解決編
4
「自転車の鍵、弁償しないんですか?」
石巻は隙を見て、瀬戸宇治にそう囁いた。
瀬戸宇治は半ば驚いた顔で小さな声で説明した。
「当たり前だろ。ここまできて、やっぱり自分がやりましたなんて、そんなみっともないこと言えるか? いいか、自転車盗難の被害なんて1日にどれくらいあると思ってんだ? どれくらいあるのか僕にも知らないけど、結構あるに違いない。僕の友達も盗難にあったんだけど、運が良くて自転車は見つかったけど、盗んだ犯人までは分かってないんだ。分かりっこないんだよ」
瀬戸宇治一行は5時限目の教室へ移動していた。まだ4時限目が終わっていないのでその教室には彼ら以外にはいなかった。
「はい、皆さん、授業を始めますよ」
そう言って教室のドアを開ける者がいた。頬にシップを貼った佐々木原だった。その後ろには水咲もいる。
佐々木原はそのまま壇上へ上がった。
瀬戸宇治は彼女らの行動に呆気に取られて何も言えずにその様子を見守った。
「どうも、皆さんこんにちは。先程、そこの背の低いあなたに殴られた佐々木原です。さっきはどうもありがとうございました。とても痛かったです。女を殴る男はサイテイね」
佐々木原の冷静な怒りに誰も言い返せなかった。
「さて、今日の授業はきっと眠たくならないと思います。みんな集中してくれると思います。なぜなら、証拠を見つけたからです」
連中はざわめいた。だが、たった6人のざわめきなので、何を口走っているのかは聞き取れた。
「マジで?」
「瀬戸宇治さん、タクシーで来たんじゃないの?」
「ウソつけよ! 僕はやってない! さっさと引っ込め!」
瀬戸宇治のざわめきは、ざわめきを通り越し怒声となっていた。彼女らのあまりに自身満々の態度に少なからず焦りを感じていたからだ。
「授業中の私語は慎んで下さい。今日の授業の『名探偵研究会自転車盗難事件解決編』の講師に、水咲先生をお招きしています。それでは先生どうぞ」
佐々木原1人だけが拍手をすると、代わって水咲が壇上に上がった。
水咲は教卓に手をついて一礼すると、笑みを浮かべて瀬戸宇治を見つめた。
「瀬戸宇治さん、覚悟されてます? 行きますよ。よーく、聞いてて下さいね」
水咲はハンカチに包んだ1枚の花びらをみんなに見えるように掲げた。
「これはサクラの花びらです。さっきの教室で、瀬戸宇治さんが座っていた辺りに落ちていました。サクラは、皆さんもご存知かと思いますが、この付近には通学路の途中に1本生えているくらいです。他に生えている所はありません。だから、これはそのサクラの花びらだと言えます。ここで不思議なのはこの花びら、見つけたときには濡れていました。なぜでしょうか?」
次に、水咲はもう1つの花びらを摘んでみんなに見せた。3枚の花びらのサクラだ。
「これは、私たちの自転車に引っ掛かっていた花びらです。これは不運にも花びらの根元から切れちゃったみたいで、3枚くっ付いたまま散ったようです。この3枚の花びらもグッショリと濡れていました。昨日の午前中には雨はやんでいたのに、どうしてこの4枚の花びらは濡れていたんだと思います?」
水咲は教室を見渡した。誰もが真剣に耳を傾けていた。確かに、誰1人寝ている者はいない。
「正解は、この4枚の花びらは、私たちの自転車の、傘を入れる筒の中に入っていたからです」
瀬戸宇治はここまで来てもまだ水咲が何を言いたいのか分からなかった。
「昨日は午前中まで雨が降っていました。駅前の駐輪場は不親切にも屋根がありません。だから、自転車はビシャビシャになってしまいます。当然、自転車の傘入れにも水が溜まってしまいます。そして、今日。今日は午後から雨になるって言っていたから、ほとんどの人は傘を持って来ています」
学生は皆、自分が傘を持って来ていることを確認した。そんな中、瀬戸宇治と石巻だけはじっと動かなかった。
水咲はじっとこちらを見ていた。話の節々でこちらを見ては、話についてきているのか確認しているようだった。
「自転車を盗んだ犯人は、その傘入れに自分の傘を差し込んだんです。そして、そのまま自転車はサクラの木の下を通り過ぎた。そのときに、風で散ったサクラが傘入れの中に紛れ込んだ。犯人が学校について傘を引き抜いたときに、花びらがちぎれて傘にくっ付いてそのまま教室まで運ばれた。こんな流れであの花びらが教室に落ちたと推測できるわけです」
「だからなんだよ。ダラダラ、ダラダラ推測でしゃべりやがって。証拠を見つけたんじゃないのかよ」
たまらず瀬戸宇治は口を挟んだ。
「そこ! 静かにして! これからなんだよ」
佐々木原もたまらず応戦した。
再び教室は静かになる。
水咲はゆっくりと壇上を歩き始めた。
「さて、ここで皆さん、通学路途中に生えているサクラって、ソメイヨシノっていう品種だってこと、ご存知でした?」
水咲に1番近かった桑谷は、彼女に指されると照れ臭そうに頭をかきながら答えた。
「し、知りません」
「そうですか。なら、憶えておいて下さいね。ソメイヨシノは日本で最も多い品種の1つなんですが、これって一重桜で花びらは5枚あるんです」
瀬戸宇治は眉間にしわを寄せる。そして、これから水咲が言おうとしていることを必死に考えてみた。水咲が何かを言う前に、その何かが分かればこの場を切り抜けられそうな気がした。
水咲は壇上を降りると、まるで先生を気取るように教室内をゆっくり歩き出した。
「今まで、花びらは4枚出てきました。あと1枚あるはずですね? どこでしょう?」
教室は再びざわめいた。皆口々に自分の意見を言い合った。
「どこだ? 傘入れか?」
「いや、違うだろ」
瀬戸宇治の後輩達は自分の立場を忘れ、水咲の授業を楽しんでいた。
「わかった!」
そう叫んだのは桑谷だった。
「私もわかった! 華奈、分かったよ!」
佐々木原も一緒になって叫んだ。
水咲は佐々木原を落ち着かせると、桑谷に答えさせた。
「水咲さんは、瀬戸宇治先輩が犯人であるという証拠を見つけたって言うんだからここしかない。やっぱり、同じく瀬戸宇治さんの傘です。つまり、瀬戸宇治先輩は2枚の花びらを傘にくっつけて持ってきてしまった。1枚だけポロリと落ちて、もう1枚はまだ傘にくっ付いている」
佐々木原は指をぱちんと鳴らして、全て言われてしまった悔しさを表現した。
水咲は瀬戸宇治の前に立ちはだかると、ゆっくりと口をつぼめて一気に空気を放出させた。
「ブー! 違います! 違うんだけどすごくオシイ」
桑谷も佐々木原も驚きの声を上げた。
「オシイ? 華奈、どういうこと? 違うの?」
「そっ、違うのよ。瀬戸宇治さんの傘ではなくて……彼女の傘なの。そこだけよ、違うのは。あとは合ってる」
佐々木原も桑谷も今まで正常だった脳波に乱れが生じた。
「彼女の傘? それってどういうこと?」
「ここまで自転車を漕いできたのは、瀬戸宇治さんじゃなくて彼女だったってこと。彼は後ろに座っていたから、傘は手に持っていたの」
水咲、瀬戸宇治、石巻以外は全員放心状態に見舞われた。
「ごめんなさい。ちょっと傘を失礼します」
水咲は丁重に石巻の傘を借りた。その傘は下半分が濡れていた。
「半分だけ濡れていますね? これは、水の溜まった傘入れに入れた証拠」
水咲は傘を束ねているひもを慎重に外した。傘を大きく開くと、水滴で傘の表面にぴったり密着している最後の花びらが確認できた。
「はい、ありがとうございます。わたしの講義はここまでです。何か質問ある人」
そう言って水咲は瀬戸宇治の隣りの机に腰をかけると、腕を組んで事の成り行きを見守っていた。
瀬戸宇治は両足を机の上に乗せてだらしなく背もたれにもたれかかると、自分の恥を隠すように大きな態度を装った。
「なんでわかった? 彼女が運転してたって」
「あなたって、携帯はいつもズボンのポケットに入れてるんでしょ?」
水咲は瀬戸宇治のズボンから垂れている携帯ストラップを指すと続けた。
「さっきの授業が始まる前に、緑の髪のお友達があなたに電話したとき、あなた、わりと早く電話に出たでしょ? わたしも経験あるんだけど、自転車を漕いでいるときに電話が鳴っても結構気付かないんだよね。仮に気付いたとしても、遅刻して一生懸命漕いでいるときに電話なんて出てる余裕ないです」
瀬戸宇治は水咲から目線を外した。
「電話に気付くことができて、しかもその電話に簡単に出ることができたのは、漕いでいたんじゃなくて荷台に座ってたんじゃないかなってね」
「サイテイの男ね。女に漕がせるなんて」
佐々木原は腕を組んで瀬戸宇治をにらみつけた。
瀬戸宇治は依然横柄な態度を取り続けた。
「どうせ僕の方が背が低くて体重も軽いんだから、そっちの方がいいだろうがよ」
「開き直る気? そういう問題じゃないでしょ? ったく、自転車が盗まれたことより、彼女に自転車を運転させていたことの方が腹立たしいよ」
「仕方ないだろ!」
足の平を床にドンドンと叩いて怒りを表現していた佐々木原は、突然の瀬戸宇治の叫びに足の動きを止めた。
「仕方ない? 仕方ないってどういうことよ」
「僕はね、自転車の免許持ってないんだよ! 運転できないんだよ! だから仕方ないだろ!」
瀬戸宇治の発言に教室中が凍りついた。
「自転車に免許なんてないんだけど……」
石巻は驚いた顔で自分の彼にそう囁いた。その言葉に彼も驚いた。
「免許がないと運転できないんじゃないのか? 父が言ってたぞ。自転車は運転するのに技術がいるから免許が必要だって」
そのとき、凍りついた教室を一気に解かしたのは佐々木原だった。彼女は腹を抱えて笑い出した。
「それって単に過保護なんじゃん! 危ないから乗せたくなかったんでしょ? ああ、うける! こんなにうけるの久し振り! 皆さん聞きました? 自転車って、免許がないと乗れないんですって!」
佐々木原は井戸端会議をしているおばさんのような仕草をとった。さっき瀬戸宇治が水咲を小馬鹿にしたように。
それまで黙って聞いていた後輩もくすくすと笑い出した。ごくわずかな笑い声は小さな笑い声まで成長した。そんな中で笑っていなかったのは水咲と石巻だけだった。
「ねぇ、わたしからもあなたに1つ質問なんだけど、いいかしら?」
水咲は瀬戸宇治を覗き込むように身体を屈めた。
「どうしてタクシーで来なかったの? お昼だから、タクシー乗り場に長蛇の列ができていたとか、タクシーがみんな出払っていて全然来なかったっていうわけじゃないんでしょ?」
「そうそう、私も気になってた。タクシーはロータリーに一杯いたもん。だから私はタクシーで来たんだもん。それなのになんで?」
笑い声がぴたりと止まると、18個の目が瀬戸宇治に集まった。だが、瀬戸宇治は黙っていた。黙っていたので、水咲は石巻に目線を移した。
それを察した石巻は首を傾げながら言った。
「実は、私もずっと疑問だったんです。どうして?」
教室の窓ガラスががたがたと震えた。どうやら雨はまだ降っていない。
みんなが注目する中、瀬戸宇治はゆっくりと答えた。
「だって、タクシーって運転荒いから車酔いする。高級車はあんなに揺れない」
水咲と佐々木原は目を合わせた。
すると、桑谷が水咲に近付いてくると、申し訳なさそうな表情で言った。
「さっきは馬鹿にして笑ったりしてすいませんでした。なんか俺、さっきから驚いてばっかりなんすけど、水咲さんてすごいですね。かっこよかったです」
水咲はにこりと笑った。佐々木原も自分が褒められたかのようににこりとした。
そして、今度は瀬戸宇治に向き直ると、険しい表情で言った。
「俺、先輩はそんな人じゃないと思ってたんですけど、なんで女と付き合っても長続きしないか、なんとなく分かりましたよ。女をこき使っちゃあ、いけないっすよ。殴るなんてもってのほかですよ。謝った方がいいですよ、2人に」
桑谷はそのあとは誰の目とも合わせずに、教室から出て行く間際に一言添えた。
「松森。ふぐ料理屋1名キャンセルしといて。俺は行かないから」
残されたメンバーはその場の雰囲気にやり切れず、どうしたらいいのか困っていた。
石巻は黙ってうつむいていると、助け舟のように水咲が現れた。
「瀬戸宇治さんの彼女さん、言いたいことがあれば言った方がいいよ。黙っていたら自分が損するよ」
水咲は笑顔だった。その笑顔を見ていると、言っても許される気がした。
石巻は瀬戸宇治とは目を合わせず、下を向いたままゆっくりと言った。
「あのぅ、お、お付き合いするって言ったこと、や、やっぱり取り消します。ご、ごめんなさい」
そして、石巻は自分の荷物をまとめるとそそくさと教室から出て行った。
残された瀬戸宇治は自分が置かれている状況が滑稽で笑いがこみ上げてきた。その笑いは心の中に留まり切らず声に出して笑っていた。
水咲と佐々木原は再び目を合わせた。
「またフラれちゃった。しかも、今回は最短記録4時間。今までの最短記録2日間を大幅に更新しちゃったよ。こんなに面白いことないよ」
瀬戸宇治は今の苛立ちを、足で机を叩くことで表現した。
「金は腐るほどあるのに、なんでみんな逃げてくんだよ」
「さっきの人の言葉を聞いてなかったんですか?」
水咲は瀬戸宇治の前の席に座った。
「こんなときは『お金で人の心は動かせない』なんてセリフが相応しいと思うんだけど、あなたの場合は、あなたはお金に余裕があるからか、ちょっと人を見下しすぎね。それじゃお金がいくらあっても、あなたのその態度にイヤになっちゃうわよ」
残った5人の後輩は瀬戸宇治の存在を忘れているのか、窓際に固まって座り、こちらをチラリと見ようともせずに楽しそうにお喋りを始めていた。
教室には見知らぬ学生が徐々に増えてきた。彼らが瀬戸宇治の近くを通る度に、どうして足を机に乗せているのだろうという目で見ていた。
「ああ、ついに降ってきたか」
佐々木原は窓に付着した水滴を見てそう呟いた。
水咲もそれにつられて窓の外を見た。
「瀬戸宇治さんの涙雨かな? それじゃ、わたし達もそろそろ帰ろうか。あっ、そういえば、自転車の鍵は結構ですから。もうこんなこと、しないで下さいね。それだけお願いします」
水咲は立ち上がって背伸びをした。
佐々木原は机から飛び降りると背伸びをしながら言った。
「殴られたこと、謝ってもらってないけど別にいいから。その代わり、女の人には優しくして下さい。それだけお願いします」
水咲と佐々木原は一度も振り返らずに教室を去った。
2人がいなくなったのを見計らい、教室の真ん中に1人寂しく座っていた瀬戸宇治は静かに机から足を下ろした。
第9話 常識知らずの男【完】




