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13.依代之巻 終幕

 全身に痛みを感じて体を起こした。手は土に汚れている。


 そばに向井と貴橋が横たわっていた。肩を叩くと二人共すぐに気がつき、うっすらと目を開ける。


 ほっとしたのも束の間、どこからか冷たい風が吹き込んだ。天井に淡く光る何かがあり、辺りをほんのりと照らしている。


「高見! 無事やったか」


 向井が抱きついてきた。いつもはむさ苦しいけれど、今は安心感の方が勝る。貴橋の頭も無理やり抱きよせたので、「いてーな!」「うざいヤメロ!」「やめへんもーん」と三人でお互いの体をぶつけあった。


「どこなんやろな……ここ」


 向井は天井を見上げた。神社の本殿で見た空間に似ているが、過去なのか現在なのかもわからない。


「ご苦労であったな」


 何もないところから青年のイツセが姿を現した。袴姿の婆さんもいる。


「おまえっ……どうやって雅彦から出てきたんだ!」


 胸倉をつかもうとしたが軽くかわされてしまった。少年姿のイツセと違ってかなり身長差がある。


 向井が押さえるのも聞かず「雅彦はどうなったんだ!」と食ってかかると、イツセの後ろから試合用のウェアを着た沖間が姿を見せた。


「なっ……おまえ……なんで」

「こやつはマヨであり、またマサヒコでもある」


 イツセが沖間の前で剱を振り下ろすと、姿はゆっくりと雅彦に変わった。「ぎえっ!」と向井が声を上げたが、雅彦はそっと微笑んだ。


「マサヒコの魂は現世への転生の際に二分されてしまった。いずれはどちらかの肉体におさまる必要があったのだ」

「魂が……二つ?」

「その元凶こそが我が宿敵ナガスネビコ」


 混乱する頭の片隅で、あの男のことかと思った。髭を蓄えた大柄な古代人、和真さんの体を乗っとったようにも見えたけれど、どうなっているんだ。


「いちから話してくれるか」


 向井が冷静な顔つきで言った。剱との間合いを大胆に詰めるので貴橋が「おい」と肩を引く。


「雅彦くんと沖間の関係も気になるけど、あんたの素性からきかせてもらおか……イツセノミコトさん」


 彼は不敵な笑いを口元に浮かべて言った。


「中々に良きたまの色をしておるな。よいであろう。マツ、ここへ」


 は、と婆さんは鞘を取り出しうやうやしく差し出す。イツセは剱を納めると俺を見下ろした。


「父は鸕鶿草葺不合ウガヤフキアエズ、母は玉依毘売タマヨリビメ。ウガヤ王朝の第一後継者、五瀬命イツセノミコトと申す」


 イツセは婆さんを前に進ませる。


「これは我が守人モリビト松津魂守マツノタマモリ。古代より御魂ミタマの番人を司る一族のオサである」


 婆さんは「マツとお呼びくださいませ」と深く頭を下げた。


 急に大量の名前が出て混乱した。御魂がどうとか雅彦に何の関係があるんだ。


「やっぱり古事記に出てくる五瀬命やったんか」


 向井がつぶやくと、イツセは雅彦に似た顔で満足そうに微笑んだ。


「まさか本物に会えると思わんかった。御神体は和歌山にあると思てたけど」

「あの地には我の遺骸が葬られている。ここはマツとその一族が逃げ落ちた土地。本殿には我に射かけた矢が祀られている」

「その矢の持ち主が……ナガスネビコやな」

「話が早い」


 納得がいった顔でうなずき合ったが、何のことかさっぱりわからなかった。


「説明しろ」

「……九州、高千穂出身のイツセさんは国が飢饉に陥って新しい土地を開拓する必要に迫られたんや。『東征』いうて長い旅をすることになる。道中、畿内で鉢合わせた現地のナガスネビコに矢を討たれて戦の末に死んだ。それを恨んだ末の弟が敵討ちをして西日本の統治が始まったんや。その弟が有名な神武天皇やで」

「誰だ」

「古事記と日本書紀に出てくる古代史の重要人物やろ」


 俺は貴橋と顔を見合わせると、「ええーっ」と叫んだ。けれど貴橋が「そんなにすごいか?」と言ったので「正直どっちでもいいけど」と俺が答えると、「どっちでもようないわーい!」と向井が叫んだ。


「全く其方らの言動は飽きぬな」


 さっきまで気取った顔をしていたイツセが破顔して笑い声を上げた。難しい顔をしていた雅彦も「初代天皇のお兄さんってことだよ」と笑うし、婆さんは怒りと笑いをこらえている。


「あんたが大変な目に合ったのはわかった。けど俺は……なんで雅彦が消えたか知りたいだけなんだ」


 ポツリと言うと、向井も「そうやな」と肩に手を乗せた。


「ではマサヒコ、ここへ」


 雅彦はイツセの前に歩み出た。真っ赤なTシャツを着て微笑んでいるのはいつもの雅彦なのに、この場にいるのは別人のようだった。


 イツセの革靴が地面に着く。膝に結んだ鈴がシャンと鳴り、薄暗かった空間に明かりが灯った。


「マサヒコは我の跡を継ぐべき人物。これまで幾度となくナガスネビコの攻撃を受けてきた。二分された魂の入れ物、すなわち肉体は存外にもろく、早急に『たま合わせの儀』を執り行う必要があった。しかしこの者は拒んだ」


 イツセがやれやれと言うと、雅彦はクスリと笑った。


「俊と試合に出るのがぼくの夢だから、それまで待って下さいってお願いしたんだ」

「俺と……試合?」

「願いが叶い次第、儀式を執り行うはずだった。あやつの邪魔が入らねばな」


 イツセは端正な面立ちを歪めて歯噛みする。


「あの憎き男の攻撃を受け、マサヒコの肉体は行方知れずとなった。我とマツがとっさに魂を切り離さねば魂そのものが消滅していただろう」

「……ごめんね、俊」

「なんで雅彦が謝るんだ」


 雅彦は笑みをこぼした。温かな眼差しに胸がはち切れそうになる。試合前の願掛けもそうだ、いつも俺の張りつめた神経を和らげようとしてくれる。


「沖間が言ってたんだけど……あいつの中にいたのか?」


 鉄棒の演技を再開するとき、沖間は俺の足を三回叩いた。あれは雅彦の「必勝おまじない」だったはずだ。


「体がなくなったあの日から……麻世くんの魂と同居しているんだ。高校生の俊と話したし、俊と同じタイミングで過去にも遡った。試合で俊と競ったのは麻世くんだし、ぼくでもある」


 半透明の雅彦はイツセを見上げて言った。イツセは神妙な面持ちで鞘に手をかける。


「其方に時逆をさせたのはマサヒコの肉体の行方を探るためであったが……」

「見つけられなかったね……」

「時逆は守人であるマツの秘技、膨大な神力と魂を削る神事だ。まさかナガスネの間者が紛れておるとは思いもよらなんだ」


 申し訳ございませぬ、と婆さんが頭を下げたが、イツセは「もうよい」と手を振った。


「それの処分は済んでおる。問題は我の神力がわずかであることだ」


 イツセは鞘に手をかけたまま胡座を組んだ。若干、背が縮んでいるような気がする。


 奥でお休みになられますか、と婆さんが言ったがイツセは首を振った。見る間に背丈が縮んでいく。呆気に取られていると、ついには衣が地面につき、俺より幼くなってしまった。


 少年イツセが天井を指差した。宝石のように光っていた物体がいつの間にかなくなっている。


「体が見つからぬ今、マサヒコはマヨの魂と同居しながら生き、いずれその肉体も滅ぶ定めだ。しかし我らも諦めてはおらぬ。時が満ち、神力が充足すれば新たな手を打とう。その暁には其方の力を貸してくれるな?」


 俺は迷いながらも小さくなるイツセと握手を交わした。とうとう一歳前後の幼子となってしまった彼を抱き上げて婆さんは言う。


「こうなっては会話もままならぬ。時が満ちるまで待たれよ」


 婆さんは幼子を抱いたまま雅彦を促し、薄暗闇に消えてしまった。


「待てよ、雅彦!」


 輪郭のぼやけた雅彦が寂しげに笑った。「またはないかもね」と言った沖間と同じ微笑みだ。立ち尽くす俺に何も言わず、彼らの姿は闇に溶けた。




 残された俺たちにどこからか夕陽が差し込む。眩しさに手をかざすと、徐々に目が慣れて前方に洞穴の通路が見えた。


「長い一日やったなあ」


 うなずく気力もなく、俺と貴橋、向井の三人は洞穴の外に出た。


 這い出たそこは神社の裏山だった。鮮やかな夕陽が西の山に沈もうとしている。


 夕暮れ時の木々は雨に洗われ、金色の滴を光らせる。背伸びをすると見慣れた街の風景が心を慰めてくれた。


「映実……どうしてるかな」


 貴橋の整った鼻筋を夕陽が照らす。よく見ると全身に小さな傷があった。あの光る膜は何だったのか。


 貴橋、和真さん、映実、そして雅彦と沖間のこと。わからないことがまだたくさんある。


 朱に染まる街並みを見つめて途方に暮れていると、沖間がひょっこり姿を見せた。何と呼ぶべきか迷ったのに、彼は呑気に「高見くーん」と言った。


「おまえ……力抜けるなあ」

「そう? これはぼくたちの問題だし、高見くんは今まで通り体操をしてね」


 そうはいくか、っていうか雅彦のノリで「高見くん」とか言うな、と落ち着かない気持ちでいると「そんなわけにいくかーい!」と向井が叫んだ。


「おまえの知ってること、全部吐いてもらうで!」


 そう言うなり向井は逃げた沖間を追いかけて猛ダッシュをした。「今日はもう勘弁してよ!」「絶対逃がさん!」と山を駆け下りていく声を聞きながら、貴橋と二人で「バカだな」「うん、バカばっかりだな」と顔を合わせて言った。


「明日、映実に会いに行ってみるよ」

「……その前に病院行けよ」

「オマエもな」


 貴橋は俺の背中を叩いて言った。あまりの痛さに「鬼かおまえは!」と涙目で叫ぶと、「映実を守るなんて百年早いよーだ」とあっかんべーをしながら山を駆け下りていった。


 貴橋が向井と合流したのを確認して、俺は豆だらけの手を見た。中学時代とは違い、骨張ってきた関節、手首、筋肉だけは衰えずについていく腕。あのおかしな力を無意識に使ってしまったのか、皮膚のあちこちに焼け焦げたような跡が残っていた。


 守りたいものはある。けれど身勝手なこの手でできることなんてあるのだろうか。不安に押し潰されそうになりながら夕陽に染まる山道を下りていった。

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