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2.祠と守人

 住宅街の角に和真が立っていた。辺りは静かなのに近づいてくる気配は全く感じられなかった。


「何の……用ですか」

「そんなに警戒しないでよ、敵じゃないから。どっちかって言うと仲間かな」


 あの猛烈な蒼い火の玉はあなたの仕業とちゃうんですか、そう言いたくなるのぐっと我慢する。


「仲間ってどういう意味ですか」

「それはこっちに聞いてね。きみに用があるのはナガスネだから」


 言った途端、彼の後ろに亡霊のようなものが浮かび上がった。叫びたい衝動をこらえて必死に目を凝らす。コンクリートは揺らめくほど熱いのに、背筋がうすら寒くなった。


 長い黒髪を耳の横で八の字に結った男が、擦り切れたビデオテープの映像のように浮かんでいた。年は四十前後、あごと口元に髭を蓄え、首から大きな勾玉を下げている。上半身はかろうじて見えるが、下半身は全く像を成していない。


「あの時の……古代人」


 声を振りしぼると男はニヤリと笑った。


大和国ヤマトノクニの豪族、登美能那賀須泥毘古トミノナガスネビコと申す。其方に話があって参った」


 イツセの宿敵、ナガスネビコか。こんなに早く対峙するとは思っていなかった。


「参るって言っても僕がいないと会話もできないんだけどね」

「それを言うなカズマヒコ。お主が忙しいと言うから待ったではないか」

「いいから早くしてよ」


 二人の会話に意表をつかれた。イツセと雅彦、あの婆さんには上下関係があるように感じたが、この二人は対等なのか。


 言葉を失っていると「ちゃんと見えてる?」と和真が聞いてきた。


「ちゃんとも何も……和真さんと会話しとるやないですか」

「見えてるみたいだよ」

「それみろ、儂の見立てに申し分なし」

「わかった、わかった。手短に済ませてよね」


 二人の会話を必死に分析した。この古代人はおれに用がある、和真はそれを面倒だと思っている。誰も彼もがこの男を見られるわけではない。


「ナガスネさん……おれに何の用ですか」

「おお、理解の早いおのこであるな。それでこそわし守人モリビトだ」


 守人、どこかで聞いたことのある言葉だ。思い出せ、記憶を掘り返すんだ。確かイツセが「我が守人」という言葉を使っていた。あの婆さんの名はマツノタマモリ、御魂の番人を司る守人であると言っていた。


「話、聞かせてもらおか」


 男に触れようとしたが、手はあっけなくすり抜けた。やはり実像じゃない。真横にいる和真が目を丸くしている。


「きみ、飲み込みが早いね。薄気味悪くないの? こんな幽霊みたいな男」


 会話してる僕もどうかと思うけど、と続ける和真は余裕たっぷりに見えた。負けてたまるか、と思いながらこぶしを握る。


「そら……めちゃくちゃこわいですよ、全身鳥肌や。けどおれはホンマのことが知りたいんで」

「こいつに取り憑かれるとか思わない?」

「その人、和真さんを気に入ってるみたいやし、イツセさんほどの恐怖は感じん。おれを取って喰うつもりがないんは……何となくわかる」


 和真と古代人は、「だって」「ほほう」と顔を見合わせて笑った。


「ナガスネって僕のこと気に入ってるの?」

「それはお主の方であろう」

「ばかいわないでよ」

「馬鹿でなく阿呆と言うのだ」

「はいはい。阿呆、阿呆」

「阿呆とはなんだ!」


 そうかけあってまた笑う。なんだこの二人、長年連れ添った漫才コンビみたいだ。


「じゃあおいでよ、案内するから」


 言うなり和真は歩き出した。水色のシャツに白いパンツの涼しげな格好をしているが、背後に蒼い炎が揺らめいている。


 古代人の存在より、和真に近づく方がよっぽど怖かった。




 一時間ほど電車に揺られ、見知らぬ駅で下車した。山のふもとにある雑木林をかき分けながら十分ほど歩くと小さな洞穴が見えた。


「どうしたの、この先だよ。怖くなった?」

「勝手に入ってええんですか」

「この一帯は祖父が所有しているんだ。許可も取ってあるよ」


 和真はそう言って奥へ進んだ。洞穴の天井から(つた)が垂れ下がり気味が悪くて仕方ないが、平気なふりをして後に続く。


 狭い通路を五分ほど進むと和真が立ち止まった。


 ぽっかりと空いた空間に朽ちた粗末な祠があった。土台の岩は崩れないのが不思議なくらい傾き、祠の木材はささくれ立っている。元は朱色だったかもしれない切妻屋根はみずぼらしく色褪せていた。


 和真は小さな観音扉を開いた。ナガスネビコがぼんやりと姿を見せる。


「ここにはナガスネの御神体が祀られているんだ。祠を離れると僕を介さないかぎり会話はできない。そもそも普通の人は見えないんだけど」


 きみは普通じゃないから、と当たり前のように言った。全身の毛が逆立ちそうなほど寒気がしたが、恐怖を飲み込み、何から聞くべきか必死になって考えた。


「ナガスネさんの碑は奈良の生駒にありますよね。じいさんが近いんで見たことあるんですけど、なんでここに御神体が?」


 和真とナガスネビコは顔を見合わせた。

「中々によい洞察であるな。流石、儂が選んだおのこだ」

「……選んだ?」

「きみ、生死を彷徨うような大怪我をしたことがあるでしょ?」


 和真が口を挟んだ。おれは息を飲む。


「……何のことですか」

「俊には空手仲間が大怪我をしたって話したみたいだけど、嘘だよね。半身不随になったのは友達じゃなくてきみ自身だ」


 洞穴の天井から水が滴った。地面に落ちた波紋はゆっくりと広がり、記憶を押し広げていく。


 うろたえるな、見くびられるなと言い聞かせたが、和真は迷いない目でおれを見た。


「それが何やって言うんですか」

「ごまかさなくていいよ、僕はナガスネを通して知ってるから。二年前、稽古中の事故できみは大きな怪我を負った。意識不明の重体、退院後も半身不随で車椅子生活を送ることになったけれど、二か月足らずで完治した。そのせいで周囲に気味悪がられて土地を離れざるを得なくなった。そうだよね?」


 こめかみから汗がにじみ出た。時間が巻き戻る。頭部への衝撃、腰から下が動かない苛立ち、一生歩けないと言われたときの嘆き、励ましてくれた父親と戸惑いを見せた母親。


 一生歩けない覚悟をしたのに、なぜこの体は以前と同じに戻ってしまったのか。


「なんで……そんなこと」

「きみに神力ジンリキを授けたのは、このナガスネだから」


 ね、と和真が言うと阿吽の呼吸でうなずいた。「あれは骨が折れたな」と言う古代人に「助けたいって言ったのはナガスネだろ。僕だって受験生で出向くのが大変だったんだから」と和真は返す。


 思い出話に花を咲かせる二人を見ながら、両足の震えをこらえた。一度は死んだおれの足。驚異的な回復力で完全に治ってしまい、胡散臭い連中が押しかけたせいであの家には住めなくなった。治ったのはこの古代人の神力とやらの影響なのか?


「和真さんも、おれんとこに来たんですか?」

「そうだよ、僕がいないとナガスネはここから離れられないから」

「……ありがとうございました」


 深々と頭を下げると、彼は目を丸くした。


「僕たちが嘘を言ってるとは思わないんだ」

「和真さんにオモテとウラの顔があるのは知ってますけど、しょうもない嘘をつく人やないってこともわかってます。ナガスネさんは何というか……嘘をつける人には見えません」


 言った途端、古代人は「ウワッハッハァ!」と豪快な笑い声を上げた。実体がないのに祠が振動して、和真は「うるさいよ」と耳を塞ぐ。


「お主を守人としながらて選んだ儂の目に狂いはなかったようだな。以後、よろしく頼むぞ」


 ナガスネビコは手を差し出した。紐で引き絞った袖口を見、触れるんか、と好奇心が湧いた。イツセと対峙した時のような言いようのない恐怖は感じない。


 そっと手を伸ばしてみた。揺らぐ彼の指先に触れた途端、目映い光が迸り全身に熱い血潮が駆け巡った。


 ナガスネビコの姿がはっきりと見える。彫りの深い顔立ちの男が凛々しい笑みを讃えている。


「なっ……なんや?」

「守人として認められたんだよ。これで僕がいなくてもナガスネと会話ができるはずだ」

「守人って、五魂イツタマ神社のばあちゃんも……」

「マツさんはイツセに仕える守人の末裔なんだよ」

「雅彦くんも跡を継ぐはずやったって……」

「それは少し違う」


 和真がそう言うと光の放出は収まった。稽古後なのに全身に力がみなぎっている。何が起きたんだ。


「わあっ! ナガスネさん、ブレッブレやで!」


 握手を交わした時は姿が見えていたのに、今度は薄闇の中に消えてしまいそうだった。なぜか白髪の老人になっている。


「ヤリスギテシモタカノォ」

「なんで急に関西弁やねん!」


 思わずツッコミを入れると和真は「やれやれ」と老人を祠の中に押し込んだ。像はスルリと入ったが、あの小さな所にどないして入ったんや、サイズ感おかしいやろ、と言いそうになる。


「戦いに敗れて関東に流れ着いたナガスネビコの子孫が僕のご先祖様だ。代々、御神体の勾玉を守っている。きみは畿内に残ったナガスネ一族の末裔。神力を渡してヨボヨボになっちゃったけど、一応神様に仕えた人だから」


 もうちょっと考えて渡せばいいのに、と呆れながら祠についた塵を払った。


「そういやイツセさんは子供になってたな……神力となんか関係が」

「その話、詳しく聞きたいね」


 とっさに口を塞いだ。和真がウラの顔をしている。


 なんも知らん、と口を閉じたままジェスチャーをすると、「いいよ自分で探るから」とあっさりと引き下がった。拍子抜けするおれの前で祠の点検をする。


「雅彦くんは、神社の跡継ぎやないんですか?」

「彼はイツセの器だから」

「ウツワって……なんかの入れ物?」

「そう、僕たちは魂の器なんだ」


 洞穴のすき間からわずかに光が差し込み、和真の頬を照らした。


 嘘偽りのないオモテの顔をしていた。澄んだ瞳に陽光が吸い込まれ、不思議な輝きを放っている。


「雅彦くんは僕らの敵、不用意に近づかないようにね」


 蒼い炎が揺らぎ立つ。平和な時代に似つかわしくない、闘争の気配がした。

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