おわりに
つらつらとつたない考察を語ってきました。
個人的にはこんな内容でもこれから先、表現の単調さに苦しんだときに見返せば、変化を付ける手がかりになるかなと思っています。
また作者/作品によって、とつぜん起こった出来事の書きあらわしかたにもずいぶんと個性があることに気づけたのも収穫でした。
図太くも淡々と、同じ表現を繰り返して使用する作品。
やや強引ながらも毎回丁寧にお膳立てを用意し、華々しく演出する作品。
劇的で重要な出来事なのだと、自ら堂々と説明する作品。
もちろん各物語において、それぞれのとつぜん起こった出来事の重要性は異なります。そうした点はわかっているつもりでしたが、思いのほかに違いがありました。
あと最後に語りたいことが。書き手になってからよく実感するのですが、今回特に痛感したことがあるのです。
創造的活動のハウツーとして、「インプットなくして、アウトプットなし」というたぐいの金言を見聞きします。これ、異論はないのですが、付け足したいことがあります。それは「インプットになりうる素材を目にしていても、関心を払っていなければインプットにはならない」ということ。
文章術においては「書けるようになるには、たくさん読め」という話になります。ですが個人的には、読み専だったときの読書はあまり血肉になっていません。そこにちょっぴり後悔があります。なにしろ一日は二十四時間。書き始めたら、読む時間は減ります。
これは余計なお世話なのでしょうけれど。
もしあなたが読み専でいらしたら。数十文字でも数百文字でもよいので、たとえば異世界転生のテンプレ場面などを書いてみると、以後の読書体験が大きく変化すると思います。
「森の中で転生者が目を覚ます。そこに野獣が近づく」とか、「転生者が初めて冒険者ギルドを訪れる。古株の冒険者が足を引っかけて嫌がらせをする」といった定番場面などは、きっと簡単に情景が思い浮かびますよね。
そうして書いてみると、たとえ思うように書けなくても、沢山の気づきを得られるはず。そうした経験を踏まえて読書体験を積むと、もし書き手に回ることになったら大きなアドになるでしょう。
ん?
「分析的に読むと、感情移入できんくなるだろうが」ですか。それは心配しすぎかと。面白い作品は分析的に読もうとしても、物語に引き込まれちゃいます。それもあって、とつぜん起こった出来事の事例を探し出すのは大変でした。
――以上になりますが、これホント、7年前の自分に伝えたくてたまらないです。
それでは。
本稿がみなさまのなにかの足しになれば、幸いです!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これでいったん完結としますが、これから先に気付くこともあるかと思います。なので本稿は改訂して育てようと思っています。
みなさまからも何かありましたら、「感想」などでやさしくご教授、ご指導、タレコミをしていただけると助かります。
それでは書く人も読む人も、楽しい小説ライフを!