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4.嘘と本当

 午後、灼熱の日差しを浴びながら住宅街を歩いていくと、門扉の前に怜子が立っていた。キャップを脱いで高見を見下ろす。


「体はもういいのか」

「貴橋こそ、ひどい怪我じゃなかったのか」

「たいしたことないよ。なんていうか、アレが」

「……光のカーテンみたいなやつか?」

「おかげで治りが早かった」


 気持ち悪いけどな、と付け足して細い腕をさすった。あの光の膜がなんだったのかナガスネビコに聞かないといけない。


「どした、来いよ」


 彼らは門扉をくぐっていた。古代人の野太い笑い声を振り払って駆けていく。


 昨日のことはまだ言わん方がいい、と思いながら彼らの後についていった。




 和真によく似た面立ちの母親が二階に案内してくれた。「おまえらはここまで」と言って振り向いた怜子にクスリと笑う。


「サトコちゃんは頼もしいわね」


 そういえば和真も「怜子ちゃん」と呼んでいた。この家では「女子」なんやな。


「松谷さん、一度も目を覚ましてへんのですか?」

「ええ。寝返りは打つけれど夢を見ている感じかしら……寝ているようにしか見えないのよ」


 どうぞ、とドアを開け、「サトコちゃんがいれば大丈夫よね?」と釘をさした。


 有無を言わせない微笑みに、さすが和真さんの母ちゃん、と思った。なおためらう高見を部屋に押し込んで母親は階段を下りる。


 六畳間のベッドで映実が寝ていた。タオルケットにくるまり、すうすうと寝息を立てている。長い髪は自由に散らばり、本当に寝ているだけに見えた。


「ずっとこうなんか」


 青い玉の猛襲があった時、映実は和真に連れ戻された。その後どうしたのか、いつからこうなのかわからないと怜子は答える。


 翌日は具合が悪いから会えないと言われた。数日後、ようやく部屋に通してもらえたと思ったらこの状態だった。顔と腕に傷があったけどずいぶん治ってきて、と映実の頬をなでる。


「まだ何かと戦ってるんだ……きっと」


 怜子は悲しげに目を伏せた。泣きたいけど涙が出ない、そんな感じなんかな。


「怪我が治ってるってことは生きてるってことやろ。気長に待とうや」


 怜子は小さくうなずいたが、高見は戸口に突っ立ったままだ。「こっち来いや」と言っても頑なに動こうとしない。


「ええから来い。王子様のキスで目覚めるってこともあるやろ」

「なっ……そんなことするか!」


 動揺したがそれでも動くつもりはないらしい。おれは嫌がる高見の腕を引いた。


「めんどくさいやっちゃなー、せっかく来たんやし手ぇぐらい握ったれ。サト、ええか?」

「ああ、うーん」


 戸惑いを見せたが嫌がってはないようだ。「ほら早よう」と高見を引き寄せてベッドの側に座らせた。


 松谷が高見を好いてるのは周知の事実、知らんのはおまえくらいや、とため息混じりに背中を押す。


「女子の手ぇの握り方も知らんのか?」

「黙ってろ!」


 高見は顔を真っ赤にして叫んだ。「ま、おれも知らんけどな」と笑うと耳まで赤くなる。こんなにうるさくしても映実は眠ったままだ。


「こうだ」


 怜子が映実の手を握り、寝ている彼女をのぞき込んだ。本物の王子様がキスをするような光景にこっちが動揺してしまう。


「わっ……わかったから止めや! 高見っ、早よせんと別の王子に叩き起こされる……!」


 彼の手を引きつかんで映実に近づけた、その時。


 映実とおれたちの間で閃光のようなものが弾け飛んだ。正確には高見と映実の手の間だ。


 おれは息を飲んで怜子を離れさせ、豆だらけの武骨な手を映実の顔に近づけた。


 バチンッと稲光のようなものが走った。高見は手をつかまれたまま唖然としている。


「あれ……高見くん?」


 映実が目を開けた。おれたちはあわててベッドから下りたが、怜子は彼女に抱きついた。


「サトコ……どうしたの?」

「もう目を覚まさないんじゃないかって……心配したよ」


 二人のやり取りを見ながら、おれたちはお互いの手を確認した。高見の手からわずかだか煙のようなものが発生している。顔は青ざめ、指先が震えていた。


 もっぺん確認、と思ったその時、高見が部屋から飛び出した。あかん、ここで逃げたら。


「サトッ、すまんけど追いかけてくれ!」

「でも映実が……」

「後から連れて行く! 高見に追いつけるのはおまえしかおらんのや!」

「わかったよ」


 映実の髪を優しくなでると踵を返して部屋を飛び出した。おれは三人分の荷物をかき集めて立ち上がる。


「目ぇ覚めたとこですまんけど、身支度してくれるか」


 映実は目を丸くしたまま手を見つめていた。

「どうした、痛いか」

「あ……ううん、大丈夫」


 荷物を抱えたまま手を見せてもらった。火花のようなものが飛び散った気がしたが、火傷はしていないようだ。


「ほな高見を追いかけるで、外で待ってるから……」


 部屋を出ようとしたが、映実はベッドに座ったまま動こうとしなかった。


「どないした、さすがにすぐは動けんか」

「体は大丈夫だけど……いいのかな追いかけて」


 手を握ったり開いたりするうちに涙が一粒、頬を伝った。


「みんなを置いて……私ひとり逃げちゃって……嫌われてるよね……もう……」


 言葉と共に涙の粒が落ちた。パジャマを着たままの小さな姿に胸が締めつけられる。


「あのな、おれらはみんな松谷が好きやで。目ぇ覚ましたら美味いスイーツ食いにいこなって言うとったんや」

「……高見くんも?」

「あいつ意外に甘党なんや。土産の饅頭、五個も食べててビビったわ」

「フフッ、そうなんだ」

「頼む、一緒に追いかけてくれへんか。練習には復帰したけど、あいつの心ん中ズタボロなんや。今逃げたら戻ってこれんかもしれん」

「……すぐ着替えるから下で待ってて!」


 ベッドから下りるなりパジャマを脱ごうとしたので「わーっ、ちょい待て!」とバッグで顔を隠しながら部屋を飛び出した。


 あわてすぎたせいで段差を踏み外し、階段から転げ落ちた。


「どうしたの、大丈夫?」


 リビングから映実の母親が姿を見せる。


「松谷さんが目ぇ覚ましました。病み上がりのとこ申し訳ないんですけど、お借りします」

「大切な用なのかしら?」


 柔和な笑顔に気圧される。おれを試してる、娘を貸すに足る男かどうか。


「はい、帰りは絶対送ってきます」

「サトコちゃんのあんな顔、初めて見たわ……あの男の子を追いかけるのね?」

「どうしても松谷さんが必要なんです」

「ロマンスね」


 母親はクスッと笑った。ロマンスか、おれの辞書にはない言葉やな。


「向井くんお待たせ!」


 映実は言うなり戸棚から経口補助食品を取り出して一気に吸い込んだ。髪の毛はかなり乱れているが本人は気にしてなさそうだ。


 母親がブラシを持ってきて「髪くらい梳きなさい」と映実の長い髪をまとめ始めた。強張っていた頬がホッと緩む。


「好きな男の子に会いにいく時は鏡を見てからにしなさい」

「えっ! 向井くんお母さんに話したの?」

「なんも言うてへん」


 次々と大豆バーの封を開けて口に押し込むので、「おーい聞こえてるか~」と付け足したが、髪を結んでもらいながら冷蔵庫を空け、今度はプロテインドリンクを飲み始めた。


「亡くなった雅彦くんのお友達ね」

「うん……」


 スニーカーに足を入れながら映実はうなずいた。雅彦は死んだという事実が改めて重くのしかかる。


「じゃ、行ってきます!」

「車に気をつけてね」


 母親に見送られて映実とおれは玄関から飛び出した。


 映実は犬小屋をのぞいて「モチコちゃん、サトコと高見くんどっちに行ったかな」と言う。白い犬は西の方角に吠え始めた。


「すごいな、犬と会話できるんか」

「会話っていうよりは意志の疎通かな。どの子でもできるわけじゃないけどね」


 高見、おまえに必要なんは意志の疎通やな、と思いながら全速力で走っていった。




 商店街で高見は捕獲されていた。様子を見に集まった人だかりの中で、高見と怜子が組み合っている。


「サトコー! 高見くーん!」


 映実が声を上げると、商店から次々と人が出てきた。「ご両親が心配しとったよ」と老若男女が映実に押しよせる。


 おれは映実の腕を引き、あわてて人だかりから抜け出した。閉まった店の軒先に高見を追いつめる。


「逃げんでええ」


 そう言うと観念したように脱力した。汗だくになった怜子も体を離す。「サト、ありがとな」と言うと汗を拭いながら笑みをこぼした。


「どこ行くつもりやったんや」


 バッグパックを投げてやると拍子抜けしたような顔をした。


「高見くん……」


 二人は距離を保ったまま近づこうとしない。高見は無言のまま影の落ちた足元をじっと見た。


「高見、おれらは自分の身に起きてることを知らなあかん。逃げてもしゃあないんや」

「……おまえも何かあったのか?」


 高見は言った。そういうことには気が回るんやな、とくすぐったい気持ちになりながら咳払いをする。


「おれのことは追い追い話すわ。先に確認したいことがある。松谷、ええか」


 人通りの少ない路地に入ると高見は身構えた。


「二人とも手ぇ出してくれ」


 映実はすぐに出したが高見は口を閉ざしたままだ。ぐいと引っ張って震える手を近づける。二人の手が触れそうになると、また火花が散った。その様子を凝視する。


「松谷、痛いか」

「ううん、大丈夫」

「高見はどうや?」

「俺は……何ともないけど」


 眉をしかめた高見に「見て、平気」と映実は笑顔を見せた。また薄い煙のようなものが揺らぐ。


「次はもっとゆっくりや。サトもよう見といてくれ」


 怜子がうなずき、二人の手を引き合わせた。どの時点で火花が散るのかこの目で捉えてやる。


 接触するまで残り一㎝になった時、二人の手に薄い膜のようなものが見えた。それはゆっくりと色を成し、指先から徐々に手のひら、手首へと広がっていく。


「なんだ……これ……」


 高見の体は腕から少しずつ赤い膜に覆われていく。二人の体が触れないように気を配りながら映実を見た。彼女は青っぽい膜に包まれている。


「サトコの膜と同じ……?」

「サトはもうちょい黄色っぽい感じやったな。膜も分厚くて頑丈そうやった」


 ちなみにおれも出せるけどな、と言いながら手のひらを上にして息を吐き出す。


「嘘だろ」


 驚く高見の横でじわりじわりと力を解放した。おれの膜は薄い青、映実と同じ色だ。


「じっとしててや」


 高見の肩に手を乗せた。膜は体に密着し赤い膜と接触しているが火花が散ったり弾け飛んだりはしない。混ざり合うことなく二層の膜は重なったまま波のように揺らめく。


「おまえそんなの、いつから」


 呆然とする高見を見ながら意識を集中させた。揺らいでいた青い膜は肌に密着するようにぴたりと止まる。


「すまん、一こ嘘ついてた。大怪我したんは空手仲間やなくて、おれや」

「でもおまえ、普通に」

「この膜が発生してすっかり治ってしもた」


 青く染まった手を振ると三人は大きく目を見開いた。


「こんなん気色悪い言うて地元ではバケモン扱いや。変な連中も集まって学校に行けんようになった。そん時じいさんに気のコントロールの仕方を教えてもろたんや」


 腹に手を当ててゆっくりと息を吐いた。肺が縮んで肋骨がへこみ、それから吸い込む。肺が膨らんだ分、背中の筋肉が動いて横隔膜が下がり、内蔵も下腹部に押し広げられる。


「あ、消えてく」


 映実のつぶやきを聞きながら呼吸を繰り返した。最後に「押忍」と手を下げると青い膜はすっかり収まった。


「気は体から発するエネルギー、同時に心の触手、触覚でもあるからな。心が浮ついてチリチリしてる時は際限なくあふれ出して他者を攻撃する。そういう時は心を丹田たんでんに置いて落ち着かせるんや」

「丹田……」

「ここや。ゆっくり腹式呼吸をして心を丹田に収める。そして必要なときだけ解放する。これが気のコントロールや」


 やってみ、と高見の腹を押さえた。均整のとれた筋肉が隆起する。映実と怜子も一緒になって腹式呼吸を繰り返す。


 二人の赤と青の膜が段々と落ち着いていった。よかった、うまくいったとこっそり胸をなで下ろす。


「コントロールできるようになったら怖いことはないし、接触しても火花が散ったりはせん。なんで高見だけ赤いんかは気になるけどな」


 何気なく肩に手を置こうとすると彼は反射的に体を引いた。遠慮なく両肩にバシンと手を乗せるとほんの少し光ったが、気になる程ではない。


「競技中のおまえには敵わんけど、日常の気のコントロールはおれの方が上や。いちいちビビらんでええ」


 押さえ込んだ高見がムッとした顔を見せた。よしよし、いつもの調子に戻ってきたな。


「おれ相手はええけど、松谷とおる時はコントロールできた方がええやろ。いちゃつけんし」

「誰がいちゃつくか!」


 渾身のグーパンチを食らっておれはむせた。今は気を引っ込めてるからあかんて、と返す前に怜子が高見の前に立ち塞がった。


「そんなの許さないからな」

「そういえばあの時は大丈夫だったね」

「あの時?」


 映実の一言におれと怜子は素っ頓狂な声を上げた。「いちゃつき済みか?!」「やってねーよ!」「オマエゼッタイユルサナイ!」と三人ですったもんだをすると、映実が言った。


「二回目の時逆から戻った時、神社でさ」


 雅彦くんがスポーツカーにぶっ飛ばされた時か、と言いかけて言葉を飲んだ。あの翌日見せた高見の暗い顔と映実の泣き顔が忘れられない。


「雅彦くん、もしかしたら生きてるかもしれんで」


 言うなり高見に赤い膜が発生した。わかりやすいやっちゃなと思いながら「腹式呼吸や」と腹を指差す。


「松谷、今から話すことは主観も入ってるし信じるかどうかは任せる。嫌になったら耳を塞いでくれ」

「うん……」


 おれは深呼吸をした。端的に言う、感情は一切混ぜない、そう言い聞かせて口を開く。


「雅彦くんはおれらの敵、そう言われた」

「……誰に?」


 高見の声が熱風に乗って流される。おれはこぶしを握った。


「和真さんや」


 高見の髪からジワリと赤い膜が影を見せる。おれも覚悟を決めなな、そう思いながら彼の瞳を見つめた。

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