第1話 戦争なんか
――宇宙とは、九割の闇と一割の光で構成されている。
その言葉は、一体誰が言ったものだろうか?
「……であるからして、敵に対して優位に立つために必要なのは充分な索敵とそれによって敵に先んじることであり――」
さしてオリジナリティのあるものでもない。しかしだからこそそれは示唆的に彼には思えた。
闇というのは、その未知の世界が無限に広がっているという証明だからだ。仮に宇宙空間が有限であるならば、大気がないため減衰しない恒星の光にそれは埋め尽くされてしまうはずだからである。
この理論を今となっては片隅に追いやられた地球の、そのまた片隅のどこかで誰かが思いついたとき、人類はそれを征服するということに決めたのかもしれない。
「これをファーストルック・ファーストキルという。先にミサイルを発射した側の編隊がより勝利に近づくことになる! そのためには、視界と各部センサーの隙間を埋めるためにこのような編隊を維持することが……」
ならばその光というのは、その発信元が、開拓されるべき土地として残されていた時代のものが今ここに届いているに過ぎない。光の速度は常に一定であるから、その膨大な距離が人の網膜に届くまでその何世代分もの時間を費やさせるのだ。
人類の最大移動速度がしばらくの間それ、即ち一般相対性理論に制限されたことも特筆すべきだろう。これは植民星の開拓に大きな支障を生んだ。宇宙的帝国主義に乗り出した地球政府にとって、反乱に対してすぐに対処することを困難にしたのである。
例えば一光年先のコロニーで、現地の守備隊だけではどうにもならない規模の暴動が起きたとする。そうなると、まずそれが起きたことを知るのに約一年。そこから軍隊を派遣するにも、仮に既に揚陸艦などの準備が整っていたとしても更にそこから移動時間だけで約一年。補給の度にこれと同じことをしなくてはならないのである――ウラシマ効果はEF技術によって克服されたにせよ。
「まずは、右九十度旋回だ。こっちの動きをトレースしろ――」
それはある大帝国の宿痾と同じである。かつて地球の大部分を支配した大英帝国という国家においてすら、当時の造船技術の関係上、年単位ではないにせよ植民地と本国との連絡は途絶えがちになるのが常というものだった。そのせいで大英帝国は大西洋の対岸に位置した植民地を喪失し、そこにアメリカという後の覇権国家を産み落とすこととなったのだ。
すると彼は歴史の皮肉を感じざるを得なかった。今となっては、超光速航法や量子航法などの発達により、どうにかこうにか国家は安定しているが、それまでの間に地球という一つの帝国が壊死した切れ端が互いに独立し、数多の戦乱を生み、彼のいる国とその隣国を作り――それら様々が巡り巡って、今の彼を生かしているのである。それと同じことがかつても起き、これからも起こるだろう。歴史というもののロマンだった。
そして今彼が見ている瞬きは、そんな運命などまだ知らぬまま旅に出たのだ……。
「――七番機! ユーリ・ルヴァンドフスキ!」
その視界にグンと割り込むものがあった。モニター一杯に宇宙ではないものが浮かび、ゴン、と接触音が寝起きのように曖昧な頭の中に響き渡った。
「酸素漏れか? 気密チェックをしろ! 何故応答を……」
矢継ぎ早にその声は言った。まるで古臭い公爵家の老当主のように厳しく低い声だったために、彼には目の前に浮かぶ金属で象られた人型のシルエットは中世の騎士と入り混じった。そのぼうっとした頭のまま彼は思ったことを口に出してしまった。
「こ、ここがロンドンでありますか?」
そして、その瞬間に彼は冷静になった。自分が軍事教練の実技課程を受けている真っ最中なのだと思い出して、顔を青くして、そもそも「モニター」が目の前にあった瞬間に気づくべきだったと後悔した。
「貴様は、また夢の中にいたようだな……? 訓練中に居眠りとは、機体ごと宇宙の藻屑となるつもりだったか!」
そう言いながら、教官機は指先でユーリ機の表面をつついた。人間サイズなら軽いデコピン程度だったのだろうが、それが八メートルものサイズに拡大されると、装甲同士がぶつかり合う音が機体内部を反響して、彼の脳味噌をも揺すぶった。ユーリは耳をふさぎたくなったがそれもできない。コックピットの構造はそのような狭さだった。
「これで目が覚めただろう! 実戦だったなら、実弾だったなら、そんなものでは済まないのだがな!」
耳鳴りの向こう側で、教官機が無線でそう言いながら機体を一八〇度反転させるのがユーリには見えた。その進行方向には、教官のそれに似たシルエットがいくつも浮かんでいて、その集合の仕方で歪な逆Ⅴ字をいくつか描いていた。素人の学生の操縦などというのは、結局その程度のものだ。密集していなければ、安定していられないのである。
(戦争なんか……)
ユーリは無線のマイクは切ったまま、その不器用な隊列に呟いた。しかし宇宙の真空は、その祈りにも似た言葉が「向こう側」に届くのを妨げてしまった。
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