユーリはすぐさま立ち上がって、シャーロットの腕を引っ張ろうとした。しかし、先ほどと同じだ。彼女の不安定な声を聞いたのなら、その手に速度が乗ることはなく、彼女は弾かれるように数歩歩くだけであっさりそれから逃れる。


「あれ、人が死んでいるんじゃないの? あの赤いのは、人の腕? ねぇ?」


 震えるままの声でゆらゆらと揺れて、彼女はそう言った。その様子を見て、彼は肝を冷やした。死体の方へトボトボと進むその背中は、まるで崖へと向かう自殺志願者のようにユーリには見えたのだ。だから彼は今度こそ彼女の肩を掴んで止めることができた。


「そんなわけないだろ! それより早くシェルターに、」


「嫌よこんなの!」彼女は、しかし、その腕を振りほどいて振り返る。「何なのこれは……! 戦争にはならないって、ユーちゃんが言ったんじゃない! なのに……なのに、皆死んでるんだよ⁉ こんなの……こんなの、おかしい……⁉」


 ――落ち着け、彼女はストレスによって一時的に精神的に不安定になっているだけだ。


 その理性の声は、ユーリ自身には届かなかった。頭に血が上ったからだ。彼はほとんど本能的に彼女の肩を再度掴んでいた。


「それが、僕のせいだって言うのかよ! 戦争なんて、君にも僕にも関係ないことだったっていうのに! それとも昨日や一昨日にこんなことになるなんて分かっていたっていうのか!」


「でも、そういう風に言ってくれたじゃない! ユーちゃんは何でも知っていたじゃあないの! 戦争は起こらないって、全部分かった顔で……!」


「! シャーロット!」


 その瞬間、戦闘の音にも負けないぐらい大きな、乾いた音がユーリの手のひらとシャーロットの頬によって響き、彼女の涙が宙を舞った。


「……ッ⁉」


「いい加減にしてくれよ! 僕だってエスパーでもなければ神様でもないんだ! こんなことになるなんて分かったのかよ、分かっていたのなら何かできたっていうのかよ! 僕だって、僕だって……!」


 彼はそこまで一息に言ってから、言われた相手の顔を見る余裕ができた。自分がどれほど震えた声で何を言っているかも、だ。それでようやく、自分がとんでもないことをしたことに気がついた。


「僕だって……こんなの、嫌なんだよ。こんなことになるなんて……こんな残酷な、ことなんて……」


 しかし、取り返しはつかないのだ。虐待された小動物のようなシャーロットの顔が、彼を苛んだ。その何もかもが信じられないというような顔で、彼女はゆっくり崩れ落ちていく。涙すら出ないのだ。だから膝が血で汚れるのも構わない。ただ浅くなっていく呼吸の中、静かに小さくなって震えるだけ。


 だから今度こそ本当に、ユーリには彼女を動かすことはできそうもなかった。彼自身、指一本自分の意志では動かせなかった。目の前で起きた災いに感化された彼女を見下ろして、彼自身の血流の音が妙にうるさくグワングワンと鳴って、戦闘音をかき消していく。何故自分はここに立っていられるのだろうか、とふと彼は疑問に思った。世界が揺れているような気がした。それは単に、流れ弾にコロニーが揺さぶられているからだけではないはずだ。


「おい……何をやっているんだ、そこで?」


 そんな声が耳鳴りを切り裂いて聞こえたのは、そのときだった。彼の肩はびくりと跳ねて、その視線を水平面に戻して声の方角へと向けさせて――そして軽く、ひ、と彼は息を吸った。


 そこには、鬼がいた。


 いや正確に言えば、ユーリにはそう見えただけだったのかもしれない――それはあまりに非現実的な光景だった。その巨体はそこに横たわって通りを占領していた。その胴はそこら中のどこよりも一際真っ赤で、まるでここで消えた命を全て吸い尽くしたスポンジのようだった。ならば、その形相が彼の方を向いていたのは、本能に対してあまりに強い刺激物だった。


「そう、アンタら! ……そんなとこで突っ立っていると、死んでしまうぜ? どうしたんだ? おい?」


 向いていた、というのは奇妙な感覚である。何故ならそれは成り立たないからだ。それに表情はなかった。顔は口があること以外のっぺらぼうそのもので、角の代わりか額の部分がやたらと強く出ているぐらいが特徴だった。巨大さも相まってその直感的違和感は彼に恐怖心を思い出させた。これは幻覚だ、こんな非現実的なこと、あるものか! ……彼は思わず耳を塞いだ、実際には。


(だが、これが現実だ――戦争は起きた。非現実的だった戦争が)


 しかし今度は直接彼の頭の中に、その声は聞こえたのである。彼は反射的に答えていた。


(違う……)


(だが、目の前の光景を否定できるか? 敵艦隊はやってきて、エンハンサーが市街地を襲い、その結果は? ……見ての通りだ。これ以上、戦争らしい光景はあるか?)


(違う……!)


(だが、お前は何もしなかった! 前もってできることがあったはずだお前には! だのにお前はただ信じたいものを信じ、それ以外を切り捨て、ただ残ったものに縋っただけの溺れゆくクズだ! 今死んでいないのが奇跡なほどに!)


(なら、)いい加減にしろ。彼はそうも口にしたかもしれない。(なら、どうしろって言うんだお前は? もう何もかもが滅茶苦茶になっているじゃないか! ここから何かしたとして、できることがあるというのか⁉)


(それは……)


「それは……何だ?」


「……おい?」


「何をしろって言うんだ、答えッ……」


 その瞬間、彼は左の顎を強かに殴られた。その勢いのまま数歩後ろに後退りして――掴まれた胸倉を支点にして、ぐっと踏みとどまる。


「……え?」


「――しっかりしろ! 誰と話している? 早くしないとアンタも俺も窒息死なんだぞ⁉」


 そのときユーリの目の前に男が一人いることに、彼はようやく気がついた。丸刈りで運動着を着た同年代の少年……彼がユーリの胸倉を掴んでいる。その肩越しに、ユーリはさっきまで自分の頭の中を支配していた悪鬼の正体に気がついた。


 それは、気づいてしまえばなんてことはない、墜落してきたエンハンサーが勢い余って転倒しているのであった。胴体が赤かったのは文字通りここにぎゅうぎゅう詰めになっていた人たちの血液などが付着していたからであって、だからおでこの飛び出たのっぺらぼうというのも、大きな円柱状のレドームが大部分を占めて前に飛び出ているデザインがそう感じられたということなのだった。よくよく見れば、左の肩のところには白く「J-11」と個体識別番号がペイントされている。明白な人工物だ。


 そしてその横には、シェルターの入り口が開いている――目の前の彼はそこから来たのだろう――そこまで考えて、ようやくユーリは自分が何をしにここに来たのかを思い出した。


「そうだ、シェルター……」


「そうだろ! ……アンタは歩けるな? だったら急ぐんだ、早く!」


 そう言って彼はユーリの後ろに回った。振り返ると、丸刈りの男が手早く、落ちたハンカチのように力なくたたずむシャーロットを、肩を貸すような形で持ち上げた。それからユーリの方は一瞥もせずに歩き出す。追い抜かれた背中を見て、ようやくユーリの体は歩かなければシェルターにはたどり着けないことを思い出したらしかった。


「……? 何をしている?」


 しかし、前を行く男は、ユーリが立ち止まったことに気がついて振り返ってそう言った――その声すら、彼の内部には届かなかった。


 そのときの彼の視界にはただ三つのものが映ってしまっていた。一つはそこら中にありふれている血液と内臓の赤である。それを踏みつけた感覚に怯んで立ち止まったところに男が振り返ることによって、その肩を借りているシャーロットもまた振り返って、その顔がギリシャ神話のメドゥーサのように彼をたちどころにその場に固まらせてしまったのだ。


(――戦争にはならないって、ユーちゃんが言ったんじゃない!)


 その魔力の源は、シャーロットの発したその言葉だった。それは、胸の中に残ってどろどろとした痛みを引き起こすからには、一種の毒薬のようでもあった。


 彼女が泣きじゃくり、必死に彼を糾弾する顔。


 それがそうなってしまったのは、彼のせいであるはずはない。そんなものを見たくて嘘を吐いてきたのではない。


 彼はただ彼女に笑顔でいてほしかったし、ただ笑い合って生きていきたかったのだ。そしてそうなるはずだと考えて行動していた。それを誰かが台無しにしたのだ、彼ではない誰かが。


(僕は戦争なんか起こしちゃいない。これだけ人が死んだことも、コロニーが壊れていくことも、望んだことは一度もない! できるわけがないじゃないか!)


 だが、それをどう証明する、この惨劇が自分の手の届かないところにあったということを?


 彼の視線は答えを知っていた。それはシャーロットの十分間で十歳は老けたような顔から離れ、その奥に横たわる巨体に注がれた。


 即ち、墜落したエンハンサーに。


「…………」


 彼は、それが人工的に設計された機械製の巨人――「ロジーナ」シリーズの第三世代型である「ロジーナⅢ」であると今度は正しく認識していた。


 今度こそ、それは話しかけなどしない。ただそこに居座っているだけ。


 鬼などこの世には存在しないし、それに鬼の胴体にはコックピットなどありはしない。


 であるからには、鬼に乗った経験など、あるはずがない。


 だが、その横たわる鋼鉄の巨体が「ロジーナⅢ」ならば――あるのだ。軍事教練で嫌というほど乗らされたのだ。


 まだ動くなら――ユーリは思わず走り出していた。


「おい⁉」


 シェルターのドアから引き留める声を、ユーリは無視した。その代わりにエンハンサーに飛びつくと、胴体下部にあるハンドルに手を突っ込んで右へ九十度回す。するとそこの装甲がゆっくりと油圧で外にせり出していき、コックピットシートを排出した。パイロットはそれだけの動きがあったにもかかわらずぐったりとしたままで動かない。死んでいるのかと一瞬彼は恐れたが、墜落の衝撃で気絶しただけらしかった。その証拠に、ヘルメットのバイザーには白い結露がついたり消えたりしていた。


「何しているんだ、危ないから離れた方が……!」


 今度の声は、ちゃんとユーリにも聞こえた。彼はパイロットを座席に縛り付けるベルトを外しながら答えた。


「この人を頼む! まだ息があるらしいんだ!」


「頼むって……」座席からパイロットを下ろすのを手伝いながら、丸刈りの男は困惑した。「アンタはどうするんだ。アンタも来るんだよ!」


「それはできない。僕はコイツを動かす――」空いた座席に飛び乗りながら、ユーリは当たり障りのない言い訳を考えた。「ここにあったらシェルターにも流れ弾が来るかもしれないだろ? エンハンサークラスのビームでも直撃なら……」


「パイロットスーツもなしで、か⁉ それは無茶だ! いくら重力制御があるからって、全部の加速度を打ち消せるわけじゃないし、それに――」


「そんなことは分かってる!」


 尚も食い下がろうとした彼を、ユーリは軽く突き飛ばした。そうして彼が荷物の重みもあって後退りした瞬間に、コックピット格納用ペダルを踏んだ。


「うわッ」


「でも、戦争の方がもっと無茶苦茶じゃないか! こんなことが始まったせいで、僕の人生もそうなってしまった。だが僕は何もしちゃいないんだ、この戦争に!」


 ガコン、という音と共に、シートは定位置に格納される。するとシステムが、パイロットスーツがないことを感知して、各種機体情報表示をヘッド()マウント()ディスプレイ()・モードからヘッド()アップ()ディスプレイ()・モードに変更。メインモニターがそれに伴って再調整され、各部チェックの表示がパラパラと降りてくる。


 生命維持装置……正常。

 気密チェック……正常。

 重力推進装置……正常。

 EF発生装置……正常。

 外装神経接続……正常。

 機内重力制御……正常。

 索敵システム……正常。

 データリンク……正常。

 火器管制接続……正常。


「僕は悪くない――僕はこんな馬鹿げたことをしていないって、教えてやる!」


 最終安全装置……解除。


 それが表示されると同時に少年の体は拡張され、レーダーとヴィジュアル・センサーは敵機を捉えていく。狙うのは、別の機の背を追っている敵機。その間抜けた背中に向かって、彼はビームライフルの照準を合わせ、引き金を引いた。


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