決定打
弟の腹は大変に黒かったし、王妃は口から本音がコンニチワ。
「ごめんなさいね、レティシエリーゼ。内緒にしておきたかったのよ」
クスクスと笑う王妃と、向かいに座る第二王子であるラクシス。
ラクシスの顔を見たレティシエリーゼは間抜けな声を出してしまった己を恥じ、頬を染めながらもすぐさま背筋を伸ばしてカーテシーを披露し、改めての自己紹介を終えたのであった。
恥ずかしいやら、王妃とのお茶会と聞いていたのに予想外の人物がいたことに驚いたやら、珍しく色んな感情がごちゃ混ぜになってしまっていた。
「い、いえ…。わたくしも未熟でした。あのような声を出してしまうなど…」
「良いのよ、この場は完全な非公式。今日のお茶会を知っているのは国王くらいのものだから」
「は、い…」
それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
だが、それ以上に疑問もあった。
何故王妃とのお茶会に第二王子がいるのだろうか、と。どうしてレティシエリーゼを見ながら、ご満悦、というような表情を浮かべているのだろうか、と。
「あの…王妃様。どうしてここに第二王子殿下がいらっしゃるのでしょうか?」
「ラクシスから聞きました。バカ王子には許していない愛称での呼び方を許可していると」
「バカ王子…」
「母上、本音が」
「あら失礼。レティシエリーゼに言われたことが本当だと分かれば分かるほど、あれが私の息子だと思いたくなくて、つい」
オホホ、とにこやかに笑う王妃のこめかみには見事な青筋が浮かんでいる。
そういえば婚約となった日にも罵詈雑言の嵐をくらい、迎えに来てくれた祖父の手を引いて半ば無理矢理国王と王妃に謁見の約束をその場で取り付け、最終的には号泣しながら第一王子との現状を見てくれと訴えかけたことがある。
たかが一令嬢の意見をきちんと聞き入れてくれたのが嬉しいやら、色々な事を把握されているのがこれまた恥ずかしいやら。
「兄上は、自分だけが王太子教育を受けていると思っていたんです。そんな訳ないのに…」
「え」
「それと、何があろうとレティ姉様と結婚できると思っているような節もあって」
「は?」
「王太子教育が半分も終わっていないというのに」
「………………………」
今のレティシエリーゼの内心を言葉で表すのであれば『嘘だろオイ』しかない。
ちなみに、好奇心と勉強欲の塊であるレティシエリーゼは王妃教育はほぼ終えている。
公爵家令嬢としてのマナーの下地や、当主である祖父の英才教育の賜物であった。
市政、国内の現在の統治状況、経済状況、ありとあらゆる分野に興味を示し、片っ端から学んでいたレティシエリーゼにとって、王妃教育とは『家で学べないことを学べる貴重な場』なのである。
それはもう全力で取り組んだ。初日には頑張りすぎて知恵熱を出すくらいには。
だが、それ以上に楽しいのだ。
子供は学ぶことを嫌がることも多いのだが、レティシエリーゼはそもそもその辺は規格外。そんじょそこらの子供と同じにされても困るというもの。
「王妃教育がほぼ完了、何なら母上と現在の国の状態について議論までされるような完璧な人の婚約者が兄上だと改めて思うと、僕はいてもたってもいられずになりまして」
「え、と」
「レティ姉様。いいえ、サーグリッド公爵家令嬢、レティシエリーゼ嬢。もしも僕が王太子になった暁には…僕の隣に立ち、王妃候補となっていただけませんか」
「それは…つまり」
「非公式ながら、だけれど。レティシエリーゼ・エル・サーグリッド、王妃であるわたくし、レイチェル・ウル・フォン・クリミアの名のもとに条件付きの婚約解消権と、新たな婚約の締結をいたしましょう」
「ラクシス様との…婚約の締結…」
「えぇ、そうよ」
「第一王子殿下との婚約解消権は、どのような条件で?」
「ラクシスは現時点でどの王子よりも王太子教育が進んでいます。側室達の王子も頑張ってはいるのだけれど、ラクシスにはあと少し及ばないのですって。だから、ラクシスが王太子教育を終えたと判定されたその瞬間ね」
「王太子教育は、ただ詰め込んでいるだけではございませんね?」
「勿論。講師達、大臣達、王太子教育全てに関わる者が保証致します」
さて、どうしよう、と。
ラクシスとレティシエリーゼの歳は近い。
ラクシスの方が年下ではあるが、こんなに小さい頃から婚約相手を決めてしまってもいいのだろうか、と悩んでしまう。
王家に嫁ぐ覚悟なぞとっくにできているが、あまりに予想外の出来事にレティシエリーゼは無表情で考え込む。
「レティシエリーゼ、ラクシスはこの歳で我が国の上級司書の資格も持っているし、なんなら個人所有の古書図書館も持っているわよ。あと、わたくしとも対等に政治の話もできるわよ」
「お受け致します」
キリ、と表情を引き締め直したレティシエリーゼは食い気味に返事をしつつ、即堕ちした。
知識欲の塊である彼女を堕とすのならば、これほどまでに手っ取り早い方法はないのだから。
個人所有の古書図書館に一番心は揺れたのだが、何よりこのやり手の王妃と対等に政治の話ができるとは何事かと。
思わず目をきらきらと輝かせるレティシエリーゼに、ラクシスは小さく噴き出してしまった。
「レティ姉様……」
「………王家に嫁ぐけれど、可能であればきちんとお話のできる人が良いな、って思っていたの。ラクシス殿下ならば…可能でしょう?」
「うん。僕も同意する」
二人の間に流れる穏やかな空気は、アルティアスでは決して未来永劫流れることはないであろう。
そうして、王妃はにこやかに微笑みつつ内心でガッツポーズをした。
この令嬢は手放してはならぬ、と、サーグリッド公爵家当主と仲の良い先代国王にまで言わしめたのだ。
側室を使ってでも、我が子を使ってでも、何としてでも王家に嫁がせようと決めていた。
それが、今ここに叶ったのだ。
アルティアスは知らない。
初恋の君は、全くアルティアスを見ようともしなかったことを。会話すら嫌がっているなどと。
婚約相手を奪うことに実質成功したラクシスは、見えないように嗤う。
そうして、愛しい愛しいレティシエリーゼが手に入るという嬉しさに、彼はただただ至高の笑みを浮かべるのだ。